
PROFILE
クリーンクリエイター
アントニオ猪木「道」
この道を行けばどうなるものか。
危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足がみちとなり、その一足が道となる。
迷わず行けよ、行けばわかるさ。
トラックドライバーから、
エアコンクリーニング屋になるまで
「 小学生の頃に書いた言葉 社長になりたい 」
10代、20代と
何も考えることなく気がつけば、
運転免許を取得しトラックドライバーに。
仕事はハードだけど収入も安定していました。
休みはカレンダー通りではないものの
しっかりと休みはあった。
そんな生活の中で毎日を過ごし
「 小学生の頃に書いた言葉 社長になりたい 」
そんな思いも忘れかけていました。
あ〜なんかつまんないな!
このままずっとトラックドライバー続ける?
という疑問を持ちつつも
何も行動することはしなかった。
そしてある時、
自分の生き方を考えなおさせる出来事が起きた。
2002年12月 33歳 飲酒運転で免許取消
当時、僕は福島県郡山市に住んでいました。
仕事帰りに近所の居酒屋で
仲間と楽しくお酒を飲み、そして何も考えずに車を運転。
お酒を飲んで車の運転をすることはダメなことは知っている。
すぐ近くだから・・・
大丈夫、捕まらない・・・
そんな甘い考えからつい車を運転してしまった。
捕まった時は酔っていたこともあり
気持ちが大きくなっていてその場をやり過ごすことができた。
翌日からは地獄の始まりだった。
車の運転ができないので仕事はクビに!
運転免許を再取得するのに2年もかかる。
罰金がくる。
都会と違い田舎では運転免許は生活費需品!!
車の運転ができない日常は考えられなかった。
移動手段が車から自転車へ、途方に暮れた。
どうしよう・・・。
なんてことをしてしまったんだ。
後悔しても役に立つはずもなく
ただ時が流れていくだけだった・・・。
仕事を探さなくちゃと思っても
いい条件の仕事は運転免許は必須だった。
必然と収入面も条件も下げざる得なかった。
運転免許がないだけで仕事の条件を下げなくては
ならないなんて気持ちがボロボロなっていく。
あーこのまま人生終わっちゃうのか?
不貞腐れていく日々は続く。
ただ流れていく日常の中で忘れかけていた
小学生の頃「社長になりたい」という熱い思い。
ふと湧き始めた忘れかけていた思い。
このままでは終われない!!
このままで終わりたくない!!
そう強く思ったのを覚えています。
色々なバイト、仕事を転々として
仕事に集中できていない。
頭の中を駆け巡るのは、
このままでいいのか!という言葉。
そして、ある夏の日の深夜・・・
自宅で求人誌を見ていた。
見つけたのは手に職をつける!という文字!
電気を消して窓から空を眺める。
月に向かって叫びたい気分になった。
運転免許がないってだけで
いつまで
不貞腐れているんだ!
本当にこのままでいいのか!
手に職がつけられる仕事につき!やってやる!
と決意!
決意したのはいいものの
求人誌を見るも技術職は???ばかりで・・・。
運転手の経験しかなかった僕にはハードルが高かった。
そしてバイト、職探し、バイト、職探しの繰り返し・・・。
なんとかしてこの状況を乗り越えるために
ひたすらバイト、職探し、バイト、職探しの繰り返し・・・。
日常は変わることなく
毎週出る求人誌は、毎回同じ企業の求人・・・。
また同じかー。
あーなんかいいのないかなー。
情けなかった・・・。
でも諦める訳にはいかない!!
なんとかこの状況を脱出したい。
そんな状況の中
新聞の折り込み広告の中に求人広告が入ってきた。
どうせ似たような求人だろうなと思って、
ささっと目を通した。
未経験大歓迎、誰にでもできるとの文字が目に入る。
募集内容は大手ゼネコン、清掃の仕事と・・・。
掃除の仕事?
