こころのレスキュー大賞◎応募作品◎

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こころのレスキュー大賞

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【エントリー01】
伊藤 麻衣(いとう まい)

作品タイトル : 大切な人

エピソード
わたしは、10年以上前に統合失調症を患いました。その時は身体はアトピーで栄養もろくに摂らず、友人といざこざがあり大好きな彼が無職で将来が見えなくなってました。それが発症のきっかけだと私は思ってます。この10年で問題をひとつづつ解決していきました。まずは、健康的な食事で栄養をとり、ゆっくり睡眠をとり、お薬をちゃんと飲んで、彼は就職が決まり、友人とは離れて新しい友人や仲間達に恵まれました。今は、本当に毎日が幸せです。大好きな彼にご飯を作り家事をして完璧ではないですが世話焼きをして、友人達と交流をもって楽しく暮らしてます。その当時の私に言ってあげたいです。未来は自分で切り開くものだから、安心して楽しんで歳を取ってくださいと。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? :
どんな職種・お仕事をされていますか? : 経理
今回の応募は自薦/他薦ですか? :自薦



【エントリー02】
櫻井 朋子(さくらい ともこ)

作品タイトル : ツインレイ

エピソード
ツインレイとの出逢いは11年前のことでした。
突然のメールに驚いて返信したところ精神的に
参っているとの話でした。当時彼のことは認識していたのですが、まさかメールが来るとも思わずに過ごしていました。予兆的なことはあったのですが、、、。元彼からしょうがないなぁと言いながら亀を渡される夢を見てから2.3週間が経っていました。その夢は鮮明に覚えています。亀の夢はスピリチュアル的に吉報とのことでした。ただ私は、夢で元彼に逢えて嬉しかったのです。それだけのはずでした。それから秋口までメールのやりとりをしました。当時のツインレイはとてもかわいくて今思えば息子のようなとてもかわいくて仕方ない存在となっていました。当然前世では息子だったようなのですが。それは後からわかったことです。ただ自然な存在として彼はいました。あれから11年私は寝ている間に彼とひとつになりました。言ってみれば身体が球体に包まれるような感覚でした。ツインレイとは自分のことを好きになれた時初めて出逢えると聞きますが、まだまだ自分の事が好きになれてないせいなのか、出逢えてはないのですがこの出逢いには感謝しています。こんな体験ができる人はあんまりいないと思うので。土の時代から風の時代に入り、皆さまにもそのような出逢いがあることを願ってやまないです。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? :
どんな職種・お仕事をされていますか? : パート
今回の応募は自薦/他薦ですか? :自薦



【エントリー03】
松下 萌(まつした めぐみ)

作品タイトル : マイナス思考だった私

エピソード
はじめての妊娠出産。何もかもが新しく新鮮。仕事柄赤ちゃんには触れる機会があるが我が子は違う。はじめての育児に戸惑いながら毎日を過ごす日々。夫の帰りは遅いことが多く頼るに頼れない。そんな日々に私はいっぱいいっぱいになり気づけば涙を流す日々を送っていた。些細なことに怒れ周りに当たり嫌な気持ちにさせていた。そんな中でも夫は冷静に物事を1つ1つ解決していけばなんとかなると言って私を諭してくれた。私にとってなんとかなるはこの人生の中であまり考えたことがなく計画的に物事を進めていきたいと思う性格だった。しかし夫はなんとかなる精神で今まで生きてきたようだ。私には何にも考えずに行動するなんて考えられないが彼にとっては普通のことでそうやって生きてきたのだ。結婚して夫婦となり一緒に暮らし考え方の違いに戸惑いながらもそんな考え方もあるんだと驚きその方がうまくいくこともあるんだと知る。今まで知らなかった考え方や物事の進め方を知ることができる。出産子育てをはじめて経験し未知の世界。うまくいかなくてそれでもがむしゃらに頑張って頑張りすぎて誰かに頼ればいいのに強がって。そんな時近くで見ている夫は必要な時に声をかけてくれる重要な存在だ。誰かといるのはいいことだと思う。夫婦2人でいれば2つ以上の考え方があるわけだし子どもが増えればそれだけ考え方がまた増える。子育てを少し重く考えすぎていたのかもしれない。もっとゆるく頭も柔らかくうまくいかなくても失敗してもいいんだという気持ちで。子育てに限らず人生には答えも正解もなく自分自身で作り上げていくものだと思う。これからの家庭がますますうまくいくようにいろんな考え方方法でよりよく探していける方法を考えていきたい。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? :
どんな職種・お仕事をされていますか? : 保育士
今回の応募は自薦/他薦ですか? :自薦



【エントリー04】
川島 英明(かわしま ひであき)

作品タイトル : 火災保険が効いた

エピソード
自分、統合失調を病み、もみの木というとこから自立してアパート
その何年か?後であった、パソコンを友人と見てるとアパートで、友人がタバコ吸ってる間に足元の友人のパソコンを踏みつぶしてしまった。デジカメも壊れたらしく、弁償してくれと、、参ったオイラは火災保険の電話番号だけ書いて渡すと翌日、友人が「ちょっと待ってなんとかなりそうだ」と電話をかけた。結局はパソコン本体が68000円するのでそれと
デジカメを合わせた金額を、火災保険が払ってくれることになった。助かった。これもヤバい所から、降りてきた感じだった。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? :
どんな職種・お仕事をされていますか? : 作業所作業員
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー05】
森 明美(もり あけみ)

作品タイトル : 今日もかたつむりいつかは殻を出る

エピソード
外に出る勇気が無くて。足が動かない時。
無理に引きずって外に出て、周りの人達の視線が刺さる。そんな時、学校に会社に行ってないといけないのに。って自分を責めている。自分が自分を追い詰めて。ダメだ行けない自分。そして連れて行けなかった親や家族に申し訳ない。と、また攻めて。よく、考えたら自分が自分を、守っているつもりで自分を
攻めていた事に気がついた。自分を自分が好きになれなくなった私がいる。そんな時、誰かの小さな優しさ、些細な幸せに全く気がつかないで。肩にゴミがついてますよ。と、取ってくれた人にパンと叩いて触らないで。と言ったり、大丈夫?と言われたら大丈夫じゃないんだ。って言う。自分は自分を守る為にカタツムリになっていた。自分を守る為に殻にこもってね。お家にこもって悔やんだり責めたりするのはもう面倒だ。お家時間を大事にして。未来の自分の為に、楽しんで自分を育てる事にしたよ。人から助けを求めていたけど。自分がまず自分を大事にして。新しいかたつむり、お家時間を大切にする。未来の自分のために時間を大事にして行く。いつかきっと会える新しい自分。それに気がついた。新しい自分にもっと褒めてあげたい。
かたつむり生活始めよう。そしていつか
その殻を脱いで歩いて行ける日を夢見て。
二人かたつむりを、我が家から育てている。一人は、高校へ一人は高校から専門学校へ
そして夢を叶える為に養成所へ一人暮らしを始めた。カタツムリよりかたつむりになって皆んな成長している。気がつかないけど小さな幸せ。沢山ある事に気がついて。小さな親切プレゼントされてたのに、気がつかないで
もしかしたら過ごしているかもしれません。
新しい自分を、信じてカタツムリ生活。
君の自分を守る勇気。その力を夢に向かう勇気に変えられる。自分を大切にして下さい。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? :
どんな職種・お仕事をされていますか? : お母さん
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー06】
袴田 奈月(はかまだ なつき)

作品タイトル : 言葉のクスリ

エピソード
 「死ね」「キモイんだよ」。
 このクラスの人々は、言葉を知らない。『おはよう』という言葉を知らない。『○○ちゃん』という代わりに、『ゾンビ』『キモイ、死ね!』小学校で6年間くらいそんな生活をしていたら、ある日、布団から出られなくなった。頭痛と微熱。PTSDという診断を得るまでに、内科や温感マッサージのお店や、神社でのお祓いまで、転々とした。

 スクールカウンセラーは、信用ならない。学校とつながっているから、所詮学校の味方をする。『学校に行きたくない、学校が嫌いだ』と、本音を言ったのに、ほら、怒られた。そういう心の機微を思春期の胸は痛いほど敏感に感じ取るから、よけい頭が痛くなる。
 ある日のこと、家族の留守中に、かみそりで腕に十字を斬った。血が噴き出して、痛いけど、そのヒリヒリした痛みが、まだ生きているんだと知らせてくれる。そうでもしないと、実感がないくらいの闇なのだ。生きてるのか死んでるのかわからない。死にながら生きている。この傷口は、闇のトンネルに差す一筋の光、突破口。血は、浄化水。きもくてうざくてゾンビな私を、浄化する。こうでもしないと、私は、価値がない、汚い、そんな闇だった。

 「学校なんか行かなくていい。偉い人にならなくていい。生きていて」。病院の帰り、母が、そう言って抱きしめてくれた時、久しぶりに、血以外の確かな熱を感じた。ひりひりする傷口に、手当のクスリを塗ってくれる時、しみて、よけいに泣くダダっ子のような私を母はまた抱きしめてくれた。いつまでも、抱きしめ続けてくれた。そして、「学校なんか行かなくてもいい」を実行するように、私に学校の代わりに読み書きを教え、美術館や山登りに連れて行ってくれて、感受性を守ってくれた。

 傷が癒えていったのは、時間のせいと、そして家族の温かさだろう。『高校生になっても、胸の中には小学生の頃の自分がそのままいて、いじめられている自分がいて、泣いている。そして、許そう、私も自分の体とお母さん、たくさんの人を傷付けたから、もういい、前に進もうとしている。赤ちゃんみたいな心の中の自分をあやして、闘っている』。そう伝えたとき、母が少し微笑んで「あなたは、そういう感覚を言葉で伝えてくれるから、深刻な話だけど、ちょっとおもしろい。そういう才能があると思うわ」と言ってくれたのだ。
 うれしくなった私は、その足で童話を書いてコンテストに応募してみた。ユーレイが主人公で、(私の心は一度は死んだから)あの世のトモダチのことやボヤキのあれこれをつぶやいていく、そんな話で、結果的にそれが入賞したのだ。そしてその授賞式で、作家の先生たちが手放しに誉めてくれたこと。作品を通して、10代の私と対等に語り合ってくれたことがうれしくて、その後も作品を応募し続けることで、自信を取り戻していった。

 今もまだフラッシュバックに悩まされることがある。口喧嘩の場面とか、『死ね』という言葉が漫画などでも安易に使われていることに心が痛む。そんな時には「『死ね』などという悪い言葉しか知らないの?お上品に『お亡くなりあそばせ!』とでもおっしゃったら?」などと心の中で念じてみるのだ。そうすると、頓服薬を飲んだ時と同じくらい心が落ち着く。
また、当時はいじめという形でしかかかわれなかったけれど、「本当は仲良くしたいのに、言葉が見つからなかった」とのちに明かしてくれたかつてのクラスメートと、創作童話の中では仲良くしてしまう。言葉で記憶を書き換えるのだ。受賞の知らせが届くたび、両親も喜んでくれて、「よかったねえ」と抱き合う。少し小さくなった母の体は今も温かく、生きていてよかったと思う。あの時の十字の傷は今も白く残るけれど、それは痛みを知った分、人にやさしくなることを忘れないように。心の傷は、言葉のクスリでふさげ。そして今度は、人に薬を塗ってあげられる立場になろうと、この春から、私は心理学を勉強している。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? :
どんな職種・お仕事をされていますか? : 工場勤務
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 袴田せつ子



【エントリー07】
松岡 由衣(まつおか ゆい)

作品タイトル : お守りのような人でした

エピソード
これはわたしが大学生の頃の話。
私は看護師を目指して勉強真っ最中でした。
そんな中、大きなきっかけはなかったものの、勉強でハードスケジュールな毎日や「頑張らなきゃいけない」という思い込みで押しつぶされそうになっていました。時には家のシャッターもドアの鍵も閉めて家に閉じこもり、友達や家族に心配をかけるほど。
私にはその頃、同志の親友がいました。同じ看護学部でお互いの一人暮らしの家も近い女の子でした。
私が辛い時、ふらっとわたしの家に現れるのです。温かいココアを買ってきてくれ、差し出し、いつも大袈裟なくらい笑っていたのです。心が寂しいときのあたたかい飲み物は沁みます。心が寂しいときの親友の笑顔は私のお守りでした。
ある日は夜中一緒に勉強していて行き詰まり、0時に彼女に連れ出され、自転車であてもなく爆走しました。ある日は、歌手志望の彼女が歌を歌って応援してくれました。彼女と一緒にいれば悩みも疲れも吹っ飛びました。彼女はいつも笑っていた。笑い声が私の耳について離れないくらい。私はそんな人彼女にたくさんの『ありがとう』を伝えました。
そんな私も今は看護師として働いています。
次はわたしが誰かの光になれたら幸いです。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? :
どんな職種・お仕事をされていますか? : 看護師
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー08】
福島 夏樹(ふくしま なつき)

作品タイトル : 激流

エピソード
ドラマ『激流』を見た時に思い出した事を語ります。
ドラマ『激流』は中学時代、修学旅行中に班行動していた6人グループの内、1人が失踪し、そのまま行方がわからなくなりました。行方がわからなくなってから20年後に行方不明の子の宛名で6人にメールがきて、それから6人が激流のような不幸な出来事に遭いながらも苦難を乗り越えていく話でした。(行方不明の子は結局亡くなっていた。)

結末は、行方不明になった子の母親が6人にメールを送っており、6人がようようと活躍する姿を憎み、6人に近い人をそそのかし、不幸に陥れた事がわかりました。

そのドラマを見てから。私もSNSから同級生を見つけ、中学時代に私を首吊り殺そうとした連中を見つけて復讐してやろうと思っていた事を思い出しました。

正直言うと、今でもそいつらを憎くて仕方がありません。八つ裂きにしてやりたいです。
奴等は今、いい生活を送っていると聞くだけに尚更。奴等は私を殺そうとしたのみならず、中学卒業後の高校時代、私と親しくなった高校の友達をカツアゲしたり、私に関係ない奴等を陥れた最低な奴等なのです。

だから、ドラマで行方がわからなくなった友人を見放した6人に復讐する母親の気持ちはわからなくありませんでした。

しかし、同時に復讐したい気持ちが過去形になり、私は救われたのだ、とも思えました。

中学時代、自殺をしようとした時に止めてくれたアーティスト、BUCK-TICK。
10年前、BUCK-TICKのコピーバンドに加入する事ができましたが、そのリーダーだった人からこんなことを言われました。

『もう君は、10代の忌々しい不幸を充分取り返したんじゃないか?』

振り返れば、こんな逆恨み野郎で現在、安月給の福祉職員な私と結婚してくれたカミさんと出会ったり。
高校で私と出会った為に、奴等の恐喝に巻き込まれたにもかかわらず、今でも音楽仲間としてつるんでくれた親友。
音楽を始めて格安でライブの場を提供してくださり、今でも誘ってくれる人の存在。何よりライブをしたらみにきてくれる仲間。

さらには、あの頃わかりあえなかった小、中学時代の同級生との再会。
また、ギターを始めて下手くそなのに、ギターを教えて欲しいと慕ってくださる人や新たな町で知り合った音楽仲間。

小、中学の私しか知らない連中は、『刑務所生活かホームレスになっていると思っていた。』と言っていましたが、期待を裏切れましたし。

ようやく、10代の危機を脱したのだと振り返る事が出来ました。
まだまだ私も激流に飲み込まれる出来事に遭遇するのだと思います

ようやく奴等に復讐する為に時間を割いて今の地位を失くすのなら、今の出会いを維持しながら成長する事に費やす方が良いのかも?と思えます。好物のサバ鍋をやりながら酒を飲み、好きなドラマを見る時間がある事に、幸せを感じます。

この夜に乾杯
こんな根暗な私ですが、これからも宜しくお願いします。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? :
どんな職種・お仕事をされていますか? : 児童指導員
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー09】
片岡 未央(かたおか みお)

