「祈り〜石の記憶・宇宙の歌」に寄せて
私とクリスタルボウルの出逢い
もうかれこれ十数年前のことになります。私は当時学校に勤務していましたが、仕事が非常に忙しく、身体は疲れているのに頭が冴えて眠れないという日が続いていました。音楽が好きだった私は、何か眠りに誘ってくれるものはないかと、毎夜さまざまなヒーリング音楽をインターネットで試聴していました。
そんなある夜、耳で聞いているのに、まるであたたかい液体のように全身に流れ込んできて、からだとこころがいつの間にかふわあっとゆるみ、心が穏やかに落ち着いていく不思議な音に出逢いました。それがクリスタルボウルとの出逢いでした。
それから数年後、教え子たちの卒業と同時に教師の仕事を辞め、あてのないままアメリカに旅立ちました。旅先は夢に名前が浮かんできたアリゾナ州セドナ。ネットで予約した宿に到着してみると、その宿の瞑想室に二つのクリスタルボウルがあり、管理人氏の「あれは君のものだよ。ここにいる間、自由に弾いていいんだよ。」という言葉に驚き、どきどきしながら初めてクリスタルボウルに触れたのでした。
見よう見まねでマレットで触れてみると、優しい音が応えてくれました。やがてボウルが大きく歌いだしました。美しいハーモニーが私のからだの中に流れ込み、全身の細胞が振動していきました。音として、身体の経験として、エネルギーの体験として、ただただ心地よく、私は魔法をかけられたように、うっとりとその心地よさを味わっていました。音たちは私の体だけでなく、螺旋を描きながら部屋の中を楽しそうに飛び回りはじめ、やがて部屋中が心地よい振動で揺れていきました。それはまるで、振動する美しい繭の中にいるような、恍惚とする体験でした。
2.アルバム『祈り〜石の記憶・宇宙(そら)の歌』
旅から帰って自分のクリスタルボウルを迎え、いつしかみなさんに演奏を聴いていただくようになりました。その日その場所での即興を基本として活動してきましたが、お客様から自宅でもクリスタルボウルの音が聴きたいというお言葉をいただくようになり、CDづくりに着手しました。が、なかなか納得がいかず、一旦制作を延期にたところで東日本大震災が起こりました。
東北に住んでいた私は、しばらくは毎日がただただ必死でした。日々の暮らしをしつつ、時々支援やボランティアに出かけながら、次第に私はこの人生をどう生きたいのかと考えるようになりました。今日と同じように明日がくるとは限らない。いつだって今日が最後の日かもしれないのだ。だとしたら今日、やりたいことは何なのか。ここまでの人生で、やろうとしてやり残していることは何なのか。
震災から受け取った「今日が最後の日だったら?」という問いかけは、「やりたかったことを先延ばしにしない」という答えになり、震災後に訪ねた地元宮城や福島でいただいた「ぜひCDを」という言葉に後押しされて、再びCD制作に取り組むことにしました。不思議なもので、そう思った途端、協力して下さる方々と出逢い、多くの方々に支えられながらこのCDを完成することができました。
CDの前半は震災以前に録音していた、私にとっての原点と言える曲たちです。演奏するたびに浮かんでくる、古代の日本、とりわけ天平時代の奈良の映像や土の匂いを感じながら演奏しています。5曲目からは、震災後の曲です。自然の猛威の前に人や町や村や暮らしや風景、多くの日常が失われ、その喪失の後の涙も出ない茫然自失の後に、少しずつ始まっていった生活の中で、出てきた音、曲たちでした。
CDタイトルの『祈り〜石の記憶・宇宙(そら)の歌』は、クリスタルボウルが伝えてくれた言葉です。クリスタルボウルは、この星の歴史を眺めながら宇宙と交信してきた、寡黙で思慮深い叡智の存在であり、私にとってはこの地球の大切な家族です。このCDを通して、鉱物界の深い愛と叡智を感じていただければ幸いです。