PR

PR

6798_リザスト-header-osamu
40558_20220527screenshot00001

PROFILE

誰かの役に立つお客様のサポート

髪神の使い意識療法士

上之園 恵美子

子供の頃は

周りと群れるのが苦手

友達も多いけども一人が好き

ピアノを弾いたり

バレーボールを壁打ち

ずっと日が暮れるまでしているような子でした

嫌いなことは、まったく入らない

人と同じ制服やランドセルは、着るだけで気持ちが悪くて付けられなかった

祖父が25歳から、半身不随だったので

寝たきりで、境界線を感じなかった

なんで、ここにいるんだろう?

みんな人は、同じ気持ちなんだろうか?

とか?

不思議な経験や思いがあった

思春期の頃は

自分軸があり

友達はすごく多いけど

行動が自由すぎて

授業を受けたくない子を集めて、鬼ごっこしたりとか?

自由で、中学校がとにかく楽しかった

高校は、アルバイト三昧で、ブランド服が買いたくてお金を稼いでいました

高校時代までのバイト経験とかで、人や社会慣れしていた

横行を卒業してからイオンに働き始めて

18歳で入社したばかりのときに、パートのおばちゃんたちのいじめの洗礼を受けた

パートのおばちゃんたちの言われるまま仕事をしてたら

身体も心も疲れ切って仕事を止めて実家で療養。

そのうえ、初めての恋愛は職場の上司で年上。

彼氏に二股かけられていたを知らされたのは、

彼の結婚式の1週間前で、職場の他の同僚からでした

それ頃に、友達が交通事故で死んで、心が沈んで

家に1年ぐらい引きこもってしまった

青森に、一人で滝にうたれに行った

人は、行動を起こさないといけない!と気づいた

そこから、

役場と商工会とAコープの3つのバイトを時間差で1年ぐらい続けた

そして

大きな問屋に事務でつとめた

ブライダルハウス

26歳で、美容学校に通信制で入学

働きながら3店舗をはしごして修行した

32歳で美容室を開業

35歳で結婚、長男を出産

出産後、美容室の経営を縮小して育児中心の生活に変える

38歳で次男を出産して、ほぼ専業主婦になる

41歳で離婚

シングルマザーとして子育てのために、美容商材の問屋に正社員で働く

その2年後、仕事が大変すぎて

とパートとして勤めながら美容室を再度開業した

10年間、パートをしながら美容室をつづけた

生活苦で、すべてやめて、大きい美容室に転職した

その美容室の仕事が辛すぎて半年でやめて、実家で美容室を開業する

コロナもあり、仕事がうまく行かないので苦しんだ

③メンターとの出会いは、

(どんな迷いや悩みのときにメンターとであったのか?)

離婚後、常にお金!お金!の悩み

そんなお金にとらわれているのに、

だまされて借金したりから抜け出せなかった

 良い人でいようと

自分を苦しませ続けた

その後、

スピリチュアルの専門職、意識医学の創設者のメンターに出会う

 友人の紹介でメンターの治療院のことをしり

スピリチュアルの専門職 意識療法士Ⓡのスクールがあることを知ると

好きな魂の世界を学ぶことを決めた

思えば、私は、自分の人生において

直感で決めたことは、すべていい方向に向いてきた

でも、それができなくなっていることに気づいた

自分の直感で生きることができれば幸せになれるのが分かっていたのに

それができなくなっていた

意識療法士Ⓡになればその感覚をとも戻し

子供の時みたいに、自由に生きれるのではと直感した

スクールで意識医学Ⓡを学び始めた時は

中学、高校と部活や行事に時間が自由にならなかった

お金のことも心配だった。

でも、スクールで学び始めると

スピリチュアルセラピストとして

学び成功することを疑わなくなっていた

 宇宙の真理やスピリチュアルセラピストとして自立した生き方を学ぶと

心配するよりも、カラダが動いていた

楽しいとワクワクする、リトリートなど

お金は何とかなると思えるようになっていた

考え方にも余裕が当たり前のように

持てるようになっていた

それが意識の成長がとおもえるようになっていた

⑦未来への貢献や自分の使命

(今後、どんな世界を創りたいのか?どんな人を、どんな風に幸せにしたいのか?)

お金のこととか考えることをやめて

世界中中を飛んで回れるような生き方ふぁしたい

わたしは、美容師時代から

人の髪、頭とかに触れると

その方のことが分かってしまう

そんな体験を何度もかんじています

ぜひそれを生かした

かみかみメソッドで人を幸せに導いてあげたいです

保有資格等
意識療法士Ⓡ

意識医学Ⓡリトリート療法士

美容師