作品タイトル : いなくなったはずの私

エピソード
私と夫は、夫の最後の日の三日前、身体を引きずって四国に向かった。何をしても効果がなく、有名な病院をいくつ回っても原因がわからない。激痛の頭と全身のしびれに、私が夫を抱っこして新幹線に乗っていた。初めて向かうのは友人から聞いたお坊さんの庵。小雪が降る曇天の寒い午後、小さな庵の中でお会いした。「今いくつ?」「38です。」娘は一歳になったばかりだった。お坊さんは夫の頭の痛みを肌で感じるように身震いし、彼を全身抱きしめた。「誰にもわからん、この痛みは、誰にもわからんなあ。」と言いながら。夫は声をあげて泣いた。初めて私は泣いている彼を見た。
 その3日後、留守中の自宅で夫は冷たくなっていた。救急車と娘を抱き上げることと、気がついたらお坊さんに電話で叫んでいた。救急車のなかも、処置室も、何時間もずっと電話を繋げていた。お坊さんはすべて受けて、お経を読みながら、必死に私に声をかけていてくださっていた…と思う。気がついたら夜で、霊安室の前で朝から裸足のままでいることをやっと知った。
彼は自殺だった。
 それからは背筋の凍るような人生。誰にも、自分でも想像できるわけない、生きた心地のしない毎日が始まった。心も身体もおかしくなった。入退院の繰り返し。高熱を毎週出して、薬だらけになり、パニックは極限までいき、ドアノブを握ることもできないで戸惑い冷や汗がでる。薬は効かない。副作用はひどくより辛くなる日々。一人娘は児童養護施設に預けるしかなかった。それがさらに生きる資格もない自分を決定づけ、独り暮らしとなり自殺のタイミングを狙うしか、頭の中にない私になっていた。
 朝から幻のように血の流れる真っ赤な光景が見えた日、過呼吸と飛び降りる迷いもなく窓を開けた。その時、電話が。あのお坊さんだった。お坊さんは私のこの今を知っているのか?とふと正気になった。知っている、分かっている人が、現実にいるの?ねえ?とフッと昔の正常な私が戻った気がした。お坊さんは、うんうんと、泣いている私の台詞を聞いてくださり、ゆっくり、おおらかに、私が見た真っ赤な情景はなんだったのか、仏教のたとえで説いてくださった。そして力強い声でお経をあげてくださり、聞いているうちに、呼吸できるようになった。
 翌日も朝、私は昨日と同じパニックになっていた。死の匂いに追い詰められ叫んでいたとき、電話。「いい?、いい?立ってコップのところに行って。はい、持って。じゃ、水を出して。できた?飲んで。はい、飲めるよ、はい飲んでごらん。」ゆっくりゆっくり、冷たい水で私の頭が覚めてきた。「はい、息を一緒に鼻から。フーッ。口からはくよ、フーッ。これしてごらん、お寺でやる呼吸法だから。」
 それから毎日毎朝、かかってきた。私がどんなに荒れても受けとめてくださる。泣き崩れていた朝には、幼い頃の子守唄を何分も歌って、私が手放しで安心していた頃の記憶に戻ったとき、明るい声で、会話してくださった。少し穏やかな日は、今日の料理を、提案してくださった。料理を作るような私ではなかったため、栄養も体重も足りなくなり、精神病も悪くなるから、まずはそこからだと優しく話してくださった。
 どれだけ病院に通い、福祉支援窓口にも駆け込み、頼ってみても、すればするほど絶望し、焦るだけだった。ますます追い込まれた。分かってもらえる分けなかった。
 電話だけ。私のいのちは朝の数分の電話だけ。それだけが息をするもとになった。
 二年、続いた。四国から、千葉の私に、その場にいるかのような暖かさで。
 その後、一年間、お坊さんのご自宅の近くに住まわせて貰った。毎日お寺に行き、お掃除をして、座らせて貰った。お坊さんは、目の前におられるとき、厳しい。お弟子さんたちも忙しい。一対一のケアではない。でも、やっとそうやって、お寺にくる人たちとお茶を飲んだり、出会ったりすることで、社会と繋がり始めたのだと今は思う。だからお坊さんは私に冷たくなったように、自立へと促しつつ、近くに住みなさいと言ってくれていたのだとおもう。
 一年して、娘が児童養護施設から帰ることになり、お坊さんのもとを離れて千葉に戻った。私は赤ちゃんみたいに泣いてお別れした。去る前日は突っ伏して泣いてばかりで顔が腫れ、寝ていなかった。
 初めてお坊さんのところに駆け込んだ日から、今、18年経つ。パートのお仕事もできるようになった。娘は受験勉強を頑張っている。昨日も、娘と一緒にお坊さんと電話したばかり。娘も私も、話を聞いているうちにいつも涙ぐむ。私たちのことを、わかっていてくださるから。このお坊さんだけは、何があっても大丈夫だから。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? :
どんな職種・お仕事をされていますか? : 主婦
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 四国のお坊さま。お坊様のご意向で名前は伏せたいです。



【エントリー10】
住谷 渉(すみたに わたる)

作品タイトル : 両親の祈り

エピソード
姪が交通事故で亡くなってもう10年になります。
当時保育園年中さんだった姪を、私の妹夫婦から預かった両親は、私たちの子供同様に姪をよく可愛がっていました。
孫を愛していた両親。目の前で事故に巻き込まれた、助けられなかった責任を感じるのは仕方ないと思います。それ以降、両親は私の子も預かることは拒否して、妹たちに会うのも避けるようになりました。
「父さんと母さんの責任じゃないよ」私も妹も、何度もそう言いましたが、両親はただ泣くばかり。ほとんど外出もしなくなりました。ふたりでのんびりしていた老後がこんなことになるなんて、気の毒で見ていられません。
そんななか、90歳を超えた祖母が亡くなりました。父の、母です
祖母の遺品を整理していると、昔の写真が出てきました。祖母は信心深く、若い頃はよく四国のお遍路に行っていました。その写真を見ているうち、私は両親にお遍路をすすめてみることにしました。
両親は気が進まない様子でしたが、祖母のお遍路の写真を見せたりするうち、なんとか重い腰をあげました。私が車に乗せて、徳島のはじめの数件を回りました。ふたりは仏様とお大師様に手を合わせお経をあげるうちに、だんだん様子が変わってきました。3日目に、お寺でひとりのお坊さんに出会いました。どこから来たとか、はじめてのお遍路とか話す流れで、私から、孫の事故のことも話しました。お坊さんは黙って聞いていました。両親は、「私らのせいで」「あの世で謝る」「あの世ってあるんですか」「もしや私らの代わりにあの子は」など、どんどん言いたいことを言いました。私はもう止めず、お坊さんはひたすら黙って聞いていました。
すべてを言い終わった両親に、「祈ってあげましょう」とだけお坊さんは言いました。
翌朝、「もういいよ。あとは自分たちの足でまわる」と両親は言って、私は帰りました。それから1ヶ月以上かけて、ふたりはお遍路を終えました。
私は最後のお寺へ迎えに行きました。
「あの子が、おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとうって、笑ってたよ」
両親は泣きながらそう言いました。
それから、両親は毎月姪のお墓参りに行って、祈っています。
今年、両親は3度目のお遍路へ行きました。
もう80近くになったふたりは、「今年で最後になるかな」と言っています。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? :
どんな職種・お仕事をされていますか? : 自営業
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー11】
田島 京子(たじま きょうこ)

作品タイトル : 本当にヒーラーっているんだ!

エピソード
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みかんです。私は筋金入りのサイコパス。負けず嫌いで何でも一人でやります。でも毎日送られてくる「心の科学メールサロン」を読んで、グサッとくる言葉がありました。それは「サイコパスは何でも自分でやろうとして人間関係が貧しい。」です。本当にその通り。ディフェンスから来る、アタシがやった方が早いし、回りはアホばかりと、この意識のまま62歳になりました。

けれども、大きなイベントを企画し2ヶ月くらい前から眠剤を飲まないと眠れなくなり、食べられなくなり体重は日に日に落ちて、腰痛や首こりに何とも言えない身体のだるさ、そわそわと落ち着かないパニック症状などが出て、ついに車の運転も出来なくなってしまいました。

そこで、このままではイベントが出来ないと人生で初めて「人の手に委ねてみること」を心から決断して無料カウンセリングをお願いしました。そこで出会ったのが看護師暦があるSさんです。最初のカウンセリングで深く納得し、その場でヒーリングの予約をとりました。

ヒーリングは「では、始めまぁす」と言って下さると同時に宇宙のエネルギーがさーっと降りて来て、私をほわっと包んでくれるのに驚きました。何とも言えない安心感です。ボディスキャンの結果は腰、第2チャクラのつまりや凝りを指摘して下さいました。そこにどんな感情があるかと聞かれ自分に問いかけると、長らく封印していた私を貶めた男性への怒りが、次々に湧いて来ました。また私は強烈なスキゾイドなので、身体があまりの辛さに抜け出ていたらしく、ヒーリングを受けた後、散歩をすると「おお、足だ!私の足がある!地球の上に立っている」っと感じることが出来て実に愉快でした。と、同時に歩きながら怒りの正体をさぐるべく、自分に深く入って行くと怒りの正体は、、、。なんと母親に向けたものでした。男性に対してではなかったのです。一瞬、自分でもへ?っと思いましたが、小さい自分が「お母さん助けて!お母さん守ってくれないじゃん!」と怒っているのです。これには本当に驚きました。幼少期に自分の言いたいことを言えず、母の言いなりになり、侵入されまくっていた私は何か困難があると母の助けを期待していたのです。Sさんがヒーリング中に小さい自分に言ってあげて下さいと言うことを何度もおっしゃっていたので、「みかんちゃん、もうお母さんの助けは必要ないんだよ」と、そう言ったとたん腰の怒りは消滅しました。これが1回目のヒーリング後です。

と言っても自分がそう思っているだけかもしれないと、第2回目のヒーリングで腰の怒りについて聞いてみました。すると怒りは消えていましたが、そうなると悲しみが出て来ると私の身体をひも解いてくれました。「腰に触ってみて下さい」と言われさわると腰から腎臓にかけて、何とも言えない悲しみがあります。同時にそれは「恐怖」であるともひも解いて下さいました。親に面倒を見てもらうことは自分の命にかかわることなので、混乱しながら必死に親を呼び、尽くした健気な子供。それしかできなかった子供。何と言う無力さでしょう。ハラハラと涙をこぼしながら、そんな小さい自分を無視し続けて来てしまった自分を許すように促されました。ヒーリング終了後は身体が温かく、昼間に受けたヒーリング中のSさんの言葉が頭にこだまします。

「苦しいとお母さんが来てくれる」とおっしゃってたなぁと。小児ぜんそくを患っていた私はこの「苦しいとお母さんが来てくれる」というパターンを持っていたことにはっと気づきました。つまりお母さんの気を引きたさに苦しみをわざわざ創造していたのです。そこで小さい自分に「みかんちゃん、もう苦しみを作る必要はないんだよ」と言ったとたん、今まで見えていた小さい自分が結婚式の音楽とともに、まるでCGのように急に成長し、髪が伸びた女性になり、自分にぴたっとセットされました。これ以後どこを探しても小さい自分がいません。こんなことがあるのでしょうか。次回のヒーリングでこれは何が起きたのかSさんに聞いてみようと思います。

そしてその夜、この半年感で味わったことのない良い睡眠をとることが出来ました。が、しかし日中は頭のもやもやがなかなか消えず、身体の不快感がまだあります。そこでSさんが送ってくれた宇宙のエネルギーを思いながら、自分を見つめていました。すると「ご機嫌を取らなければ死ぬ」と、思っていたそれこそ言葉になるずっと以前のエネルギーを感じて、腰が抜けるほど号泣しました。何かのきっかけで誤認し幼い身体にずっとこの恐怖を貯め込んでいたのです。今はこの文章を書きながら62年もの間持ち続けた恐怖を突き止めた脱力感と背中の軽さや抜けを感じています。企画したイベントも出来る気がしており、徐々に自分を取り戻しつつあります。

以上、長くなってしまいましたが、たった2回のヒーリングでも内容は深く、的確で、変容を促すには完璧な内容で、まさにどん底から救って頂きました。これはSさんご自身の変容の深さによるものと確信しています。本当にヒーラーっているんだとただただ驚嘆しています。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? :
どんな職種・お仕事をされていますか? : シンガーソングライター
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 柴田真奈美



【エントリー12】
椎根 春佳(しいね はるか)

作品タイトル : お隣さん

エピソード
わたしは物心ついた頃からずっと、人を信用することが怖かった。家庭環境からくるものかもしれないし、元々の性質かもしれない。子供の頃にいじめられていたからかもしれない。

心療内科で薬をたくさん出されたこともあった。精神科に入院したこともあった。病院の方々は親身になってくれたのに、わたしは心を閉ざし続け、眠剤をもらうためだけに通院していたが体調はよくならなかった。

25歳のとき、仕事に行くことが難しくなってしまった。一年間、傷病手当金をもらいながら仕事をせず、アパートで寝て過ごしていた。

できるだけ誰にも会いたくなかったけれど、隣の部屋に住んでいたおばあさんが時々急に現れるようになってしまった。

「ちょっと、電球を変えるの手伝ってもらってもいいかしら?ごめんなさいね、どうしても届かなくて、、」

「ごめんなさいね。宅配便の不在票に書いてある数字が読めないのよ。これは0?6?」

どうやら、わたしが一日中部屋にいることがバレているらしい。

今まで気付かなかったけれど、お年寄りには見えない文字や届かない場所があるようで、隣のおばあさんはよく困っている。それまでは自分が一番困っているつもりで生きていたけれど、そういう人が困らない世界になればいいな。と少しだけ、思うようになった。

おばあさんは時々、ごはん食べていかない?と声をかけてくれた。カレーやシチューを作ると食べきれないらしい。

おじいさんが亡くなってから20年経った、と話していたけれど、鍋いっぱいのカレーをよそいながら「おじいさんがカレーをたくさん食べる人だったのよ」と笑うおばあさん。

20年ずっと、おじいさんの分まで作っていたのかな?と、なんともいえない気持ちに。

おじいさんがいた頃は毎朝散歩をしていたけど、一人で散歩をするのは張り合いがなくて。と寂しそうに話す様子に胸が痛み、一緒に散歩しましょう。と声をかけていた。

わたしは夜に眠れなかったため朝方に寝て、昼過ぎまで寝る生活をしていたが、おばあさんは6時くらいに散歩に行きたいらしい。「朝日ってすごく気持ちがいいのよ!」

うれしそうなおばあさん。わたしは自分から、一緒に散歩しましょう。なんて言った手前、後にはひけず、毎朝散歩することになってしまった。そんなときに限って天気がいい。

徹夜明けで散歩をしても、太陽を浴びてしまうと結局一日中眠れないので、何日間か徹夜が続いた。

いつからか夜の八時くらいに眠くなるようになり、いつのまにか昼夜逆転の生活がリセットされていた。そのあたりから随分体調がよくなったような気がする。

後から知ったこと。夜は安らぎの気持ちを感じるメラトニンの分泌が減るので、あまり考えごとをしないほうがいいとのこと。毎晩鬱々とした気分で夜更かしをしていたが、どうやらそれはわたしの性格や病気云々ではなく、そのようになりやすい状態(夜更かし+考えごと)を選択していたということ。

そしてメラトニンの分泌は朝日を浴びることでも促進されるらしい。早起きをすれば、必然的に早い時間に眠くなることもわかった。

自分はこういう人間である。と、できないことにフォーカスしすぎていたような気がする。今思うと、それは自分なりに周りから自分を守るためのワザだった。でも、ずっと使い続けるワザではなかったのかもしれない。

ある日のおばあさんは新聞広告を見ながら、キャベツと大根と牛乳が安いのに、どうしよう。と独り言を言っていた。

どうしよう。の意味がわからず、なにか迷っているのですか?と聞くと「キャベツと大根と牛乳は重いから、どれか一つしか買えないじゃない。」とのこと。

びっくりして固まってしまった。そうか、年齢を重ねると、キャベツと大根と牛乳を同じ日に買うことも大変なのか。

おばあさんといると、何もできないわたし。という自己評価を見直す機会になる。自分にできることをしよう。という気持ちがわいてきた。

億劫だった買い物にも、おばあさんと一緒に行くようになった。買い物がキッカケになり、苦手だった自炊をするようになった。料理を教えてもらいながら世間話をするうちにわたしも自分の話をするようになっていた。

おばあさんはいつも「あなたらしく生きたらいいわよ!」「若いんだから、これからなんでもできてうらやましい!」と言ってくれた。そんなこと、言われたこともなかったし、考えたこともなかった。なんでもできる、なんて思ったことは一度もなかった。

わたしらしく生きるってなんだろう。と思った。

衣替えを手伝ったときには、新品の股引きと腹巻き、臍まであるパンツ、膝下まである靴下をいただいた。これ!一回も使ってないから!いいのよこれ!と、3セットももらってしまった。ベージュだし分厚いし、全然好みではないけれど、せっかくなので使ってみた。

今までずっと手足が冷たかったのに、毎日手足がぽかぽかするようになった。

自炊をしたからか、歩いたからか、股引きのおかげか、食べさせてもらったごはんか、おしゃべりをした時間か?何がどうなったのかはわからないけれど、今のわたしは毎日安心して暮らしている。睡眠薬を飲まない生活も10年目。

おばあさんが言っていた、わたしらしく生きるを北極星にしながら、そこへ向かって歩いている。自分はこういう人間である。と、できないことにフォーカスしつづけていたときには見えなかった景色

お年寄りも働けない人も、いじめられている人もどんな人も、わたしらしく生きられるとしたら、どんな世界になるのかな。

わたしも誰かのお隣さんになっていきたい。

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どんな職種・お仕事をされていますか? : 整体師
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 片岡益子さん



【エントリー13】
小俣 由香(おまた ゆか)

作品タイトル : 恩師に救われた自分の命。

エピソード
私は、中学生の頃に同級生から酷い苛めにに遭いました。その頃、自殺行為を何度もしてしまいました。先生の一言で私の命を救ってくれました。[命ほど重い物ない。だから簡単に自殺行為はしてはいけないよ。生きる事の方が余程、難しいんだよ。だから、生きて見返しなさい。生きてさえいればきっと楽しい事が沢山起こるからもしれないよと言ってくれた。そのおかげで自殺行為を辞める事が出来た。担任の先生は私にとって一生の命の恩師です。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? :
どんな職種・お仕事をされていますか? : 物流
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 田中由美




【エントリー14】
夢草家 Naokoまえだ なおこ

作品タイトル : ヒーラー在りかに学ぶ

エピソード
度わしは、ちょっとし不注意から、足首複雑骨折してしまいまし
事故っ瞬間から、今に至るまでずっとサポートしつづけてもらっているヒーラーがいます。
ずっと連日1日2回2人ヒーラーにヒーリング提供してもらうことで、
耐えがい激痛が、ヒーリング受けてる間だけは確実に軽減され、つながってもらってる安心感から、眠りにつくこともできまし
ほんとに、助ける、治すという強い意図で、提供してもらっヒーリングは、言葉では言い表せないぐらいすごいもでし

