Top_7
Top_5
Top_6
Logo_s
  Menu_1sesson_no Menu_2event Menu_3contents Menu_4shop_no Menu_4contact Menu_5voice
 
 

頑張り女子の自分の愛し方講座 ~女性のための苫米地式コーチング~

  • 独り言(セルフトーク)を変える 言霊のチカラ
  • オーラと魅力の話
  • 『自分らしく生きる』ことの大切さとゴール設定
  • ゴール設定② 結婚したいは本当にあなたのゴール?
  • なぜあの人(女性)はいつだって魅力的なのか?
  • モテるには
  • 奥義伝授!
Facebookにログインすると名前とメールアドレスが自動入力されます
お名前
姓) Must
名) Must
メールアドレス Must
ご紹介者
解除停止はメールのリンクをクリックするだけでいつでも可能です。
感想、応援メッセージでシェアにご協力ください
投稿にはfacebookにログインしている必要があります。
このメルマガはリザーブストック 有償版 を使っています。
リザーブストックは斎藤 貴志様よりご招待いただくことで無料でご利用いただけます。(有料版有り) ご利用希望の方はzulupolicy@ybb.ne.jp宛てに利用希望の旨ご連絡ください。
 
 
 
 
Profile
Professional_s

斎藤 貴志

Mission
心に灯をともし、確実に幸せをつかむコーチ
Senmon
苫米地式 コーチング 島根 幸せ 英語

こんにちは斎藤貴志と申します。島根県松江市という地方都市に生まれて育ってきました。

途中仕事で県外に出たこともありますが、基本的には島根県での生活が長いです。
コーチに過去は関係ないのですが、私という人間を知ってもらうために、なぜ苫米地式コーチになるに至ったのかをお話しさせてください。

さて、私はとても劣等感が強く、いわゆるエフィカシー「自分の能力に対する自己評価」もすこぶる低い人間でした。

自分の存在価値を認められたのは他人と比較して、私が優っていると感じられる時だけでした。だけど優越感を感じられるのは、ほんの一瞬で、ほとんどは劣等感だらけでした。

劣っている自分が嫌いでした。自分は劣っているだから他人から認められるには、何か人より優っている点がなければならないと思い込んでいました。この劣等感は変なプライドに繋がっていたと思います。

そんな感じだから思春期の頃には、神経症になってしまいました。劣等感が強いゆえに、その反動で完璧でなければならない、そうしないと他人や社会から認められないという強迫観念を抱いておりました。不安感がとてつもなく強かったのです。

神経症になって、この状態から抜け出したいと思った私は、学校の図書館、公共の図書館、本屋(立ち読み)をしまくって、原因を探し求めました。フロイト、ユングなどの本を貪るように読んでいました。とにかく抜け出したかった。

しかし、知識は身についたけど、全く症状の改善には至りませんでした。むしろ、過去を深堀して、こうなった原因は親の育て方が悪いからだと考えるようになりました。

病院にも行きました。カウンセリングも受けました。だけど、カウンセリングに至っては、セッションの最中は良いけど、すぐに悪い状態に戻ってしまいました。コンフォートゾーンです。

病院で薬も処方されました。確かに、気分は良くなりましたが副作用の方が強かったのです。むしろキレやすくなったり、体重が増えたりキツイことの方が多かったです。
結局、仕事についても神経症から誘発される抑うつ状態のせいで辞めざるを得ないこともありました。夢への道をあきらめざるを得ませんでした。

過労で倒れてそのまま退職と相成ったこともあります。さすがに、あの時は、こんなに一生懸命頑張っているのに何のために私は生きているのだろうと思いました。世の中に貢献できない、オメオメと生き永らえているくらいなら潔く死んだ方がマシかなという思いもありました。

抑うつ状態のために、1年半ほど働けませんでした。医者から命と仕事とどっちが大事かと問われて、即答で「仕事」だと返答しました。本人はカッコを付けたつもりですが、それくらい仕事をして、他人に認められないと不安でした。