未経験、誰にでもできる。
まー。掃除なんで誰でもできるよね。
そんなことを思いながら
事務所の住所を見たら家から近い。
自転車でもいける。
棚卸し、荷分け、工場などの仕事に
飽き飽きしていたので軽い気持ちで
清掃の仕事でもやってみるかと面接を受けに行った。
2004年2月
清掃の仕事をアルバイトから始める
清掃の仕事・・・。
工事現場での掃き掃除、ゴミ拾い・・・。
想像していた清掃の仕事とは、かなり違った。
肉体労働ではないからそれほど疲れる仕事ではない。
しかし、位置に掃き掃除とゴミ拾い・・・。
1日の労働時間がすごく長く感じた。
こりゃダメだ・・・。
早いとこ別の仕事を探そう。
1ヶ月くらい経った頃に
現場の監督からいつもキレイにしてくれてありがとう。
と言われて、ビビった。
そんなことを言われるなって思ってもみなかった。
掃き掃除とゴミ拾いでお礼を言われるなんて
思っていなかったからびっくりした。
適当に掃除してなくてよかった。
たまには手抜きもしたけれど・・・。
なんか嬉しくなった。
キレイにする仕事っていいなって、はじめて思った。
その後、
退去後の清掃、引渡し清掃など掃除の仕事が色々あることを知った。
その中でも在宅清掃は楽しかった。
掃除が終わればダイレトにありがとうと言われ
すごく充実感があり、やりがいがのある仕事だった。
仕事にもだいぶ慣れてきて
掃除の仕事でやっていくのもありかな思い
思い切って関東で仕事をすることにした。
2006年5月
個人宅専門のハウスクリーニング会社に入社し
はじめてエアコンクリーニングを教わる。
エアコンって洗えるんだ!洗っていいんだ!
エアコンクリーニング誰が考えたんだろう。
これは技術職だ!考えた人すげー!
感動したのを覚えています。
エアコンクリーニングができるようになりたい!
エアコンクリーニングを覚えたい!
エアコンクリーニング!
先輩たちの作業を見ていると簡単そうに見えたが
見ているのとやるのとでは大違いで
実際に作業してみると、これがまた難しい。
エアコンの本体カバーを外すのに時間がかかり、
ビニールで本体を養生するも隙間から水が漏れる。
先輩たちと同じようにやっているのにうまくいかない。
何度やっても、同じようにやってもうまくいかない。
センスがないのか、不器用なのか・・・。
思うようにエアコンクリーニングをできるようにはならなかった。
何がダメなんだ!
思い悩んでいたある時、同僚からもっと大胆にやれば!と一言。
え!壊れちゃうよ!と思いながらも
そう言うなら大胆に行きますよ!!
思いっきりやってみた。なんかすんなりできた。
カバーが外れない、基板に水がかかったらどうしよう、高圧洗浄もビビり!
壊しちゃったらどうしよう。
エアコンクリーニングに対する心のブロック!!
大胆にやればの一言で心のブロックは解放され
それからメキメキとエアコンクリーニングの技術は上達していった。
当時、エアコンクリーニング時給1万円!
なんて広告も目にした。
手に職、時給1万円の技術を身につけたそんなことも思った。
そして
エアコンクリーニングの技術、手に職をつけた僕は
2018年11月
・エアコンクリーニング、風呂釜洗浄に特化し起業した。
起業したのはいいが待っていたのは、お客さんが集まらない日々。
当時の僕は、時間をかけて磨いた技術を
どのようにお客さんに伝えていいのかがわからなかった。
仲間に声をかけ仲間の手伝いを始め日々を過ごす。
それはそれでよかったが、思い描いていたような仕事ではなく
これじゃ会社員と変わらないな、と感じててつまらなかった。
そんな時
マッチングサイトに登録してみればと仲間から言われた。
当然仲間も登録をしていて仕事も来ていたが・・・。
本当にくるの?
お金かかるんじゃない?
胡散臭さを感じつつもサイトに登録をした。
マッチングサイト担当者から電話があり
説明を受け審査。
暮らしのサービスをオンラインで予約できるサイト
エアコンクリーニング、ハウスクリーニング、不用品回収など種類も豊富だった。
先ずはマッチングサイトで開催している講座に参加した。
そこではページの作り方やペルソナなど色々と教えてくれた。
早速ページ作りに取り掛かった
素直に教わった通りにページを作ったら
なんと
1ヶ月目から
お客様がいなかった、クチコミもなかった、僕にも予約が入るようになった。
2ヶ月目には
30万円ですが、収入を得られるようになりました。
3ヶ月目で、
50万円の収入を得ることができるようになった。
エアコンクリーニング繁忙期には
100万円の収入を得ることができ、そして今現在は口コミも800件を突破した。
辛いことも、痛いことも、悩んだこともたくさんありました。
貯金が底をつきかけ、来月の生活費はどうなるのだろう・・・
手に職をつけそんな状況から抜け出す掃除という武器を見つけました。
今、僕は、
またお願いしますね〜。ほんと助かった。お願いしてよかった。
このような嬉しい言葉を頂きながら仕事している。
キレイにする仕事だからこそ見られる笑顔がある。
これからもお客様を笑顔にするために
この仕事を続けていきたい。
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