事故当初、激痛に耐えかねてる瞬間でも、ちょっと冗談が口からでるぐらいホッとできまし
繋がっ瞬間から、顕著にそ痛みがやわらいでいく体感できまし
入院中は本手術終え、ある程度安定するまでは、連日ずっと1日2回ヒーリング提供し続けてもらいまし
安定してからも、リハビリがすこしでもすすむように、リハビリタイミングにあわせてヒーリング毎日退院寸前まで、提供しつづけてもらい、
帰宅しても、毎日欠かさずヒーリングしてもらえる日々過ごし、ほんとに、信じられないスピードで、治癒していきまし
11月1日ありえない早さで、介護現場復帰できる見込みがまし
そんな今です。

骨折体験通して、ハートインタッチというコミニティ優しさ身に染みて感じまし
ヒーラーという存在どこまでも大きな愛や深い優しさ、とことん体感しまし
かつて、十数年前、私救ってくれヒーラーは、1人でし
時に、むちゃくちゃ怒って、話もしてくれない日もあっりしましが、本気で助け求めれば、いつも本気でどんな状況でも、諦めることなく、絶対助けてくれること1人してくれヒーラーでし

今回事故、入院、絶対絶命窮地とき、私助けてくれ、十数年前私助けてくれヒーラーから学んだヒーリング私に提供してくれるヒーラーです。
十数年前、少なくても、わ知る限り、こんなに医療に特化するヒーリング提供できる人は、わ知る限り一人でし
現在、私周りには、くさんヒーラーがいます。
さらには、助けもとめとき、ニーズにかなっ差し伸べてくれる人ちがいる
コミュニティも、あります。
かつて一人私助けてくれヒーラーは、自分生きざま通して、わしに、「あきらめない」こと「夢は自分で叶えるも教えてくれまし
ヒーラーとして一貫し場所みせつづけてくれまし
十数年前、そ人は、わしに言いまし
「あな、まだあなが見こともない世界に、連れていき。すごくうつくしいきれいな世界だよ。」と
今、わしは、そ時、知らなかっ想像もしなかっらなかっ世界にいます。
世界で、人と触れ合っています。とってもあかく、優しい世界です。
そこまで導いていだいからこそ、
かつては、全くかんがえてもいなかっ自分大切にする気持ちが芽生えまし
心もからだも、私自身、私だけだけど、
私だけ、ほんとに大切に、丁寧に扱ってくれるヒーラーや、仲間がいるから、
ちに感謝して、大切に丁寧に自分扱っていきいと、心からおもえます。
経験は、
ほんとに、からだは、もう懲り懲りな二度と感じくないぐらい激痛と、もう今度はないなあっておもうぐらい壮絶な出来事でしが、
学んだり、感じことは、これから自分人生どう生きるかということに、真摯に向き合えるきっかけになっとおもっています
本気で、自分癒し、人に寄り添える人ちに本気で、助けてもらからこそ、気づけことだと、おもいます。


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どんな職種・お仕事されていますか? : 介護
今回応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦場合はそお名前ご記入ください :



【エントリー15】
後藤 いづみ(ごとう いづみ)

作品タイトル : 鈍感になろうよ

エピソード
周りには、優しくて繊細で穏やかでとても繊細な人が沢山いる。無頓着で思い付いら突っ走る私笑いながら見守ってくれてい
コロナウイルス感染拡大から1人づつ心バランス崩してしまうようになり、接する距離感が分からなくなってしまい、自分から連絡しり会おうとは言えなくなってしまっ
皆、自分意見より他人思いやり過ぎて、責任や気遣い抱えて悩み、辛さが溢れてしまっと。
そんな時に元同僚から電話があっ。急に会える?と聞かれ、何か役に立ちいと思い、予定変更して会いに行っ
気持ちが落ちてしまうこと、人言葉や動きや行動全てが気になってしまい、普通に生活することが疲れてしまうと強張っ表情で語ってくれ
自分何とかしくて、こんな話しても誰にも言わず、共感もせずに自分保ってくれる人に会いかっと。
私は、ひととおり彼女悩み聞いて[そんなに良い人にならなくて良いよ。]と言っ
人から見自分なんて、何か価値ある?
面と向かって言ってること以外なんて、聞いてて気になることある
思っままに口に出して聞いてみ
彼女は私気持ちなんて、分からないよねと言ってきで、
[私は人一倍鈍感な。基本的に周りが見れないから繊細な貴女と対極なよ。だから分からないことばかり。私だってそ繊細さが欲しい。羨ましいよ~]と心底羨んだ。
確かに色々鈍感かもねと想い出話語り、懐かしんだ。
鈍感力ってあっらあっだけ面白いねと彼女は笑ってい
私は、まずは面白い人になって、やりいこと宣言していくこと、弱音吐けば良い!他人から目なんて気にしない!と二人で意気投合して笑って別れ
彼女目はキラキラして力強くなってい
暫く経ってLINEが来
すっかり鈍感力がついて気楽だよ!フラダンスかベリーダンス始める予定で体験入れんだ~と。
前向きに挑戦することが出来て良かっと思っ
鈍感も時には良い作用になると実感し
悩み苦しんでいる友人ちに鈍感力勧めてみようと思う。
周り気にして生きること少し捨ててみら、自分第一に考えらるから。

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どんな職種・お仕事されていますか? : 専業主婦
今回応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー16】
今北 眞奈美(いまきた まなみ)

作品タイトル : 認知症の母と一緒に訪れた広島で学んだこと

エピソード
私の母は要介護3の認知症で今年80歳になる。母は亡くなった父の故郷である広島に旅行することを毎年楽しみにしている。父は阪神淡路大震災の時にクモ膜化出血で倒れ帰らぬ人となった。震災後の過労や心労が原因かもしれない。父は広島県の瀬戸内海に浮かぶ小さな島の出身である。その島で幼い父は終戦を迎えた。広島の原爆投下で瀬戸内海の島々は直接の被害はなかったかもしれない。父も被爆者ではない。しかし私は思わぬところで自分自身が原爆の恐怖悲惨さ、過酷さをいやというほど思い知らされる経験をすることになった。実際に原爆の被害に遭われた方々からすれば、私たちのほうがもっとひどい目にあっている、何を言っていると思われるかもしれないが私たち家族にとっては一生忘れられないこととして今でも大きな心の傷になっている。私は二十四歳の時に長女を授かった。難産の末にようやく会えたわが子を手に抱いたときは、ほんとうに嬉しかった。この子を一生大切に育てていこうと強く決心した。退院後、長女を連れて婚家へ帰った時に同居している姑と義母の親族から突然、こんなことを言われた。
「あんたのお父さんは広島出身やったねえ。赤ちゃん、原爆症の影響は出てないんか。頭のほうは大丈夫なんやろうね。原爆症が遺伝してないやろうね。」
私は最初、自分が何を言われているのかまったく理解できなかった。その時は何も言葉が出なかった。この人たちは何を言っているのだろう。「赤ちゃんの頭は大丈夫?」「原爆症が遺伝していない?」「お父さんが広島出身だから?」頭の中をぐるぐると悪意ある言葉がまわりながら私の心と身体に突き刺さってゆく。二十四歳の私には原爆についての知識はほとんどなく、父からは何も聞かされていなかった。知らないがゆえに何の反論もできなかったのだ。ただ理解できたのは、姑をはじめ、私と赤ちゃんを取り巻いているこの人たちは、私の父と家族、私と私の生んだこの子を侮辱している、いわれのない差別しているということだった。時を経て冷静に考えれば、原爆のことを何も知らずに「原爆症」という言葉を使った姑や親族があまりにも無知な発言をしているということがわかる。しかし、その時の私には冷静に考える余裕などなかった。この経験から私は、原爆についてしっかりと学ばなければいけないという強い思いを持ったのである。そんな私の心を救ってくれたのが母の存在だった。傷ついた私の話を母は静かに聴いてくれた。そんな優しい母親も今では心臓病を患い、二度の大きな手術を経て、要介護3の認知症になった。これまで母と一緒に、父の墓参りや法要が主な目的で広島を訪れていたが、広島市内を一度も観光した経験がないことに気がついた。そこで私は母と一緒に初めて広島市内を巡る旅に出ることにした。広島の旅では、今まで一度も訪れたことがなかった広島平和記念公園や原爆資料館を中心に広島市内を巡ることができた。原爆ドームを実際に目の前で見たときはほんとうに感動した。広島平和記念公園では現地ガイドの案内で、詳しい説明を聞きながらゆっくりと歩いて施設を見学することができた。原爆資料館で被爆者の方のお話を直接聴くことができたのはとても貴重な経験となった。原爆によって広島の町がことごとく破壊され、火傷を負いながら苦しみ、死んでゆく人々の姿。被爆者の方々の無念、悔しさが痛いほどに伝わってくる。
「人の皮膚が焼けるにおいがした」「ひどい火傷で肌がとけて水をほしがって、苦しむ人がたくさんいた」「助けてほしいと泣きながら弱っていく人を助けることができなかった」
語り部である被爆者の方々の心情や被爆の事実を私たちは深く理解しなければならないと感じた。原子爆弾が落とされた当時の様子を広島平和記念公園で、語り部さんは静かに語ってくれた。思い出したくない記憶、心が潰れそうな想い。被爆者のつらい気持ちは、いつまでも消えることはない。一瞬で町が潰れ、人々の生活が踏みにじられた。大切な家族が死に追いやられた。もっと生きたかった、子どもの成長を見届けたかった。そんな被爆者の悔しい思いを私たちが聴かなければならない、知らなければならない、そして伝えなければならない。私は母のお蔭で広島の原爆で苦しむ人々の心を学び、理解することができた。そして立ち直ることができた。大きな苦しみや悲しみを乗り越えた人々の絶えまぬ努力によって、広島はどこまでも澄んだ青い空と海のもと、美しく平和な町としてめざましい復興を遂げている。戦争を知らない子どもたちへ、未来にはばたいてゆく次の世代へ、世界の人々へこの心を伝えていかなければならない。一人一人の命の尊さと平和への願いを、私はこれからも子どもたちに語り伝えていこうと思う。かけがえのない広島の旅を経験できたことを、母に深く感謝したい。旅をすることで、認知症の母はいきがいを感じることができ、何よりも、旅先で広島のみなさんとコミュニケーションを深めることができたのは大きな財産となっている。現在、母はディサービスのリハビリにも意欲的に取り組んでいる。これからも母との広島旅行を介護生活の目標としていきたい。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 母の存在と広島の人々
どんな職種・お仕事をされていますか? : 主婦
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー17】
秋谷 進(あきたに すすむ)

作品タイトル : 9月1日

エピソード
 これは中学校に入学したばかりの男の子と私の話だ。小学校と中学校というのは年齢的には繋がっているが、その内容は全く違っている。小学生はまだ幼いということもあり、担任が生徒一人ひとりに話しかけたり、生徒同士も近くにいるから何となく話したり、というような傾向がある。けれど、中学生になってくると、子どもは子どもだが小学生ほど幼くはないので、担任もそこまで生徒に積極的に話しかけたりはしなくなるし、学生も自我が芽生え、人を合う合わないで判断したり、自分にとって都合がいい都合が悪いで判断したり、グループを組んだりするようになる。友だちになる上位の条件としては、「話が面白い」「話を聞いてくれる」「趣味が合う」「気が合う」といった順番だろう。その変化を受け入れ、自分を少し変えて友達の輪の中にうまく入ることができる子もいれば、できない子もいる。そしてできない子は、孤独感を覚えたり、居場所がないと感じたりする。「大人になれば友だちなんて必要ないから平気だ」「他の子たちも気の合わない子なんてたくさんいるじゃないか」と自分に言い聞かせて、一人きりでも平気な振りをするが、そこはまだ中学生。中学生にとって、学校が自分の世界の全てであり、そこで居場所がないと感じるのはとても辛いことだと言える。
 彼は、そんな中学校生活に馴染めなかった一人だ。グループに入り損ね、一人で時間を過ごしていた。そんな中でのゴールデンウィーク。連休の間に、だんだんとあの学校に行くのが怖くなっていったのだろう。連休明けの初めての登校日。学校へ行こうとすると頭痛や腹痛がするようになったそうだ。朝は起きられるのだが、布団から出てこられなくなったり、トイレにこもってしまったりを繰り返す。遅刻や早退も目立つようになり、さらに休むようにまでなってしまった。だが彼は風邪などの病気になっているわけではないので、両親は無理やりにでも彼を学校へ行かそうと、朝の忙しい時間に自分たちの車に彼を押し込み、車で学校に連れていくようになった。そのため、朝から両親が怒鳴り声をあげて、彼を布団から引きずり出し、時にはトイレから引きずり出し、まさに闘いの日々となっていった。
 そんな日が続き、ようやく一学期が間もなく終わるというところで、両親は小児科医でもあり児童精神科医でもある私のところに、彼を連れてきた。両親も限界が近づいていたのだと思う。私は両親から話を聞き、彼からも話を聞き、その上で診察と血液検査を行った。
「先生、息子は何かの病気なんですか?」
「そうですね。お話と検査結果を見ると、現在考えられるのは悠馬君が中学校という新しい環境の変化に対応しきれずに、身体や精神的な不調を起こしているのだと思います。おそらく、適応障害ですね」
「適応障害……?」
「はい、ですので、学校は心身の不調が回復するまでは休んだ方がいいですね」
 私がそう言うと、彼の父親が壁を叩いた。
「ふざけたことを言うな! こいつが病気じゃないなら、それで十分だ! 学校を休ませるなんてありえない。余計な口出しをするな!」
 父親は顔を真っ赤にして、私を怒鳴りつけた。その横にいた母親も同意見らしく、反発する様子はない。ただ、彼だけはうつむいたまま、ギュっと握りこぶしを作っていた。
「こんなところ二度と来るものか。ほら、帰るぞ!」
 父親は彼の腕をつかむと、無理やり彼を診察室から出そうとした。けれど私はとっさに、彼の反対側の腕を握っていた。
「悠馬君。相談したいことがあったら、いつでも僕のところに電話をしてきてね」
 と言い、彼に私の名刺を握らせた。父親もさすがに名刺を奪い取るということはしなかったが、私に対して何も言わず、家族でそのまま出ていってしまった。
 その後、彼たちが診察室に来ることもないまま、中学生にとって初めての長い長い夏休みが始まった。ただ両親は、彼が早退、遅刻、欠席で遅れた1学期分の勉強を取り戻させるには、この夏休みに頑張るしかないと思い、朝も早いうちから彼を叩き起こし、両親が仕事をやりくりしながら、彼の勉強を見た。両親にとっては、中学校から後れを取るなんてありえないことだと思っていたのだろう。それに、彼が朝起きれないのも、彼がだらけているだけだと思っていたというのもある。
 彼は両親が必死になっているのを理解しているため、両親がいうように勉強を1人でもしようとした。けれどやる気は出ない。だんだんと好きなゲームでさえ、やる気が起きなくなり、何もしたくない状態になったそうだ。だが、両親は彼を労わることなく、夏休みだからと言って呆けているんじゃないと、暴力を振るったり、罵声を浴びさせたりしていた。両親は、これも教育の一環だと思っているのだろう。
 そうして迎えた9月1日。夏休みが終わり、今日からまた2学期が始まる。両親は彼がようやく学校へ行く日が来て安堵していた。だが、朝食の時間になっても、彼は部屋から出てこない。もしかしてと思い、部屋に行ってみると、彼は布団をかぶってベッドから出ようとしない。両親は仕事もあったため、その日は彼をおいて家を出た。そして、夜に帰ってきても、彼は朝ごはんはもちろん、昼も夜も食べない。両親が部屋を覗いても、布団にくるまったままだった。
「そんなことしても無駄だ! 今日は見逃したが、明日は絶対に学校に連れていくからな!」
 起きているのか寝ているのかわからない彼に向かって、父親はそう叫んだ。
 その日の夜中。私はちょうど当直の日で、病院にいた。すると内線がかかってきた。子どもの声で小児科の先生と話がしたいと言っている電話が入っているが、どうするかとのことだ。私は迷わず、外線電話に出ることにした。
「はい、もしもし」
 私は電話には出たものの、受話器の向こう側からは何も声が聞こえてこない。しばらく無言の時間が続いたが、私はふとある男の子の顔が浮かんできた。
「もしかして……悠馬君かい?」
 夏休み前に一度だけ両親と診療に来た子の名前だ。確信があったわけではないが、彼の可能性であることは高いと思った。それから、2、3分、また無言の時間が続く。だが、これ以上は私から話すよりは、相手から話させた方がいいと思い、相手が話すまで待った。すると――
「悠馬です」
 と、彼はようやく名乗ってくれたのだ。
「そうか、悠馬君か。いや~よく電話してくれたね。どう? 元気にしてる?」
 私は頭をフル回転にして言葉を選んだ。夏休み明けの9月1日ではあるが、「夏休みは楽しかった?」などと聞くのはタブーだ。もし彼が辛い夏休みを過ごしていた場合、最悪の質問になりえるためだ。だからこういう時は、こちらからは何も言わず、聞くことに徹するのがベストな選択と言える。とはいえ、私は彼とは診察室で1回しか話したことはない。そんな彼に、心を開いてもらうにはどうすればいいのか。
 こうしている間にも、沈黙は続く。こうなれば、いちかばちか言葉をぶつけてみるしかない。
「悠馬君。僕のところに電話をしてきたってことは、相談したいことがあるんだよね?」
 私はストレートに彼に聞いた。すると、受話器の向こう側からすすり泣く声が聞こえてきた。彼はようやく私に心を開き始めた。
「死にたいんです」
 そして、泣き声の中から彼は言葉をしぼりだすように話す。
「もう毎日、毎日。今から死のう、今から死のうと考えています。でも、できない。だから明日こそは、死ぬんだって考えてます。学校にはもう行けないし、こんな自分のことが、嫌いなんだ」
 私は彼の気持ちに共感するように相槌を打った。
「わかった。もう大丈夫だよ。僕を頼って電話をしてきたのだから、必ず悠馬君の力になる。もう学校にも行かなくていいよ。悠馬君の両親には、僕が責任をもって伝える。僕は悠馬君の味方だ。だから死なないでほしい」
 私はそう伝えると、すぐに彼の父親に電話をし、全てを伝えて明日は登校させないで、両親とともに彼を診療室に連れてきてほしいとお願いをした。
 翌日。私と彼の願いは聞き入れられ、両親は彼と一緒に診療室に来た。怒ったり暴力を振るったりしたものの、両親も彼のことを誰よりも心配していたからだ。その後、彼のこれからの人生について、話し合いをした。そのために必要な検査もある。私が外来として継続して通うように伝えると、母親は泣いていた。父親は何も言わなかったが、彼が通院している時は、いつも一緒だった。
 両親が彼を学校に行かせたいという気持ちは、私も親のため理解はできる。だが、彼にとっては学校が辛い場所になっている。なぜなら、かれは人の気持ちを考えすぎて、自分の気持ちを表に出せなくなっているからだ。相手に合わせすぎて主張ができず、周りの視線ばかりを気にしすぎて、何もできなくなっていた。両親も、彼のそう言った性格を理解しているからこそ、心配をしすぎてしまったというのもあり、初めての子どもだから一人前にしたいという期待もあり、両親もどうすればいいのかがわからなくなっていたということも分かった。私は、子育ての先輩として、両親の話を聞いてアドバイスも交えて伝えた。そして彼は、学校に行けない自分が嫌いだと言った。それに対して私は、
「でもそれは、嫌なやつが傍にいるのと一緒だけど、誰々のせいって悠馬君は言わないし、人も恨んでいない。悠馬君の気持ちは優しいよ」
 と伝えた。彼は、私と両親という味方ができ、だんだんと両親に意見が言えるようになった。そして、両親もそんな彼の変化が嬉しかったのか、私に嬉しそうに話しをしてくれた。
 彼はすっかり自信を取り戻し、中学校は学校に行かなかったものの、高校は通信制高校に楽しく通うことができた。友だちに自分から話しかけることもでき、自然と友だちを作ることができたという。その後は大学に通い心理士を目指すそうだ。
 中学生の自殺が一番多いとされる9月1日の夜の話であった。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 心理カウンセリング
どんな職種・お仕事をされていますか? : 児童精神科医
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー18】
夢草家 Naoko(まえだ なおこ)