実家に送り返されて、布団に横たわるだけの生活が続きました。来る日も来る日も将来への不安が、とくに朝方に込み上げてきたのを覚えています。

来る日も来る日も将来に対して悲観をしていた時ある時、苫米地博士が監修したテレビ番組、「明日使える心理学てっぱんノート」という番組が始まりました。苫米地博士のことは、英語の学習で何となく存在を知っていましたが、番組の中で、元祖コーチと呼ばれる故ルータイス氏が登場していました。

コーチングについて、コンフォートゾーン、エフィカシーという言葉を用いて説明していました。説明がとても論理的かつ科学的で、米軍で使用されているという裏付けがあったので、これは本物の技術だと思ったのを覚えています。

早速、苫米地博士の本を読んだり、故ルータイス氏の原書を取り寄せたりして読みまくりました。ここに状況から抜け出す鍵が隠れているに違いないと直感で感じました。苫米地博士は、英語の先生ではなく、脱洗脳のプロだということもこの時初めて知りました。
そんなこんなで、1年半分が経過して仕事に復帰しました。故ルータイス氏の原書を読んだおかげで英語力がつき、英検準1級に受かりました。また、その時培った英語力のおかげで、地元では滅多につけない貿易事務の仕事に就くことができました。

そんなある時、ルータイス氏が苫米地博士とともに福岡に来るという情報を得ました。仕事が終わってから夜行バスで向かったのを覚えています。

ルータイス氏はテレビでは演出の都合上、ちょっと厳つい感じでしたが、実際に会ってみてとても優しい雰囲気の方でした。その後、東京で開催されたTPIE®講座に参加しました。

TPIE®を受講したおかげで私のエフィカシーが高まったのを覚えています。
で、高まるとどうなるのかというとドリームキラーが生じます。友人や両親、とくに近ければ近いほどドリームキラーに豹変します。

「あなたはおかしいよ」「そんなんだっら社会で生きていけないよ」「もっと現実をみなさい」といわれるようになりました。

その時は、友人たちと疎遠になるのが嫌だったので、その関係から離れられませんでした。これの怖いところは、知らない間に同調してしまい、もとに戻ってしまうということです。せっかく、高いお金と貴重な時間を投資して、セミナーに参加しても結局は現実に引き戻されてしまいました。

さらに怖いことは、私も誰かのドリーキラーになっていたのです。苫米地さんの理論を知っていても、あれはあくまでも理想論で、現実を見ながら、もっと地に足を付けて生きていこうよとアドバイスをしていたことがあります。エフィカシーも低い方に逆戻りです。
ある時、エフィカシーが低いために、無意識が経済的に苦しい方向に進めてしまいました。上で述べたとおり、私は20代の前半に病気になってしまい、経済的に苦しい状況にさらされました。知らない間にお金がないのがコンフォートゾーンになっていたのです。また、将来について悩むこともコンフォートゾーンでした。

そんなこんなで転職して、安定した仕事に就き一時的に自分の想像よりはるかに良い状態がありました。こののんびりとした島根県では他人から羨ましがられる、しかも好きな仕事でした。そのうち、お見合いでもして結婚でもして、幸せな家庭でもと思っていた矢先の出来事です。

無意識はとんでもないことを選びました。ある時を境に、いやなことばかりロックオンするようになりました。その他の、良い部分は本当にスコトマに隠れて見えなくなりました。結果論に、聞こえるかもしれませんがコンフォートゾーンだと思います。コンフォートゾーンが移行していなければ、どんなに頑張ってもクリエイティブに引き戻されるということを身をもって学びました。

また、コンフォートゾーンつながりで、次のような経験があります。安定した仕事に就いていた時に、意識では結婚をして幸せな家庭を築きたいと思っていました。そんなおり、ある女性と仲良くなって結婚を考えました。しかし、これもコンフォートゾーンから外れて無意識がおかしいと考えたのか、わざと嫌われるような行動をとりチャンスを不意にしてしまった経験があります。また周りからお見合いを進められましたが、自分は過去に病気したからというクリエイティブな言い訳を..

B_facebook
B_twitter
B_homepage
Copyright (c) 2010-2020 Cloudlink, Inc. All Rights Reserved. 06
Powered by reservestock