3594_banner_image
Logo_flower
3397_img_9455
Expert_s

PROFILE

天国の愛と祝福を届けて、心と体と魂を恐れから解放する

天国のメッセンジャー

大津真美

長崎県在住

大学で教育心理学を専攻し、卒業後、福岡県久留米市内の精神科病院にて心理士として一年半勤務。ここで、精神的な危機を迎えるが、同期の心理士と患者様との出会いによって奇跡的に自分を取り戻す。ありのままの自分を許し、受け入れ愛することが精神的な危機から自分を救う唯一の方法であるということを友人の心理士に教えられ、また同時に精神の病さえも侵略できない神聖な領域が人の中にはある、ということを患者様に教えていただく。

 

その後、心の声に従って癒しの道に進み、マッサージ、アロマ、オーラソーマなどのセラピストとして約10年活動する。2005年には小さな店舗を借りてアロマサロンをオープン。5年後アロマサロンが経営難となり2010年サロンを閉鎖。セラピストも諦め一般の会社にパートとして勤務するようになる。大きな挫折感とともにセラピストとしての自分、癒しの道を諦める。「自分の好きなことを仕事にすると家族に迷惑をかける」という体験に基づく信念で自分の本当の気持ちを封印して数年を過ごした。

 

2013年、母の突然死をきっかけに、「明日死んでも後悔しない?」と自分に問いかけた結果、まだまだやり残したことがあると癒しの道へ戻ることを決意する。オリジナルの癒しのコーチングメソッドを構築し、悔いなく自分を生き切るお手伝いをするべくライフコーチへ転身。オリジナルのコーチングメソッドは大変好評で全国のお客様にオンラインセッションや講座で貢献した。

 

2019年10月念願かなってアラン・コーエン氏のライフコーチ養成講座を受講し、2020年4月アラン・コーエン認定ホリスティック・ライフコーチの資格を取得。現在に至る。

 

最幸の未来ダイアリーの基盤となった未来スケジュール帳を創るワークショップは、2014年12月にリリース。たくさんの方の夢の実現に貢献してきた。2020年、「風の時代」への大きなエネルギーの変化とともに講座も手帳も進化し最幸の未来ダイアリーが誕生。すでに、講座によって人生の喜びを見出した!と喜んでいただき、「この講座を作ってくれてありがとう!」と感謝の声をいただいている。

保有資格等
小学校教員免許

プロフィール

 

 

My ストーリー

私が大学を卒業して就職したのは、福岡県久留米市内にある大きな精神科病院でした。心理士として採用され、主に心理検査、心理カウンセリング、グループセッションのナビゲーター、作業療法の補佐などが業務でした。

 配属されたのは、院内唯一の閉鎖病棟。デイケアも入れると、9つも病棟がある中で、一番重度の患者さんがいる病棟でした。大きな鉄の扉で閉ざされた中に、右も左もわからない無知な21歳の私は、たった一人放り込まれたのです。

 

 重度の精神疾患を抱える慢性患者さんのための閉鎖病棟だったので、最初は、とても緊張しましたが、そこには意外にも、のどかな時間が流れていました。

 とはいえ、急変すると、暴れたり、自傷行為をする方も多く、そんな時は、私は関わることができないので、遠くから見守るしかできませんでした。

 

 今でも患者さん一人一人の顔が眼に浮かぶのですが、その中でも忘れられない特別な患者さんがいらっしゃいます。

 私が一番好きだった患者さん。彼女は精神の病のため、いつもどこか違う世界で、怖い眼をして、誰かと戦っていましたが、ふと、こちらの世界に戻ってきた時に、私を見かけると、必ず優しく話しかけて下さいました。

 

 私が今でも忘れられないのは、今日が最後の出勤日という日。

 

 私は、大好きだった、その患者さんに挨拶がしたいと思い、様子を伺っていました。

 彼女は、いつものように、怖い眼をしてあちらの世界に行っていて、誰かと戦っているようで、ブツブツ独り言を言っています。もうすぐ、最後の勤務時間が終わる・・・という時、彼女がふっと、こちらの世界にかえってきてくれたのです。

 

  そして、こちらの世界に戻ってきた彼女は、いつものように私に話しかけて下さいました。私は、すぐに、今日が最後だと別れを告げました。いつも、一瞬でまた、あちらの世界に帰ってしまうから、そうなる前にどうしても、さようならと、ありがとうを伝えたかったのです。

 すると、別れの言葉を聞いた彼女は、私に向かって、こう言ったのです。

 

私は、もう一生ここから出られんけど、

 あんたは、外で、幸せにならんばよ」

 

 ほんの一瞬だけ戻った、「本当の彼女」で発せられた言葉でした。

 

 この言葉は、病さえも侵すことのできない、彼女の一番神聖な領域から発せられた言葉だったのです。その彼女の神聖さと、この言葉が、今でもずっと心に残っています。

 

 苦しみの中にいながら、それでも純粋に人の幸せを願う彼女の言葉に、

「自分に代わって、幸せになって」と託されたような気持ちになりました。

 

 自分の実力のなさと未熟さに押しつぶされ、1年半の間に、自信というものが、木っ端微塵に砕け散り、いい感じに鼻をへし折られ、体調を崩して実家へ逃げ帰るように退職届けを出し、この日を迎えた私にとって、この言葉は、重くて、深くて、何だか切なくて、でも愛を感じて癒されて、何とかまた立ち直ろうという思いをくれたのです。

 

 そして、この日から「私は、幸せか?」「どちらに進めば、私は幸せなのか?」「どうしたら私は幸せを感じるのか?」「幸せとは何か?」と自分に問いかけ、人生を選択していくことが、私の最優先事項になりました。

 

  また、あのとき彼女の中に見た、病さえも侵すことのできない、人の一番神聖な領域が、自分の中にもあるのではないか、自分の中にその領域を見つけられたら、幸せになれるのではないかと思い、私の自己探求の旅が始まったのです。

 あれから、20年。20年の時を経て、たどり着いた真実は、

「私たちの意識の源が、愛である」ということ。

 そこから、幸福も喜びも調和も、平安も静寂も、情熱も夢も、癒しも慈愛も創造性もアイディアもヴィジョンもやってくるのだということ。

 それを大切に、それを信頼して人生を生きることをサポートするのが、今の私の仕事です。