作品タイトル : 原動力は紅い口紅

エピソード
70代女性 その方にサービスに入り始めたのは3年前。
新しい拠点で仕事をはじめ、最初に関わった女性です。すでにサービスははじまっていて、毎日、朝夕の2回のおむつ交換と、週1の清拭サービスが提供されていました。
筋萎縮とひどいパーキンソンで、体はぶるぶると常に小刻みに震えていて、上を向いて寝たきりで、手足を自由に動かすこともできませんでした。
顔の表情もなく、小さく口を動かすのみです。目も表情がなく、ただ開いてるだけです。その能面な様子には、ちょっと身震いしてしまうぐらいの冷ややかさがありました。
週1で、入浴のためデイサービスに行かれていますが、せめて、出かけるときは、きれいな洋服をとのご主人の配慮で、元気な頃お出かけには着られていたおしゃれな服に着替え、髪をとかすのですが、それでも無表情でした。
当初わたしは、体のブロックから、そこにある感情のブロックはなんなのかをみていくスキルにちょっとはまっていたので
なんとなく、意識しながら、ケアに携わっていました。
最初は、とりあえず、ケアしながら、体に触れた手の感触を、ただ、伝えていました。冷たいね、熱いね、むっちゃ固いね、グリグリが動くね、など。ほとんど表情は変わらなかったですが、手が温かいと筋肉はゆるみ、陰洗のときも、温かいお湯やタオルをあてると、ふわっと少し緩んでいるのは、確実でした。
更衣の時、わたしは、どんなに麻痺がある人にも、「次ここをこう動かしますね」と、動かす部位を擦って、軽くどう動くかを示してから、「せいの~で」と、動かし、動いた部位を痛かっただろうとおもえば、擦ります。もちろんこの方にも、その方法をとりました。
サービスを繰り返すなか、ご本人からは聞けてないけど、「あの人のときは、痛くない」と、言われていることをケアマネから聞きました。
他の人との違いをみつけて、自分がこうしているということを他のヘルパーにも伝えました。みんなで、共有し、統一的なサービスがしたかったので、自分はサービス提供責任者でもあったので、手順として、徹底しました。
徹底後、明らかに、少し動く可動域が広がっていくのを感じていました。
少し顔の表情も、ゆるんできました。おむつ交換のために、足をひろげてもらったり、横を向いてもらうときに、あきらかに可動域に変化を感じられるようになりました。
しかし、少し全体にほわっとしてきた顔ですが、依然表情はないままでした。
そんなある日、たまたまデイサービスのお迎えが少し遅れていて、時間に余裕がありました。そして、そこに、口紅を見つけました。少し引き出しをさがすと色付きリップもありました。ほんのり、ピンク色のリップをその方の唇に塗って、鏡をみせたとき、小さな声で「口紅がいい」と聞こえたように感じ、わたしは、赤い口紅を塗ってあげました。
その時、口元がすごく緩んで、目が笑ったんです。
初めて見た表情でした。
その後、デイサービスの日は口紅、家では、ほんのりピンクリップを塗ることと、化粧水を顔を拭いた後、つけてあげることうを、日課にしました。つけたあと、必ず鏡を見て、確認していただきました。
当初ヘルパーのなかには、あいつはめんどくさいことばっか言ってくる、ただでさえ、きつきつの時間に追われたサービスなのに、、、と、陰口も聞きましたが、わたしは、「やってください」を、言い続けました。最初は、仲間うちで、私の悪口も聞こえてきていました。
が、その頃から、サービスを終えると、小さな声で「ありがと」って言葉をかけてくださるようになりました。最初は、ありがとって、聞き取れないぐらいでしたが、しばらくすると、はっきり「ありがと」って言ってくださっているのがわかるようになりました。その言葉は、どのヘルパーにも伝えてくださっていたようで、他のヘルパーたちの在り方にも変化がうまれてきました。
そのころから、確実に意思疎通ができるようになりました。
「今から、拭きますね」「横向きになりますね」などの声掛けに、「うん」と、目とわずかな顔の動きで、伝えてくださるようになりました。
そのうちに、声を発して会話ができるようになり、手足を動かすとき、微妙だけど、確実にご自身の意思で動かされるようになりました。
どこもカチカチだったからだが、あきらかに、少し、やわらかくなってきました。
柔軟になっていきました。
自分自身のからだが、動かせば柔らかくなるということを、体感で感じられはじめ、ここ固いね、ここ今日はゆるんでるね、と伝えると、うんうんと、うなづかれるようになりました。
表情も豊かになり、少しずつ会話もできるようになりました。
「きょうは?」と言われると「今日は晴れ、あったかいですよ。外は風きついです」などと話すと、じっと笑った目で聞いてくださったり、そのうちに、今日の出来事などを話すと、「うんうん」と相槌も打ってくださり、質問をなげかけると、首をふりながら、言葉も発してくださるようになりました。
さらに日が経つと、普通に、おむつ交換、更衣がおわると、ご主人が加わり、3人で談笑しながら、また来ますね、またきてね、と、挨拶し帰るようになりました。言葉はほんとに聞き取りにくいですが、ちゃんと言葉を発してくださるようになったのです。
口紅を口につけた日以降の変化は、ほんとに早かったです。その変化はそこに携わったみんなが実感できるものでした。
ある日気づいたら、体が勝手にふるえてしまう現象は起こらなくなっていました。
寝ている間に履いていたはずの靴下が脱げていることも起こりました。
時に、ご主人がお出かけ用に、選んでくれた洋服に、「センス悪い」と苦笑されるようにもなりました。
顔や体を拭いたとき、筋肉がゆるみ「きもちいい」と、声にしてくださるようにもなりました。
体調も安定し、すごくいい感じに、変化しているのを、みんなが感じて、うれしくおもっていました。通常、悪くなっていくのをその進行をいかに緩やかにするか、という場所で仕事をしている私たちにとっては、ほんとに、うれしい奇跡に近い経験でした。みんなのテンションもあがり、ほんとに、利用者さまを思い、少しでも力になりたいという意図で一人一人が携わることができる現場になっていきました。
私の「体はどんなに硬直して動かなくても、アプローチをしつづければ、必ず動く」という持論を、立証して、そこにいたみんなにも体験してもらえた貴重な現場でした。
残念ながら、この方は、コロナ渦のある日、高熱を発せられ、緊急搬送され、そのまま帰ってこられることは、なかったですが、わたしは、この経験があるから、チームみんなで一丸となって仕事ができる経験値を得て、どんな状態であっても、筋肉にアプローチしつづけることを、絶対やり続けると、必ずそこに結果があることを仲間みんなで体感できました。
介護サービスは一人ではなく、ご本人、ご家族、ケアワーカーみんなで行うもの、決して、一人では、いいサービスは提供できないです。自分だけが、一生懸命になにかをやっても、他のスタッフとの力量に違いがあれば、結果、「あの人はやってくれるのに、あの人はやってくれない」などの差別化も起こってきます。が、こうやって、私がリードしながらも、みんなが同じ方向で働きかけ、チーム全体がもっとよくなりたいって方向に向かえたサービスでした。これからもわたしは、ケアワーカーの一員として、働き続けたいです。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 凍り付いていた心を溶かした紅い口紅
どんな職種・お仕事をされていますか? : 介護
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー19】
山田 結友(やまだ ゆう)

作品タイトル : Love myself

エピソード
去年の夏、私は鬱病だと診断を受けました。
私はただの高校二年生。
学校もバイトも部活も全部好きでした。
私は少し頑張りすぎただけ。
病気になるにはなんとも弱い理由に思えましたが、それだけで十分なようでした。
鬱病だと言われた1ヶ月後には入院し、退学し、積み上げてきたはずのものは一瞬で崩れ去り、たったの数ヶ月で私の人生ぶっ壊れです。
腹が立つほど希死念慮は存在を大きくし、しばらくは私に私の体を動かす権利なんてなく、気づいた時には橋の真ん中で激しく流れる川を見つめていました。

これを読んでいるあなたが求めているのは、人の優しさが溢れる温かいエピソードなのかもしれません。しかし私の話はそのようなものではありません。

私に寄り添ってくれたのは、他でもない私だからです。

私は、人に頼るということが極端に苦手でした。
いいえ、今も苦手です。いつも考えすぎてしまうんです。
私のちっぽけな悩みに、相手の大切な時間を使わせるのがとても許容できなかったんです。
絶対に嫌だった退学が目前に迫っても、素直に「辛い」と言うことができませんでした。
電話相談なども試みましたが、それもできませんでした。
「なんだそんな小さなことで悩んでいるのか」と思われるのが嫌だったからです。もちろんただの被害妄想です。
そんな私も勇気を振り絞って「辛い」と言ったことがありましたが、真に受けてもらえず家に帰って自己嫌悪です。
もし相手が優しい言葉をかけてくれていたとしても、依存してしまう未来が容易に想像できました。
奇しくも私の人生はまだまだ続きます。ここで誰かに頼ってしまったら、私の人生ではなくなってしまうような気もしました。

だからこそ、私のことは私の中で片付けることにしました。
それが私の理想の姿でもありました。

まず私は自己肯定感を高めようと思い、自己啓発本を読み漁り、その方法を調べました。
でも、うまくいきません。小さな成功体験を積み重ねようと思っても、そのことを成功体験と認めることができません。寝る前に三つ自分を褒めようと思っても、考えているうちに朝を迎えました。私はこんな簡単なステップも踏めないのかと、自分にうんざりしました。

数ヶ月間はそんなことをしていましたが、ある日気づきました。
「変わろう」としていることから間違っていたんだと。
自己肯定とはそもそも、自分の良いところも悪いところも認められることです。
つまり、「自己肯定感が低い自分も好きだ」って言える人が本当に自己肯定感の高い人なのです。
それに気づけてからはとんとん拍子で心が前を向いていきました。
自己嫌悪に陥ったときは、「でもそんなところも好きだけどね」って最後に付け加えるだけで、なんか自分を愛せている気がするんです。
しかしここで、また一つ気がつきました。
「でも」は逆説の接続詞です。だから私の頭の中の一連の流れを見ていると、自分嫌いな自分を否定しているだけなんです。いつもの自己否定とやってることは変わらないんです。
そう思うと自己肯定って案外簡単でした。
自分を否定した自分を否定するだけで、知らぬ間に自分を肯定しているんです。

これはよくないのかもしれませんが、これが私の前の向き方です。
私は、私を否定する私に支えられています。
私の悪いところを理解し、いつも一番近くにいてくれるのは私です。
共感も、慰めも、相槌もありません。でも、一番心強い存在です。
なんたって、私ですから。
私がどれだけ弱音を吐いたって、失敗したって、私は私を見限ったりしません。
必ず私は、「そんなところも好きだ」って言ってくれます。
「私なら大丈夫だ」って言ってくれます。

よく聞く言葉ですが、自分の敵は自分であり、自分の味方もまた自分って、本当にそうでした。
自分の中に敵と味方がいたら、高め合えるし、支え合えるし、最強ですね。

今の私は、自分のことを責めてしまう他の誰かにも同じように言うことができています。
私自身にしたように、他の誰かにも寄り添うことができています。
「そんなあなたも大好きだ」と、心から言うことができています。

私は私が大好きです。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 自分も他人も疑わなくていいこと
どんな職種・お仕事をされていますか? : 学生
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー20】
大塚 遥香(おおつか はるか)

作品タイトル : じいちゃんとばあちゃんのひみつ

エピソード
「じいちゃんは、むかし鬱やったんや」
と言われたのは、祖父が亡くなってしばらくのことであった。

 祖父は、私が小さいころは、ふくふくとしたシルエットだった。しかし、私の成長と反比例するかのように、どんどん痩せていった。持病がありながらもできる限りでアルバイトをし、お正月には欠かさずお年玉をくれたものだ。ポチ袋に入ったお札は、千円札。少し汚れてしわくちゃだった。祖父が自分のお財布から抜いて、入れてくれたのだろう。
 いつ家にいっても、いつ電話しても穏やかだったなひとだった。
そんな祖父だが、病気が悪化し亡くなってしまった。冒頭の告白は、祖父亡き後、祖母と昔話をしていたときに出てきた話題である。

 祖母が話してくれるには、昔働いていた職場の人間関係が原因で、心を病んでいたらしい。狭い集落では、人間関係は濃すぎるほど濃厚である。苦労することもあっただろう。
 祖父が心の病を患っていたことなど、露ほども知らなかった。そういったものとは程遠いひとだと思っていたから、「うつ」と「祖父」がうまく頭の中で結びつかない。思い浮かぶのは笑顔で優しい祖父の顔ばかりである。
 「じいちゃんが鬱やったなんて、知らんかったわ」
 衝撃を受けた私は、それしか言えなかった。
 もっとできることがあったのではないだろうか。もっと電話をしたり、頻繁に会いにいくことができたのではないだろうか。なぜ教えてくれなかったのだろうか。後悔や、ほんの少しの恨めしさが胸に溜まっていく。

 そんな複雑な表情をする私のもとに、祖母が手帳を持ってきた。
 手帳は祖父のものであった。見ると、「11月●日、はるかからでんわ」「12月●日、はるかからでんわ」という走り書きがしてある。腰が痛い、畑作業に出た、●月●日病院、などというメモもあるから、スケジュール帳と日記も兼ねていたのだろう。
 「じいちゃんはなあ、はるかからの電話が来るたびに、嬉しそうにメモしとったで」
 と祖母が言う。そんな祖母も、長年祖父を支えながら、苦労もあったろうに、それをひとつも見せなかったのだ。かくして何も知らない私は、思いっきり、「じいちゃん、ばあちゃん」と甘えることができたのである。
 
 大人になったいま、私は、祖父と祖母が、どうして私に鬱の話や病気のことを話さなかったのか、少しだけ分かるような気がする。子どもだった当時は、「なんでじいちゃん、教えてくれんかったんやろ」とばかり感じていたが、祖父や祖母が、私以上に色々なことを考え、配慮してくれたのだろう。
 「じいちゃんは、はるかからいっぱい元気をもらっとったんや」
 
 違うよ、ばあちゃん。元気をもらっとったのは、私やったんやで。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : うつを抱えながらもそれを幼い自分に明かさなかった祖父母
どんな職種・お仕事をされていますか? : 公務員
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー21】
西垣 万里(にしがき まり)

作品タイトル : 『見て!ここが私の好きな景色』

エピソード
約半年前、中学に入学したばかりの娘に
学校への行き渋りのピークがきた…
小学校5年生の頃から不登校・行き渋りが始まり、小学6年生の時に私は子育てマスターを取得してパターンを変えたことで、卒業式には代表の一人にも選ばれ、中学校への希望いっぱいに卒業し中学校生活も問題ないと思っていた矢先のこと、
” 行きたくない ”と口にするようになった。
”またか… ”と私は思った。
学校をちょくちょく休み、ベッドから動こうとしなかった娘。
"娘の不登校・行き渋りを救いたい”想いで、子育てマスターを取得し、今年2月には"娘の苦しむ姿を見たくないから”恋愛マスターも取得したのに…またか、、、
なぜまた繰り返されるのか、正直娘を恨む気持ちにもなり、「私の気持ちもしらないくせに!!」と、私も苦しくてマスクの言葉を娘に吐いた日もありました。
だけど、"私にはCCTというスキルがある!
自分を信じて内側をみよう!”
恋愛マスターで学んだ"CCT”を自分自身で紐を解いてみることにしました。
すると"自己表現"が出てきました。
私は自己表現したかったんだ…
新しい気づきに、初めて”表現したい!"そう感じきることができました。
今までの私は、娘が学校を休むと言った日は仕事を休んだり、自分の予定をキャンセルしていましたが、”自己表現”を感じてからは予定通り、美容院やエステに行ったり娘に自分のニーズを伝え自分の時間を楽しむことができました。
そして、恋愛講座で学んだ
女性性のネガティブな時は、真逆である
男性性のポジティブな行動をすることで
変わっていきやすくなる。
だから、ベッドから動かない娘の姿は
“ 不活発 ”で” 無気力 ”で” 無関心 ”な
女性性のネガティブさがあり、私は男性性のポジティブである“ 外へ向かう動き ”をしたくて、娘を散歩に誘いました。
私自身、散歩をする習慣はないけれど
「 一緒に散歩しよう 」と誘った。しかし答えは”NO”娘の殻は厚く固かった…
夏休みになり学校が休みなのでリラックスして過ごす娘、マゾキストの強い娘も自分のやりたい事、食べたい物を伝えてくれるようになり、それを叶えるような夏休み生活を送ったり、ぬいぐるみがおしゃべりする"声優”となり、自分のやりたいと感じる自己表現をするようになりました。
私はCCTででてきた"自己表現”を実行するため、新しいアカウントでFacebookを始めました。Facebookでは最低2ヶ月は毎日発信する!と意図を立て、自分の感じたことを表現してみる体験を体感していました。
それから半年が経ち季節は秋になり
娘は今も行きたくないと感じる日もありますが、
ほとんど毎日学校へ行っています。
一週間の学校生活が終わるある金曜日の夕方、
「 お母さんちょっと散歩しよ♪ 」
娘からの誘いがあった
初めての言葉にビックリしたけど、すぐに一緒に外へ出た。
『見て!ここが私の好きな景色』
「 下校で毎日歩いていて、ほらキレイでしょ! 」
川が流れる田舎道
のどかな景色
娘の目にはキレイに映るのだろう。
半年前までは
声をかけても家から出なかった娘が
今は反対に、
” 散歩しよう ”と私の手をひっぱってくれる
娘の目はキラキラしていた。
恋愛マスターを取得して直ぐにお試しがきたときはものすごく落ち込みました。
しかし、"私にはCCTというスキルがある!
自分を信じて内側をみよう!”と外側の娘に目を向けてばかりいた私が、自分の内側を見ることで変わることができた私。
そして、私がキャラクトロジー心理学を学ぶきっかけにもなった癒したいと願った娘。
まさに、私が癒され娘も癒すことができ、私が変わったから娘も変わることができました。
夕日が輝く田舎道
これからも一緒に散歩しよ♪
そして好きな景色をいっぱい見つけよう?
この日、2人で見た景色は一生忘れないだろう…
この体験後すぐにCCTプラクティショナを申請、取得できました。
こうして【こころのレスキュー大賞】に申し込みしている私。今、自己表現をしたくてこころを文に載せました。
そして、不登校・行き渋りに悩んでいる全国のお父さん&お母さんにお子さんが学校へ行っても行かなくても幸せということ、お父さん&お母さんご自身が幸せを感じられる糸口になればいいなと感じています。
ありがとうございました


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 自分自身の内側をみるCCT
どんな職種・お仕事をされていますか? : お仕事をされていますか? : これから、HIT認定講師として活動していきたいと感じます。
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー22】
渡部 栄子(わたなべ えいこ)

作品タイトル : プロセスグループで私が体験した奇跡

エピソード

私は今から7年前に、長年勤めた職場を退職し家に入りました。

しかし、専業主婦とは名ばかりで、週2回の買い物以外は家に引きこもっている状態でした。

それでも何とか自分を癒したい、癒せば後は何でも出来ると信じて、自分のペースでACの自助グループに通っていました。

そんな中、自助グループのまとめ役の方から「コムズでバウンダリーの講習会がある」と教えて頂き、2020年2月のイベントに参加したのがキャラクトロジー®心理学との出会いです。

私の生きづらさが母との関係性に原因があることは分かっていたのですが、色々やっても結局は母を責めるばかりで何の解決にもならず、そこから先に行けないもどかしさに苦しんでいた時でした。

そして、昨年5月にプロセスグループに参加し、4歳の頃のトラウマで

「母に助けを求めたところ、更に追い打ちをかけるような辛い目に合った」

所を見ていきました。

プロセスグループで話すのはとても辛かったのですが、これをやらないと何のためにここに来たのか分からないと強く感じ、勇気を出してトラウマの出来事を話しました。

そして、美穂子さんのリードに従い、何度も身体に呼吸を入れていましたが、グラウンディング出来なくて気が遠くなっていました。

すると、美穂子さんが

「あなたはグラウンディングしなくて構いません。周りの人がしますから」

と言われ、周りの参加されていた方々が私の代わりにグラウンディングしてくださいました。

今でもこの場面を思い出すと、胸に込み上げて来るものがあります。

物心ついた頃から、私の代わりに誰かが何かをしてくれるということはありませんでしたので、その時は本当にびっくりしました。

私は呼吸の苦しさに耐えられず、ワークをあきらめそうになっていたのですが、気持ちが切り替わり

「絶対にやってやる!」

と意図が立ち、美穂子さんのリードに合わせて必死で呼吸を入れて、

母への憎悪、許せない、怒り、絶望を感じながら、絶叫と共に息を吐くのを繰り返しました。

そして、美穂子さんが

「もうずぐゾワッとする感覚が来ます」

と言われたので、私は

「えっ何で分かるの⁉」

と一瞬驚いた後、すぐに私の右の腰辺りにゾワッという感覚が下から上に走りました。

その後、それが子どもの頃に感じられなかった『恐怖』の感情だと知りました。

ワークの後は全身の緊張が解けて、自分に静かな力が戻って来るようでした。

そして、その静かな力と軽くなった身体を感じながら喜び中で帰ったのを思い出します。

このプロセスグループの後、私は学ばずにはいられないという感じでキャラクトロジー®心理学を学び、

1年後には、それまでは怪しいと思っていたヒーリングを学びにヒーラークラスに通い始めました。

また、今までは助けを求めることが怖くてできなかったのですが、今は

「サポートを求める」「自分から取りに行く」

と心の中で呟いて、そちらの方向へ動けるようになってきています。


最後に、

「なぜ、生きるのがこんなに辛いのか?」

子どもの頃から、ずっとこの疑問を抱えて苦しんでいました。

色々と嫌な事があったけれど育ててくれた母を許せない自分はダメだと、自分自身を責めてばかりいました。

でも、2年弱学んできて

「今は母の事を許せない自分を、認めて受け入れることから始めてみよう」

と思えるようになり、そうすると気持ちが楽で身体がゆるみ、ほっとしている自分を日々感じられています。

今は学びの中でたくさんのサポートを求め、受け取ることが出来ています。

本当にありがとうございました。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : プロセスグループ
どんな職種・お仕事をされていますか? : 心理学講師 心理カウンセラー
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 山本美穂子さん、プロセスグループに参加されていた方々




【エントリー23】
林 美代次(はやし みよじ)

作品タイトル : 近所のお婆さんに手紙の代筆をした事

エピソード
近くに文字が書けないお婆さんが住んでいました、子供が中学卒業して直ぐに北海道
の自衛隊駐屯地に就職したので、就職してしばらくしてから、息子に手紙を出したいので手紙を書いて欲しいと頼まれました。
お婆さんの側に座り、お婆さんが息子さんに語りかける話を代筆、手紙にするのですが、お婆さんの話を聞いていると、可哀想で涙が出て来て時々休まないと手紙の文字が書けませんでした。お婆さんは自分1人で、苦労して息子さんを育てて来たものですから、話しかける話の内容は優しい離れた子供への想いや、お婆さんの悲しい想いや色々複雑な話し中に、お婆さんも涙を
流して息子に語りかけていました。私の父も明治生まれ、お婆さんも明治生まれ、私は明治生まれの人は可哀想だなと手紙を
代筆書いている途中涙が止まりませんでした。私が中学生の時の悲しい想い出です。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 子供と遠く離れて、一人で暮らすお婆さを嫌の寂しいさを痛感する。
どんな職種・お仕事をされていますか? : 昔は技術職、現在は無職
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー24】
林 美代次(はやし みよじ)

作品タイトル : 私のある友達の事

エピソード
私と同じ年齢ですが、家庭の事情で、学校に行かせてもらえなかった友達、家族で多くの子供を抱えた親達は1950年頃の話しですが子供を学校に行かせるお金が無く
子供を非行に走らせた例は沢山有ります
私の友達もその一人です。私には心の優しい友達でたが、少年鑑別所を何度も脱走して、その都度、派出所に連れて行き交番の警察管に誉めらていましたが、私は友人が大きな事件を起こさない様、友人を説き伏せていっも一緒に派出所に行きました。友人は万引きの名人で、何でも簡単にお店に入っては欲しい物を手に入れていました。私が中学生になった頃一緒にお風呂に入った時には、身体に大きな刺青をしていました。が
私には別段普通の友達として変わった事も無く心の優しい友達でした、同学年で女の子はキャバレーで働き家庭の援助をしているクラスメートもいました。悲しい家庭環境を誰が助けるのでしょうか?時代が
悪いかったのでしょうか?、友達には誰
一人として悪い友人は居りませんでした。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 皆、私には、心の優しい友達でした。
どんな職種・お仕事をされていますか? : 昔は技術職、現在は無職
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー25】
小谷 綾香(こだに あやか)

作品タイトル : 優しくて平和な親子の関係性

エピソード
この日は小学校の参観日。
学校につくなり、下駄箱で迎えてくれた次男。


すでに参観授業は始まっているけど、教室に入れない次男。


私に気づくと「帰りたい」の一言。


とりあえず、次男の教室の前に行き次男のいない参観授業を見ることに。

命についての道徳の授業。

お腹の中でどんなふうに育ってそこには両親のどんな思いや支えがあるかについて。


次男は私のとなりで「帰りたい」と何度も言いながら話を聞いていました。


その授業中に渡された両親からの手紙。

次男には内緒で学校に渡していたもの。
何を書こうか迷ったけど、私の思いとともに次男のもって生まれたエッセンスに触れて書きました。


「俺のもある?」と心配そうに聞いてきた次男に机の上に置いてあるよと伝えると、手紙を取って戻ってきました。


手紙を読んで何も言わないけれどゆっくりとじっくりと読んでいました。


参観授業も終わり、「帰りたい」の一点張りの次男。


理由を聞いても「学校がいやだ!先生がいやだ!イライラする!」と。

私が、この後に長男の参観もあって、午後からはお仕事もあるから連れては帰れないことを伝えると、次男はイライラして手紙の入った封筒をぐしゃぐしゃにして水道の水で濡らし丸めました。


次男のために大切に書いた手紙をぐしゃぐしゃにされて、悲しさが込み上げ「そんな風にされてママは悲しすぎる」と、、悲しくて泣きそうになる私を見て次男も焦っていた。


一旦落ち着こうと外に出ると次男が着ていたパーカーのポケットから手紙の中身を出してきた。


私を試したかったのか...
少し混乱する私もいたので落ち着かせようと次男と外に座って話をしながら整理していった。


帰りたい理由が「学校がいやだ!先生がいやだ!イライラする!」は感情的反応だと分かっていたので、私もその反応にのらず、私の連れて帰れない理由を伝えたけれど、それでは次男の「帰りたい!」って気持ちが変わらなかった。


感情的反応のトリガーは何だったのかに触れていなかったと気づき、そこは次男のいつものパターンなので触れてみた。

「参観日で緊張して、落ち着かなかったの?」と聞くと、今までの一点張りの主張が解けて頷いた。


参観日で朝からいつもと雰囲気が違う学校や先生を感じて、次男も緊張していて落ち着かなかったようだ。

背中をさすり「緊張してたんだね。落ち着かなかったよね。」と寄り添ってあげると次男は泣き出した。


私の両腕の間に入りこみ、まわりの友達から見えないように隠れて「本当は授業もやってみようって思っていたけど、できなかったんだ...」って悔しそうに涙を流し話してくれた。

緊張やソワソワする感じを抱えきれなくて教室にも入れず、できない自分に腹を立てていた。


そして「ママ、さっきはごめん」って謝ってくれた。

私はただただ、次男が本当の気持ちを話してくれたことが嬉しくて、「話してくれて本当にありがとう」と言って一緒になって泣いた。


次男の本当の気持ちが聞けてよかった。
敏感で繊細だから色んなことを感じすぎて、本来のちからが発揮できない次男。


これは今に始まったことではない。

今までは次男に対して「なんでできないの?!みんなやってるよ!!早く行きなさい!!できないなんて恥ずかしい!!!」って、怒り呆れ果てて、まったく寄り添えない私がいた。


それが出来るようになったのもキャラクトロジー心理学を学んでから。


次男と同じように繊細に感じ取り、やりたいのに緊張して思うようにできない
恥ずかしくて声に出せない
思うようにパフォーマンスできないこどもの自分がいて、そこには私と同じように怒り呆れるお母さんがいた。


その時、親には寄り添ってもらえず
こんな自分はダメなんだ、どうせやってもうまくできない、もうやめてしまえ...
チャレンジしても、できてない自分を否定して評価して中途半端にやめてしまう自分を創りだしてしまっていた。


キャラクトロジー心理学に出会い学ぶことで、大人の私は、傷ついたこどもの私に寄り添い、できなくてもチャレンジした自分を認めて欲しかったし、ほめてほしかった...
そんなニーズに気がつくことができて、チャレンジしたことや、小さなことでも褒めることをしていった。


そして、共に学ぶ仲間もできたことで自分からサポートを求めれば一緒に寄り添ってもらえるあたたかさも知り体験できた。
一人ではない、力強い安心感の体験は私にとって初めての感覚で固まった内側が震えながら解けていく感覚があった。


目の前にいる次男は、本当はやってみたい!ってところにいて、私が私にしたように、私がサポートを求めた時に寄り添い抱きしめてもらったように、そこに言葉もなくハートからホールドし次男を抱きしめると「次は体育だから行ってくる。」って自分から授業に向かっていった。


そんな次男を見て、私は母親として心から安心し、次男の母親になれて本当によかったと嬉しさが込み上げてきた。


私が癒され変わると、目の前のこどもたちも輝きだす。
学びはじめて1年がたち振り返ると、望んでいた優しくて平和な親子の関係性を、目の前の愛するこどもたちとコツコツと築けていると実感しています。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : キャラクトロジー心理学と共に学ぶ仲間
どんな職種・お仕事をされていますか? : 自宅カフェ(ランチ、ワークショップ、カウンセリング、ヒーリング)、お片付け、赤ちゃんとお母さんの学校umalelu
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー26】
相澤 知佳(あいざわ ちか)

作品タイトル : 不安な私を引き上げてくれた太陽

エピソード
私は昔から運が悪く生まれて1度も愛情を両親から受けたことがありません。生粋の昭和生まれで 殴る蹴る当たり前で何かしても発言できず、小中は病原菌扱いされるほど酷い時代でした。さらに御付き合いする男性は全て勝手で私を1番に考えることなく最近まで一緒に暮らしていた男性からは毎日DVを受けてました。その時たまたま出会ったのは今御付き合いしてくれてるパートナーで何もかも新鮮でした。私を1番に考え、寄り添いまた警察に相談することを勧めてくれ何とか今は違う場所で生きられているのも 自殺しようと留めてくれているのも太陽みたいな存在のパートナーのお陰です。今コロナ禍でさらに辛い状態ですが、パートナーが居るから頑張れてます。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 毎日のLINEやあってくれてのハグ。存在
どんな職種・お仕事をされていますか? : アルバイト コンビニ店員
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー27】
原田 由美子(はらだ ゆみこ)

作品タイトル : 一番辛かった事

エピソード
私は学校でいじめにあっていまし た。15歳中3の時期が一番ひどかった。朝起きて学校へ行くのが嫌だった。親には話せなかった。教室では孤独だし、話したくない。進路を決める時期になり登校拒否で休むようになった。死んだら楽になるのか毎日考えていた。担任の先生は、私の進路を心配して欠席が多かった、洋裁の専門学校進めてくれた。卒業まであと少し我慢しよう。高校に通って休む事なく通いました。この先生にあっていたから私は今生きてます。感謝の気持ちです。逃げて何も変わらない。命救われました。 

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 先生の優しい気持ちに癒さました
どんな職種・お仕事をされていますか? : 看護助手
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー28】
井上 義一(いのうえ よしかず)

作品タイトル : 外国からのお客様

エピソード
ある日の夕方、駅前で人が行き交う中、外国人女性が若者数人に囲まれ、汚い英語で彼女をからかっていた。
そこに酩酊した高齢者が大声で怒鳴り散らしていた。
私は何とかしなくてはと英語で助けを出した。彼女はほっとしたのか、目で訴えるように私の方によってきた。周りの人たちは、始めて若者や酔っ払いに無言で迫って行った。地元大学の留学生であった。
笑顔を取り戻し、私は困ったことがあったらと名刺を渡した。
彼女はベトナム人、リンダ・ルイさんは日本人と同じ繊細で、人を思いやる感性を持っていると思った。
23歳、父親がフランス人でハーフ、ベトナム国籍、日本の私の地元大学に留学していて、エネルギーを学びに来ていた。
ある時、大雨で自宅が床上浸水になった。その時、何人かの外国人が助けに来てくれた。日本人と同じような義理人情を持った外国人がいるのだ!あのベトナム女性は第一に来てくれ、「先生、大丈夫」と声をかけてくれ、一生懸命泥を運んでくれた。
オーストラリア人は、サンドイッチを作って持ってくれた。私たち夫婦は、娘が都会に出て行き、二人暮らし、寂しさを埋めるようにヴォランティアで留学生の相談にのっていた。トラブルがあれば助けに行き、怪我をすれば病院へ出かけていった。私は嬉しさに涙を滲ませた。外国人であろうと、日本文化を理解し、日本人の精神まで共にしよう努力していることが嬉しかった。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 困っている人お助けることで自分も助けられたことの喜び
どんな職種・お仕事をされていますか? : 通訳
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー29】
田上 智佳士(たのうえ ちかし)

作品タイトル : 紡

エピソード
「あんたが死んだら私は死んでも死にきれん。」私が自殺未遂した時の実母の言葉。私は統合失調症である。幾星霜私が重篤の状態の恋慕に対する希望の言の葉。私は警察官だった。しかし今から約11年前過激な勤務で心身疲弊してしまい依願退職に至ったのだ。その時頼りになったのが実母だった。何回も入退院の繰り返し。その都度頻繁に面会に来てくれたのだ。然しある時幻聴を契機として公園のトイレで自殺未遂。救急車で緊急搬送されたのだ。その時も母は私の傍らにいた。その後精神科医と看護師などの医薬と病理が功を奏し幻聴が改善したのだ。約3年間は自宅療養をしながら仕事を探した。実母の尽力もありその渦中に私は今の職場に一期一会の絆を思念して辿り着いたのだ。今私は高齢者介護福祉施設の職員をしている。実母の愛を無駄にしない。その愛を入居者の方々に付与する。
等身大の母の義。歳月を経た私は実母に感謝し感得している。そしてその母との軌跡を我の奇跡に託し未来へと命を紡ぐのだ。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 実母の義
どんな職種・お仕事をされていますか? : 高齢者介護福祉施設の職員
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください :




【エントリー30】
叶 廉人(かのう れんと)

作品タイトル : 1コマの笑み

エピソード
僕の場合、毎日を生きていると、言いそびれたり、聞きそびれたり、泣きそびれたり、笑いそびれたり、時には助けそびれたりする時があります。
僕のクラスには、1人変わった男の子がいます。その子は、他の人の言う意見に過剰反応してしまうという特徴があります。先生がミスで間違った発言をした時も、怒り気味で訂正したり、ギャグを誰かが言った時も、それは非現実的なのではと食い気味で発言したり、テスト返しの時も、名前を呼ばれたら、全速力で走って受け取りに行ったりなど、普通の人が行わないような言動をするのが彼なのです。そのため、先生からは冷たい目で見られ、クラスのみんなからは罵倒されています。次第に自己主張が活発だった彼は、呪いにかけられたかのように、さっぱり自分意見を述べなくなりました。
そこで僕は、聖書に書かれている「自分にして欲しいと思うことは皆、人にもしなければなりません」という言葉を思い出し、彼に定期的に話しかけるようにしました。もし自分が彼だったらそうして欲しかったからです。好きな食べ物や嫌いな食べ物、好きなスポーツや趣味など、様々なことを質問し、知るようにしました。
最初はもちろん、警戒心からか、「うん」とか「あー」くらいしか発しませんでした。 しかし、何度も何度も挑戦し、同じ委員会に入るなどして、友達になろうと努力しました。 今思うと、正しいやり方だったか不安ですが、彼は徐々に口を開くようになりました。
最後に、彼の心の変化が見られた嬉しい出来事をお話しします。
ある日の放課、彼はいつも通り自分の席に座ったまま、鉛筆を握っていました。 不思議と、放課中に話しかけたことはありませんでした。自分も周りの目を気にしていたのかもしれません。 「何描いてるの?」と聞くと、彼は「絵、、。」と答えました。連絡帳には、先生との意見交換スペースが設けられていて、自由に書くことができます。 彼は絵日記を書いていたのです。見たところ、漫画のようなもので、ストーリーがありました。 そして彼は「君は」と言いました。  最初は少し戸惑いましたが、今、自分が尋ねられているということに気付き、喜びが込み上げてきました。 普段とは違った仕方で会話ができ、報われた気がしました。

彼自身、僕の努力で、変化した部分は大きいと思います。しかし、彼のその姿に僕の心にも変化がありました。 彼は大切なことを教えてくれました。 言いそびれたり、聞きそびれたり、泣きそびれたり、笑いそびれてもいいが、助けそびれては絶対にいけないということ、努力は報われるということを。
 これから先、苦しいことがあっても、悲しいことがあっても、頑張ろうと思います。 あの時、あの教室で、あの放課中、椅子に座ったままの彼が描いていた、絵の中の僕と彼の笑顔を思い浮かべて。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 笑み
どんな職種・お仕事をされていますか? : 中学生
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー31】
岸川 未来(きしかわ みく)

作品タイトル : 生きるだけで充分だよ、ありがとう。

エピソード
「10年前の鬱病で、入院してた私へ」20歳までにはもう生きてないと思ったけど、生きてるよ。おめでとう。白黒はっきりつけないと不安なところはまだ治ってないみたい。でもね、ようやくね、私自身を受け入れることができたよ。素直に泣いて怖いって曝け出せるようになったよ。ずっと周りは怖いって心を閉ざしてたね。そう感じること、悪いことじゃなかったみたい。周りに愛されたい。もっと輝きたい。根底でずっと叫んでたね。頭で理解しても心が腑に落ちるのに時間がかかったみたい、でももう大丈夫だよ。私は、わたしをしんじてる。常に私に対して愛をギフトを送ってくれてるから、それを素直に体を通して、その感覚を体に、心に染み込ませるだけだから。全ては思い込みだから、あなたはずっと輝いてるよ。素直に泣いてる姿を見せるとみんな優しく寄り添ってくれるんだよ、だから本当に自分次第だからね、そう入っても怖い気持ちもわかるから、もう自分の感情を評価しなくて大丈夫だからね、だいすきだよ、

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 視野の広がり、自分を愛する
どんな職種・お仕事をされていますか? : 求職、発信者
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー32】
向井 隆二(むかい りゅうじ)

作品タイトル : インドのとなり

エピソード
僕がファミリーレストランでアルバイトをしていた時、一人の小さい男の子が後輩として入ってきた。にこにこ笑っている彼に「はじめまして」と声をかけると彼は少し困ったように笑い続けた。容姿では気づかなかったが彼はネパール人だった。あまり日本語の話せない彼は接客はできないのでキッチンに配属となった。とはいえマニュアルや挨拶、伝票など日本語なのでよくミスをしたり店長に怒られていた。笑顔は次第に困ったような笑顔になり、ミスするとパニックになり髪をかきむしった。僕は簡単な挨拶や数字などのネパール語を覚え彼に話しかけるようにした。久しぶりに初対面の時の笑顔になった。そらから僕に日本語を教えて欲しいと言い学校の教科書を取り出した。僕が読んでも難しい福祉の本だった。僕は拙いネパール語と日本語を混ぜて彼に本の内容を説明した。そして彼は今、福祉士として誰かを笑顔にする仕事をしている。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 言葉
どんな職種・お仕事をされていますか? : 自営業 便利屋
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー33】
林 美代次(はやし みよじ)

作品タイトル : 火中の栗を拾う

エピソード
誰もが、嫌がる仕事を、引き受けざるになった時、損得を考える暇も無しに判断を
下す必要が有る場合が、一生に一度は有ります。我が身を捨てて拾う事無し、なんて文句も有りますが、正に皆の犠牲になり、
皆を損得を考えないで、行動した時は、皆力を合わせて、努力すれば凄い力になります。人間必ず損得を考えるのが普通です、が、正に皆の犠牲になり一生懸命努力すれば必ず願いはかないます。火中の栗を拾う正に邪心がなければ、皆一生懸命努力してついて来てくれます。人間馬鹿になるのは難しい事です、が、無心になれば可能です。但し犠牲者がいます。それは家族です。生きると言う事は難しい事です。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 皆を信信じ無心で処理したが癒される事はなかった
どんな職種・お仕事をされていますか? : 昔は技術職、現在は無職
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー34】
林 美代次(はやし みよじ)

作品タイトル : 病悪は如何なる願いもむなしく

エピソード
身の回りで、家族、会社関係の人々色々な人々の介護や、お見舞い、病気で病院に入院した方々の苦しみは、どんな立派な方、有名な人、大金持ちの人でも、病気には勝つ事は出来ません。現実は厳しい物です。
人生神から与えられた命を一生懸命精一杯生きるしか方法しかありません。
神を恨む時も有りますが、人生
運に身を委ねるしかありません。
だから、一生懸命精一杯生きるしか方法はないのです。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 癒される事は有りません、現実は悲しい
どんな職種・お仕事をされていますか? : 無職
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー35】
吉田 美穂(よしだ みほ)


作品タイトル : 人は元来幸せになるめに生まれてき

エピソード
私が心問題に取り組み出しは、2014年から。
そもそも、私自身が心問題抱えていまし

なぜ?人は同じ問題繰り返すか?

なぜ?人は幸せになれないか?

なぜ?私は不幸で貧しいか?

なぜ?がくさん人生でし

でも自分問題は、どうしようもないと諦めつつも、沢山談にってきまし

引き寄せ法則読んだり
セラピー学んだり

簡単にクリアにできるところは
お話ししだけで

場で解決でき

けど

後ま
違う環境や違う人と中で
同じ問題に戻る方がほとんど、、、

そんな相談にくさん答えてきまし

そもそも。
根本解決は難しいという現実に突き当る。
どんなに聞いても悩みは堂々巡り。
なにより私自身も問題が山積み
心身症になり、どうしようもない現実。

お金もなく、時間もなく、シングルマザーで3人子ども育てながら
問題どうこうしてる場合じゃなかっ

そんな時、キャラクトロジー心理学山本美穂子さんに出逢っ

逢っ瞬間、目見るが怖くて仕方なかっけど、美穂子先生話す言葉や概念が面白く、エネルギーやオーラ話も興味深かっ

タイプは、
将来ボケとハゲになるタイプだと知り
衝撃くらう、、、(笑)
看護師頃から一番なりくないやつだっ(笑)

学び深める度に多々衝撃くらうが、それ以上面白さにめり込んだ。

学び深めていある日
あるイベントに参加し
私と同じ境遇にいる女性に出逢う。

同じ年齢、同じシングルマザー、同じ子ども数、同じく貧乏。友達作るが苦手な私にはどう仲良くなっらいいかわからなかっけど、似過ぎ環境だっからか、彼女が私に興味持ってくれおかげで
色々話すようになっ

キャラクトロジー無料診断や入門講座、
一つずつ、今目前にある問題に対して
どう対応していいか?

キャラクトロジー心理学含め
知ってること、彼女問題クリアにするめに昼夜問わず答

今思えば
私にできるはこれしかないんだな。と思う。

寄り添い、励まし、彼女エッセンスや能力信じ
だ自分ができる範囲だけだけど
いつも側にいる事。

それだけだっと思う。

自分が学んだ事、体験し事。
中で理解出来こと伝えると
少しずつ彼女生活が変わっていっ
そして、一緒に学び深めていっ
キャラクトロジー1day、マスター、グランドマスターと学び深める度にプロセスが起こるけど
一人でがんばらずに
サポートに手伸ばせるようになって
問題は早くクリアになっていっ

きっと、彼女に必要だっ
信頼してもらうことだっ。それだけ。

だから、偉そうに何か。とか語るも違うと今は思えるが
時々偉そうに論破し自分がいことも認めつつ。
ごめん。


私にできる唯一信頼し寄り添うことが
彼女何かに触れてパワー取り戻しだけこと。

変容共に体験出来

そして、今
彼女は間違いなく幸せそうに人生階段登っている。

私が何かしから。ではなく
人は、何かしらきっかけで人生再創造できる力持っていて
きっかけに選んでもらえ事。だだそれだけ。
謙遜でもなく
それが一番嬉しい。と、ここに書きながら感じている。

人は元来、幸せになるめに生まれてくる。


幸せ心から感じるめに 不幸やどん底や絶望があり、
先に待っている幸せめに
全て経験がある。

私が唯一出来ること。
それは
昼夜問わず一緒にいる。

これは私が子ども頃から、死にいと思いながらも生きながらえてき理由一つ、私想い、いつも祈ってくれる恩師おかげで体験し宝物。

宝物があるから
これからも誰かに寄り添い
幸せ階段登るお手伝いが出来る。

「誰もが幸せになるめに生まれてくる。」
お手伝いができる今仕事天職として
これからも出逢っ人、お一人お一人大切に
いやしみちしるべとして過ごします。

あな人生はより良いもとなる。

これ読んでくださっあな幸せ
心からお祈りいします。

読んでくださりありがとうございます。感謝。


エピソード中で、あなは何によって癒されと思いますか? : 誰か存在と講座
どんな職種・お仕事されていますか? : キャラクトロジーグランドマスター・やまと式かずま術公認講師
今回応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー36】
林 美代次(はやし みよじ)

作品タイトル : ある、児童の施設を訪ねて。

エピソード
ある、子供達が沢山居る施設を訪ねた事が有ります。昔、ぬむの木学園、宮城まり子さんの本を読んだ事のある様な施設で十字軍、エスポアールと言った施設だったと思います。小さな幼稚園児位から中学生位の
親の無い子、親から捨てられた子、達が
ゴッチャで生活していました。短い滞在で
あったので、細かい事は分かりませんが、
学校の様な体制で無く、小さな子や大きな子達が、そこで、衣食住を共に生活をしてる様で、ボランティアでしてる様な感じでした、年齢別のクラス分けも無く、子供達が一緒になって勉強していました。
国がその施設の面倒を見てない雰囲気が感じられました。この時代になっても
親から見捨てられた悲運の多くの子供達が居る事を知りました。少し前或る病院の
小児病棟を訪ねた時、掲示板に児童憲章が張ってありましたが、生まれた時から親から捨てられた障害の有る幼児もすでにいました。社会生活するに、悲しい現実はまだまだ身の回りには有る事を知りました。
児童憲章は児童はみんなで守り育てられる権利が保証されているはずです、が?


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 癒される処か、むなしくなります。
どんな職種・お仕事をされていますか? : 無職
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー37】
橘 貴臣(たちばな よしおみ)

作品タイトル : ありがとうの電話

エピソード
 まだ私が学生だったころ、夜になるとかかってくる電話があった。インターネットの掲示板で知り合った同じ病を持つその人は、眠れないからと電話をしてくるのだった。私は課題に向かう手を止めて、彼女の話に耳をかたむける。彼女は話す。一時間も二時間も話す。やがて彼女は言う。「眠くなってきた」彼女は、ありがとうと言って電話を切る。私は時計を見る。その針は午前二時を指していることが多かった。
 そんな私も卒業をし、彼女も夜中に電話をかけてくることが出来なくなった。それでも夕方、休日と、電話はかかってきた。彼女は色々なことを話した。仕事のこと、対人関係のこと、恋のこと。短くても三十分。長ければ二時間以上話す彼女に、携帯の電池が切れておひらきとなることもあった。彼女を取り巻く環境も変わっていった。男の人と一緒に暮らすようになった。正社員になった。主任になった。犬が一匹増えた。それでも毎年私の誕生日になると彼女からメールが届く。「生まれてきてくれて、ありがとう」と。そして私自身もまた、その言葉に支えられるのだった。「生まれてきて、よかった」と、自分を確認することによって。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 電話が必ずつながるという安心感によって
どんな職種・お仕事をされていますか? : 会社員
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー38】
河上 輝久(かわかみ てるひさ)

作品タイトル : 都会は

 私は昭和二十二年十一月十七日に愛媛県周桑郡壬生川町新田(現西条市)で生を受けた。 小学校二年生の秋、父は倉敷紡績西条工場に辞表を出して、大阪でクリーニング業する為に、引っ越しした。大阪市立九条北小学校へ編入された翌日から虐めにあった。当初は、言葉だけだったが、教科書や体操服等を隠されて、耐え難い気分に陥った。
 更に、図工の時間帯に、
 「河上君だけですよ。クレヨンではなく絵の具を使用しなさい」
 担任に言われた。しかし、郷里では殆どの指導は、クレヨンを使用していた。その言葉を無視した為にしかとされた。クラスの男子生徒殆どが虐めに入った。耐えきれなくなった私は、休校を選択したが、月の半分は休んでいた。しかし、四年生に進級して、クラス替えがあり登校出来るようになった。       

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 両親の愛
どんな職種・お仕事をされていますか? : クリーニング業
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー39】
前潟 華織(まえがた かおり)

作品タイトル : 話さないと、いけないから、私が、最後の、彼女です。

エピソード
私は、堀∞しん∞ちろうと、最後に、付き合ってた、彼女です。年は2歳、年上です。お中に、赤ちゃんが、出来てました。シンナーを、吸っていたり、タバコを、吸ったりしてました、妊娠中は、タバコ等、吸ったり、してません。私は、赤ちゃんを、下ろさなくては、いけない3ヶ月目が、最後で赤ちゃんを、下ろしました。彼氏は、きずいてませんでした。彼女と、しては、おかしい、付き合い方でした。私が、入院している病院の、壁にバイクごと、彼の誕生日、彼は亡くなりました。私が、トイレで、死のうとした、時まで、私は、息を、吹き返して、退院して、亡くなった、と、聞きましたが、赤ちゃんを、言えなかった。産婦人科で、赤ちゃんの死体を、怖くて(みません)と、医者に、言いました。産んじゃいけなかったと、言った母は、末期ガンで、亡くなりました。産みます…出産予定日は?6月30日♡妊娠した日は、9月21日……気が狂いました。未成年だった。から?言ってないから?彼に?

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 解らなくなったら、こうなる。
どんな職種・お仕事をされていますか? : 障害者
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー40】
安藤 靖恵(あんどう やすえ)

作品タイトル : 自分なのか誰かなのか

エピソード
物心ついたころから、大人を信用することができませんでした。
私にとって、親も先生も、周りの大人も、ただただ恐い存在でした。
彼らの機嫌を損ねないよう、期待に沿うよう「ねばならない」「してはいけない」をいつも気にしている子どもでした。それが私にとっての生きることでした。
我慢と努力の甲斐あって、成績は悪くなく、親からも先生からも、その点で何か圧力を受けることはほぼありませんでしたが、私自身の、本心や願い、希望のようなものを押し殺し続けたツケは、かなりのものでした。
大人からの監視と影響から逃れるために、そのためだけに、計画的に遠くの大学を志望し、無事、親元を離れることができました。
ですが、私の心の呪縛、重いグセはそう簡単には抜けません。
なにをするにも、親がどう思うか、なんと言われるだろうか、そんな子とばかりに囚われていました。
大学を卒業後、名のある会社に就職できたのですが、これまで個性なく、自主性もなく生きていたボロが見事に噴出したのが時がそのときでした。
社会というしくみにも、会社という人間関係にも、同僚の中でも、すべてにおいてうまく回らず、ノイローゼになりました。ぼんやりと自分が道を歩いているとき、向こうから来る誰かが私のことをよけた瞬間、まだ私はこの世に存在しているのか、と思ったほどです。
もうこの世からいなくなってしまおうと決めました。
遺書を書き、徹底的に大人たちへの恨みを書くつもりでした。私はそのための計画を立て始めていました。
そんなとき。
8年来の友人が、訪ねてきたのです。
数年間ろくに連絡も取りあっておらず、なぜ彼女が私を訪ねてきたのか、今となっては分からないままなのですが。
気の置けない関係だったころを思い出した私は、彼女にポツリポツリと話をし始めました。
私のことをよく知っている彼女は、私の話の大部分を聞き終えると、声のトーンを変えずに言ったのです。
「あなたの本当にやりたいこととか、あなたがこころから望んでいることを、本当の意味で邪魔することのできる人は、誰もいないんだよ」
私は目が覚めたような気持ちになりました。
そんなはずはないのです。
私は全てを大人たちから邪魔されてきたと思っていました。
でもそれは、私の中の小さな世界の、大きな妄想の世界の中の出来事だということに、後で気が付くことになりました。
彼女のその一言がきっかけで、私の計画はあっさりとなくなり、私のその後の人生は、親の価値観と真逆だろうが、理解してもらうことができないだろう、と感じようが、自分の決めた道を、ドキドキしながらも進んでいくことが増えました。
結果は。
もちろん、親も他の大人も人間です。
人生観も違えば価値観も違います。くどくどとお説教を受けることももちろんありましたが、それは、彼らの不安や恐怖に対してのものだということが分かるようになってきました。
自分の決断した道が、誰かの期待に沿うものではなかったとしても、
親はもちろん、誰も私の人生そのものを応援していない人はいませんでした。
私のやりたいこと、心が望むことを邪魔していたのは、私自身だったのです。
今でも、人の期待に沿わないことをするときのドキドキ感はあります。
恐怖とも言えるかもしれません。
けれど、私はもう、人の期待に添いたい場合も、そうでなく、自分の選んだ道を進みたい場合も、どんな結果になろうと、誰かのせいにすることはありません。
私にあのひと言を伝えてくれた彼女は、私とは価値観の違う人間です。
それでも、誰かのひとことが、誰かの人生にとっての種になり、芽を出し、誰かを癒し、救うことができる、ということも彼女は教えてくれました。
出口のない苦しみの中にいる人は、私の周りにもたくさんいます。
けれど彼女のように、種を蒔いてくれる人が全ての人にいたら、私もいつか誰かにとってのそんな存在になれたら、と思っています。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 種を蒔いてくれた人の存在
どんな職種・お仕事をされていますか? : 自営業
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 友人



【エントリー41】
林 美代次(はやし みよじ)

作品タイトル : ドイツ、シュツガルトのあるお婆さん

エピソード
ドイツでの想い出、昔、ドイツで旅行社のホテル手配で、間違いがあり、宿泊するのに大変困って、シュツガルトでホームステイして朝、路面電車に乗った時、松葉杖を突いた身体の不自由な大きなお婆さんが乗って来られたので席を譲ってあげました。
路面電車が終点に着いた時、シユツガリトの汽車の駅が分からなく、席を譲った、ばっかりに、身体の不自由なお婆さんが松葉杖を突いて駅迄一緒に歩いて、汽車の切符迄買って下さいました。巨漢で身体が不自由で松葉杖を突いて、汽車の駅迄歩いてくれたお婆さんの親切は忘れる事はできません。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : お婆さんの親切に癒されました。
どんな職種・お仕事をされていますか? : 無職
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー42】
林 美代次(はやし みよじ)

作品タイトル : 海外で人生をまっとうした女性達

エピソード
私は有る時期、色々な国を仕事で訪問しました、何時も感心する事は日本の女性の
勇気ある事を経験し、何時も助けらました
イタリア、ベニスで或会社の極東支配入、ポレギニスキーのご婦人は日本女性で
電話したらミラノからベニス迄自動車で
迎え来てくれ、イタリアで大変お世話になりました、フランスのオペラ座の前の大丸では、日本のご婦人にフランスでは随分と助けて頂きました、ドイツでは◯◯子、シュナイダー通訳には、ベルリン他色々助けて頂きました。韓国では盧テウ大統領時代は
仕事仲間の友人が韓国アガシと結婚、ミス、金、ミス張チャンミス梁ヤン等々日本で子供にも恵まれ幸せに皆暮らしています。皆、私友人ですから、もう結構な年齢ですが、女性の活躍は凄い物です。沢山お世話になりました。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 女性の優秀さに癒されました。
どんな職種・お仕事をされていますか? : 昔は技術職、現在は無職
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー43】
福田 俊紀(ふくだ としき)

作品タイトル : こころが覗き込めたなら

エピソード
看護師2年目の夏だった。受け持ちのAさんは重度の鬱と認知機能の低下で、重く沈んでいた。
心不全で入院したAさんだが、心臓と同じくらい心のケアが大切だと、経験の浅い私は感じていた。
プライマリーナーシング制度のため、仕事の日は大抵、Aさんの担当となる。はじめの内は挨拶をしても返事がなかったが、3日、4日と繰り返す内に、言葉が返ってくるようになった。
認知力の低下したAさんは、目の届く所に居ていただかなければならなかったので、日中はナースステーションでお話しをしたり、簡単なレクリエーションをしたりした。でも、大抵は、
「うるさい、あっち行け!」
そんな風に怒鳴られることも多々あった。というより、怒鳴られない日はなかったといっていい。もともとの亭主関白に加えて脳の老化で易怒性が増してしまっていた。私は苦い顔を作り、謝るしかなかった。
奥様が面会に来られたある日、いつものように機嫌が悪そうなAさんが、奥様のその横顔を、平手で叩こうとされた。幸い、素早く気づけて防げたものの、なんて危ないんだ、と私は思った。
だが、奥様は、Aさんのその手を握って、
「あらあら、こんなにしわが増えるまで頑張って。いつもありがとう」
と笑顔で言われた。
その言葉がAさんに届いたかどうかは、分からない。ただ、力が抜けたように、Aさんの腕がすっと降りた。
それから私は、何があってもAさんのことを肯定しようと思った。いけないことはいけないが、なぜAさんがそうしようとしたのか、を常に考えた。そして、それを言葉にしてご本人に返した。
奥様の面会も増え、そのためか、次第にAさん本来の、にこやかな顔つきの時間が増えた。
奥様の力に私たちが少しだけ力を添えて、Aさんの生きる力を支えていたのだと思う。
2ヶ月後、Aさんは退院した。最後は満面の笑みで、
「ありがとーう」と遠くまで響く声で言われ、奥様と2人、静かにタクシーに乗って帰られた。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 相手の身になって行動すること、奥様の存在
どんな職種・お仕事をされていますか? : 看護師
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー44】
ギザギザ 仮面

作品タイトル : 右足首が動かない

エピソード
或る朝、起きて精神科デイケアに行こうとしたら、行ったのだけど、右足首が全然動かない、屈伸が出来ないのだ。病院の内科に掛かると、市民病院を通され、抹消神経検査と、mriと血液を視るというので後日、検査にピンチ、数日後回復ちょっとだけ動く、ん?。検査の結果異常はないと、血液のビタミンが足りないという。先生は「どうだい?」自分「ちょっとだけ動きます」先生「良かったね」
そのまま治ってしまった。危機一髪だった。訪問看護の看護婦いうに何とかと言って中々治らないと言う。良かった。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 元々の彼女
どんな職種・お仕事をされていますか? : 作業所作業員
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー45】
林 美代次(はやし みよじ)

作品タイトル : いじめについての経験

エピソード
いじめの問題は色々難しい点がいくつか有ります。幼児期の親からの虐待は生活の上で周囲の人間が注意してケアーして行くしか良い方法は無い様です。事件が有る度
心がむなしくなります。学校生活でのいじめ問題も対処がなかなか難しい様です。
友達同志のいじめも、相手は深い意味も解らず、只ふざけてしてる事が、いじめられてる方にとっては、大変な恐怖なのです。
この恐怖心は本人しか解りません。周囲の人には、なかなか理解出来ないと思います。とにかく怖いのです、死ぬしか恐怖から逃げるしかないと思い込むのです。だから早く周囲が気を付けて恐怖から救い助けてやらないと自殺してしまいます。本人はただ恐怖、怖いのです。言葉では解決できません、恐怖を取り除いてやる事、転校さたり、生活環境を変えてやり良い友達など
が出来る環境が大切です。理解出来ないと
思いますが、いじめられてる本人は恐怖
想像も付かない程、怖い、恐怖なのです。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 癒されはしませんが、死ぬ程怖いのです。
どんな職種・お仕事をされていますか? : 昔は技術職、現在は無職
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー46】
多田 有希(ただ ゆき)

作品タイトル : ありがとう~もうきっと大丈夫~

エピソード
 私は18歳のころ、進学のために行った神奈川で性犯罪に遭い、今も「解離性障害」という病気で精神科に通院している。最終的にはその学校も退学しなくてはならなくなり、私は18歳にして、未来が完全に閉ざされたと思った。岩手に帰ってきて何度も大量服薬をし、目が覚めるとがっかりした。「お前、まだ生きているのか」って。
 進学も出来ず、仕事も出来ず、ただただ毎日家で横になっていたある冬の夜のこと、私は自宅のベランダから飛び降りた。寒さと恐怖で体はガタガタ震えたが、不思議と「やめよう」とは思わなかった。
 せーの。目を閉じて暗闇に体を投げた。胴体と左脚にものすごい痛みが走った。父と母が救急車を呼んだ。救急車の中で母は私の手をずっと握っていた。それでもやっぱり思っていた。「お前、まだ生きているのか」って。
 背骨と左足の骨折により、病院での寝たきりの生活が続いた。先生は「自分のやり方で薬を調整してみたいから、ついてきてくれないかな」と言った。私はついていくことにした。
 先生は一週間に一回ぐらいのペースで薬を少しずつ増やしていった。そうしたらどんどん楽になっていった。同じ頃、母が心理士さんによるカウンセリングを先生にお願いしてくれた。その時の私には気力もなかったから、なされるがままであったけど、死にたい気持ちが消えてゆくのが分かった。
 心理士さんは「調子が悪かったらいつでも来ていいんだよ」と言ってくれた。その言葉で抱えていたものがとれてゆくような気がした。最近でも、どうしてもダメな時は、救急受診する事もある。でも今は、点滴をして、落ち着いて、帰ることができる。
 「泣いていい」「怒っていい」…。心理士さんはどんな私も受け入れてくれる。
 先生から出された薬をまじめに飲むことと、定期的に心理士さんと話をすることは、今の私にとっては欠かせないことだ。
 私は最初、『心の専門家』に壁を感じていた。でも怪我をしたら手当てをするように、心も整えるために力を借りることは大切だと今は思っている。
 私はその後通信の大学に行き、卒業した。先生をはじめ、たくさんの人の助けがあって、出来たことだ。今はいろいろな人の支援を受けて生きている。私はきっと、もう大丈夫だ。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 先生の薬、カウンセリング
どんな職種・お仕事をされていますか? : 無職
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー47】
林 美代次(はやし みよじ)

作品タイトル : 三歳児の孫に癒されて心休まる事

エピソード
三つ子の魂◯◯でと、言う例えが有りますが、三歳位の子供に、何時も心なごませて
貰ってます、三歳位の子供の目は、清らかで、濁りの無い、綺麗な瞳をしています。世の中の醜い事嫌な事を知らないからと思います。私も孫がおりますが、三歳位の時
娘が又お産しそうになった時、三歳の孫の
子守りを、させられましたが、孫が可愛いくて、子守りをするのが唯一の楽しみでした、その孫も今は高校受験で私の事どころか受験の事で頭が一杯の様です。だから最近はよその三歳児を遠くから見て、三歳位
可愛い子供に心癒されております。
どの子を見ても、本当に可愛いくて、昔、子守りした、孫を想い浮かべて心を癒しております。世の中の醜い嫌な事を忘れさしてくれる三歳児です。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 三歳児の清らかな瞳に癒されます
どんな職種・お仕事をされていますか? : 昔は技術職、現在は無職
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー48】
中村 敏子(なかむら としこ)

作品タイトル : 子どもの世界が「幼稚園行きたくない」から「お友達と遊ぶの楽しい!」に変わった

エピソード
Aちゃんのお母さんがAちゃんのある症状についてとても悩み、連絡をくださったのが5月頃のことです。メールで状態を伺ってみると、その症状がどんどん悪化し、ゲーム依存になり、幼稚園にも行きたがらないということでした。

5月の終わりに一度お母さんにカウンセリングを受けていただきました。子どもというのは日常のちょっとしたことで誤解をしてしまうこと、その誤解のまま生きているので辛くなってしまうこと、日常生活の中で誤解を解いてあげると子どもの内側に安心感が芽生えること、などをお話しました。そして、ゲーム依存は心が元気になれば自然とおさまるだろうことをお話しました。そして、Aちゃんには箱庭セラピーとヒーリングをお勧めしました。

Aちゃんが初めて我が家に箱庭セラピーを受けに来たのは6月初めのことです。私はどんなお子さんでもウェルカムの気持ちで接することを心がけていますし、実際とてもかわいいのです。
Aちゃんは最初の箱庭では、まず自分の世界を破壊することを表現し、そののち別の世界をつくり、怒りと死と再生を表現していました。もちろん本人の意識の上ではただ楽しく遊んでいるだけです。心の深くに抑圧されている感情が箱庭には現れます。そこにセラピストが立ち会うことにより、激しい感情も安心・安全の中で表現が可能になります。立ち会う私はグラウンディングを意識しています。

次の箱庭では、破壊と対立が表現されていました。私は具体的な現実は分からないけれど、すごい葛藤があるんだね、と心の深いところでそこに寄り添います。
3回目の箱庭では、最初から死の表現が現れました。それを大仏(大いなるもの、神聖な物)が見守っている感じです。そしてまた対立。楽しそうなアイテムも現れつつ、どんどん対立の表現がなされていきます。その後、殆ど全てのものが死に、そして何かお宝のようなものが現れました。
この全てを大仏が見守っています。箱庭の知識がある人が見ればすごいプロセスが起こっているのですが、本人は楽しく遊んでいる意識で、「あー、楽しかった!」で終わりました。

Aちゃんはとても寂しがり屋で、箱庭を終わって帰る時になると「寂しい、寂しい」を連発していました。そして「花ちゃん(我が家の犬)が寂しがってる」と言うのです。ここには投影が起きています。本当に寂しいんだろうなぁ、と感じ、私は「Aちゃんが寂しいんだね」と返します。花とお別れのハグをして、この瞬間、花の温かさを感じているようでした。
この世界では楽しいことにも必ず終わりが来ること、それはとても寂しいと感じるけれど、でもまた楽しいことはやって来るよ、とこの世界の真実を話してあげました。どんなことにも始まりと終わりがあるということを話してあげました。また始まりもある。どんなに年齢が小さくても、何となく伝わるのです。そんな話を聞きながらAちゃんは自分の内側の葛藤に折り合いをつけているようでした。

お母さんは「なんとしてでもこの症状を治してあげたい。」「この子を助けてあげたい。」という気持ちで、この状況に取り組む意図がしっかり立っていると感じました。この、親の意図がしっかり立っているかどうかが子どもの後々の変化にとても影響すると感じています。

お母さんにはもう一回のセッションとバウンダリーの講座を受けていただきました。親の幼少期の誤解が今の子どもへの接し方に繋がっているのです。セッションの結果、お母さんのお母さんとの関係性の中での誤解で、子どものニーズになるべく応えてあげなければならない、という思い込みがあることに気づきました。それがちょっと極端だったのです。
幼稚園がお休みの日にはAちゃんが満足するように外で5,6時間も一緒に遊び、疲れて、夕食の支度をしている時についついAちゃんを怒ってしまう、というパターンがありました。Aちゃんは怒られると、無意識ですが「自分は愛されていないかも・・」「嫌われているのかも・・」と受け取ってしまっていたのだろうと思われます。「いや、お母さん、さすがにそこまでつき合ったら私でも疲れて怒りたくなります。」と言ったらお母さんはホッとされたようでした。

そこで、お母さんのニーズも大切にしていただき、疲れたら帰ることにしていただいたところ、疲れが溜まらないのでAちゃんを怒ることも減ったそうでした。ここにはバウンダリーの問題がありました。
その後、バウンダリーの講座を受講していただき、よく理解ができたようでした。

そして、お母さんがAちゃんの様子をよく観察していてくださったので、とうとうAちゃんの誤解が解けることとなったのです。
お母さんがお子さんのためにと思い、無理してでも遊びにつき合っていたが故に、お子さんは外の世界で自分のニーズを満たしてくれない人がいると、無意識に「ボクは嫌われているのかも・・」と感じていたと思われます。もちろん本人は自覚はないと思うのですが、そこが徐々に自己否定につながり、症状となって現れていたのだと推測されます。
幼稚園やお家でお友達と遊んでいる時に、Aちゃんが「~で遊ぼう」と誘っても「イヤだよ」とか「もう遊ばない」と返ってくるたび、Aちゃんは「ボクは嫌われている」「受け入れられていない」ということが心の深いところでだんだんと確信になっていったと思われます。

Aちゃんにお友達が「その遊びはしたくない」とか「もうやめる」と言ったとしてもAちゃんのことを嫌いになった訳ではないこと、別の遊びがしたくなっただけなんだということ、みんなやりたいことが違うこともあるんだということを伝えていただくようにお母さんにお話ししました。お母さんはこのことが現実のAちゃんの状態に当てはまると言われ、お子さんの不調の謎が解けたようでした。

そして、私が主宰している自然の中の子育てひろばで実践していただくこととなりました。そこでは一緒に遊びながら子育て相談にものっています。
子育てひろばでAちゃんが皆に「~して遊ぼう!」と誘った時、他の人が「やりたくない」と言ったとしても、Aちゃんのことを嫌いな訳ではない、とお母さんから説明してもらうことになっていました。うまくいかなかったら私もサポートできます。
実際の場面ではAちゃんはなかなか他の子に声をかけることが出来ないでいました(子育てひろばはメンバーが決まっている訳ではなく、毎回変わるのです)。そこで私はAちゃんの横に共にいて「大きな声でみんなに言ってごらん。」と励ましました。Aちゃんはとっても大きな声で誘うことが出来ました。そして応えてもらい、みんなで楽しく遊び、来年もまた一緒に遊ぼう、ということになったそうです(最後の遊びの日でした)。
幼稚園でもこの体験を活かすことができるので、幼稚園でいつも遊んでいるお友達が「もうやめたー!」となった時に、他のお友達に声をかけてみることを提案しました。そして、実際幼稚園でやってみて、今ではだんだんとお友達が増えてきたそうです。まだ行きたくない日はあるものの、最近はお友達と遊ぶことがとても楽しくなったそうです。

そしてAちゃんはとても、とても心が優しいのです。お母さんがまだ辛さの中にいる頃、Aちゃんのエッセンスは「優しさです」とお伝えしていました。お母さんは嬉しそうでした。
今では幼稚園でそのエッセンスが自然と周りの親御さんの目に留まって、Aちゃんは優しいね、と言われるようになったそうです。ゲーム依存もいつの間にか脱却できたそうです。まだ症状は残っているそうですが、お母さんご自身があまり気にかけなくなり、気持ちが楽になったそうです。お母さんも少しずつ自信がついてきたようです。お子さんとの信頼関係ができてきたそうでした。

セラピーを開始してから5か月半が経ちました。まだ箱庭の表現に「対立」が現れていますので、もう少し解消するまで箱庭とヒーリングは続けた方がいいと感じますが、終了になる日もそう遠くはないのかも知れません。

子どもと対する時、私の中ではあまり葛藤や抵抗はなく「一緒にこの時間を楽しみたい」という感覚です。子どもの頃、私は何をしても自信がなかったのですが、唯一赤ちゃんや小さい子の子守りが大好きで得意でした。そんなことが今の仕事に繋がっています。子どもの感性や感覚が大好きなのです。ですので、苦しんでいるお子さんがいたら、持てるもの全てを使って助けてあげたい気持ちになります。

こんな風に親子が笑顔を取り戻したところに立ち会えるのが私のこころからの喜びであり、私自身も幼少期に辛い体験をしていますので、自分自身が本当に癒されるのです。そして、子どもの誤解のナゾ解きをするのがちょっぴり楽しくもあります。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : やはり、親子さんとのこころの交流があるところに癒されました。
どんな職種・お仕事をされていますか? : セラピスト
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー49】
林 美代次(はやし みよじ)

作品タイトル : 本音と建て前

エピソード
色々投稿してきましたが最後にいたします。世の中を渡るに、上手に渡るコツは建て前で渡る人は成功さます。本音を言う人はなかなか難しい事です。いじめの問題でも、いじめの元になる人間は善悪が分からない危険人物です。近寄ると危険です。建て前人間は知らぬ、存ぜぬ、で生きて行きます、忖度で生きて行きます、
本音を言えば命の危険が生じます。私の友人で貧しい生活条件で、防衛大学を
合格して直ぐ自殺した頭の良い友達がいましたけど、教師は知らぬ顔、市会議員の息子の敵対生徒で教師は市会議員が提供した
家に住んでいました。好き嫌いも建て前で好きと言う、本音で嫌いと言えば、危険な目に合います。上の人間と付き合うには建て前で付き合い忖度します。本音は危険です。悲しいかな、人生てそんな物です。
癒さ

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 癒される案件てそんなに有る物では有りません
どんな職種・お仕事をされていますか? : 昔は技術職、現在は無職
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー50】
髙尾 真司(たかお しんじ)

作品タイトル : 私は優しいヒーローだ!

エピソード
皆さんと仲良くなって、優しくなって、楽しくなって、癒したくなりますよね?私はきちんと人に愛されていてお世話になっています。困っている人がいましたら私が感謝の気持ちを込めて助けています。どうしたら助けたら私は考えて助けてくれます。お土産を楽しくあげたり美味しく頂いたりしています。お部屋の掃除、家の田圃の稲刈り、草刈り、田植えを感謝の気持ちを込めて頑張っています。家の事を頼んだらお手伝いをし、人生楽しんでいます。お買物をしたり楽しい時間を過ごしたり、親が疲れたら家に居ます。これが親にとって有難くと思います。皆で力を合わせて頑張ります。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : やさしい人間
どんな職種・お仕事をされていますか? : シャーペン作業をされる部門です。
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー51】

竹内 里香(たけうち りか)

作品タイトル : 私はごまかし名人

エピソード
私は、ごまかし名人なのです。

何をごまかすかと言うと、
自分の本当のことを言うのが嫌。
自分の心の中を悟られるのが嫌。
自分の過去を知られるのは嫌。
過去に関わった人に、私の現在を知られるのも嫌。
むしろ、過去の人たちに、私の生存を知られるのも嫌。

そっとしとして。
過去の私は、悪いことしたから。
過去の私は、苦手。
過去の私は、失敗だらけで、たくさんの人を傷をつけたから。
穴があったら入りたい。
道で会ったら、隠れなきゃ。

を繰り返しているから、今現在もずっと隠し続けないといけない。そして、ちょっと未来は、今を隠す。


なので、今、私の名前は2つあります。

林 里香
旧姓で、職場やFacebookで使っている名前。私の本当の名前。

竹内 里香
結婚してからの名前で、マンションの表札や健康保険証の名前。
慣れない、言い慣れない名前。


近頃、出会った人と繋がって、次にFacebookで繋がると、その人が、「竹内さん?林さん?同一人物?違う人?」と軽く混乱されることが増えた。そりゃあ、苗字が違うから、ややこしい。

Facebookで、なぜ苗字を変えないのか?

過去の人に、今の私がバレるから。


Facebookに、投稿やいいねも、あまりしたくない。

繋がってる人に、今の私がバレるから。


それでよかったんです。
今の私がバレなきゃ、私は、それでよかったんです。


それが、この頃、変わってきた。
心の学びを深める中、

ん?何か、これは生きづらさがある。
本当の私って、どっち?
『私自身』って、一体なんだ?
私のアイデンティティって、なんだ?

ちょっとした違和感を抱き始めた。


この緩やかな変化は、
『違うよ!そっちじゃないよ』と言い続けてくれる人と出会えたから。


そっちじゃない!がわかってくると、
今までの「自分いじめ」に気づいてきた。
『自分のできること』が見えてきた。
今までの積んできた経験の価値が見えてきた。
私の『良さ』が見えてきた。

そうしたら、
やりたいこと!
できること!が、次から次へと湧いてきた。

私の周りにある、キラキラ光るものも見えるし、私の中にある、強くて大きなエネルギーの塊も感じられる。

力がどんどん湧いて来て、
愛情とか優しさも湧いて来て・・・


違ったよね。
過去の私がどうとかじゃないよね。
今の私が、何を選び、何をするのか。
どう生きるのか?

そうしたら、
もっと、人のために生きたいの。
人に寄り添って生きたいの。
子どもが好き。
子どもと、一生懸命に生きているママの力になりたいの。
が、湧いて来た。



ん?何か、これは生きづらさがある。
→そりゃあ、そうだろうよ。
 だって、ごまかし続けてるんだもん。
 マスクで生きるのは、しんどいし、誰とも本音で付き合えないよ。

本当の私って、どっち?
→どっちも何もあるもんか。
 林さんがいたから、竹内さんがいるんだよ。
 名前なんて、どっちでもいいのだよ。
 そこに、ごまかす気持ちがなかったら。

『私自身』って、一体なんだ?
→いやいや。それは、私が決めること。
 誰も決めてくれないよ。
 自分で選ぶんだよ。どう生きたい?

私のアイデンティティって、なんだ?
→アイデンティティって、何?おいしいものかい?
 そんな難しいこと考えなくても、いいんだよ。
 真実から動けば、自ずとついてくるものなんだよ。

心の声が、答えをくれる。


さて、そろそろ、
Facebookの名前を変えようか。
ごまかしは、終わり。
そうすることで、きっと過去の私を、もっと好きになれる。
新しいステージに立てる。


『違うよ!そっちじゃないよ』と、真実のところから伝え続けてくれたこと、伝え続けようとしてくれていることを、私は心で受け取ります。
いつも、寄り添ってくれて、ありがとうございます。感謝します。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : HITの学びの中
どんな職種・お仕事をされていますか? : 保育士
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー52】
齊藤 諒生(さいとう りょうせい)

作品タイトル : 逃げない力が生む奇跡

エピソード
 誰もが一度は見た事があるでしょう。学生の時、皆からいじめに遭っている人を。いじめた側はやっていないと簡単に否定をしますが、いじめられた側はとても苦しんでいます。悲しんでいます。大抵の人はそんないじめに遭っている人を見て見ぬふりをして救いの手を差し伸べようとしません。自分にも被害が来てしまうと思うからなのか、そもそも助ける気がないのか、とても冷たく悲しい現実です。ですが悪い事ばかりでもありません。
 私が学生だった頃、同じクラスに冴えない女の子がいました。その子は冴えはしないものの、とても良い子で友達も少なからずいましたが、とある事がきっかけでクラスの大半に嫌われてしまい、悪口なども言われるようになってしまいます。嫌われた原因は友達の喧嘩を止めようと先生に話した事でした。友達を思って行った結果が、自分自身を苦しめる事になってしまったのです。そんな女の子の立場に対し私は、クラスで割と人気のある立場でした。私はその女の子が何故いじめに遭っているのか当時はわかりませんでしたが、いつも独りでいるその子を見て放って置けず話しかけに行くと、その子は照れながらも嬉しそうに話してくれたのです。私が話しかけるだけで、この子が少しでも救われるのであればと、私は毎日のようにその子のそばに行き話しかけました。ですがそれだけでいじめがなくなるとは思っていません。私の考えはその子のそばにいられればいつでも守ってあげられる。そう思い私は、大人になった今でも彼女を支えて幸せに過ごしています。そして、いじめられていた彼女を助け、このような出会いがあった事、私は誇りに思います。
 いじめは恐らく今後も無くなることはないでしょう。しかし誰かが手を差し伸べればその人は救われます。みんなで助け合い、誰も悲しむことのない世の中を私は望んでいます。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 守れる存在に出会えた事
どんな職種・お仕事をされていますか? : 製造
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー53】
中島 泰成(なかじま やすなり)

作品タイトル : チーム・ニコラス、仲間を護る

エピソード
「どうせ、俺なんて、いつ死んでもいいんだ。誰が悲しむでもないし・・・」
居酒屋の常連仲間で、五六歳・独身、母・妹とも疎遠な彼がクサっていた。電設現場の作業員という、身体資本な仕事でありながら、大怪我・病気という体験を立て続けにした事もあっての、心の病みだった。
居酒屋の女将を中心とした我々常連仲間が動いた。頑ななガラケー使いだったのをなんとかスマホに変えさせ、それに伴って作った常連仲間のSNSグループに入れ、盛り上げた。吉本新喜劇の観賞を皮切りに、グループでいろいろなイベントを企画し、参加させ、日常の生活に潤いを持たせるようにした。
結果、今、彼はそのSNSグループ内で一番の投稿主になって、美しい夕陽や花の写真などをアップしている。護るべき彼女もでき、日々幸せな毎日を過ごしている。
「いつ死んでもいい」と言っていた日々は、今は我々の中の笑い話となっている。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 仲間の存在・サポート
どんな職種・お仕事をされていますか? : 自営業
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー54】

島津 燎(しまづ かがり)

作品タイトル : 先生へ。

エピソード
 初めて学生相談センターへ行ったとき、先生は私に対してどのような印象をお持ちでしたか?
 私は先生に対して、本当に聴いてくださるのかなと信じていませんでした。きっと上手く話せないし、意味がないから数回でどうせ行かなくなるわと思っていました。それでも初回の面談日前日は、せっかく行くのだからきちんとまとめていこうとこれまでの自分の生活環境や気持ちをありのままにパソコンで打って印刷してわたしました。「関係機関とも連携をする」とおっしゃっていましたが、私はそこまで期待していなかったです。
 それが大学3年生の3月でした。それから4月、5月と週に1度のペースで先生とのカウンセリングが始まりました。私は自己判断で別に行かなくても一人でなんとかするとセンターへ行く時間が来てもためらっていた日は何度もあります。また近くまで来たのにもかかわらず、部屋に入るのが緊張して足が動かなくて困ったときもあります。遅刻をしたときも私のために準備をしてくださっていたこと、ありがとうございました。
 家族にも友達にも、近すぎるから話せないことを第3者の大人に頼ってみて良かったです。言葉に詰まったとき引き出していただいたり、私が間違った方向へ進もうとしたときに引きとめてくださったなと今書いて振り返っています。
 また私は就労移行支援を利用して今後の私の生活についても考えています。それにあたり、先生も職員の方と会ってくださり申し訳ありませんでした。
 先生に会えるから水曜日が好きになりました。私が卒業してからも学生相談センターにいて欲しいです。決められた時間でしかお話できないのが、まるで七夕の織姫と彦星みたいやなあとカウンセリングに対して感じています。
「愛」という意味ではなく尊敬の意味で、人として先生が好きです。お仕事だからという部分はきっとありますが、私のために時間を割いていただき感謝しています。正直、一度センターへ電話をした際に受付の方が「他の学生さんのカウンセリング中です」と言われたとき悲しくなりました。先生はみんなの先生であること、私は大勢の学生さんのうちの一人にすぎないことを理解しました。ですがやっぱりどこか寂しかったです。私が私と向き合って生きていく練習を少しずつでもするんだと変化しました。
先生の人生において楽しいことや幸せなことがたくさんあって欲しいです。私は就職して働いたあとも、ずっと先におばあちゃんになってからも教えていただいたことは忘れません。ありがとうございますと何回言っても本当に足りないです。先生もよろしければ私のこと、こんな生徒いたな、と思っていただけたら嬉しいです。
これからも口頭でもお伝えしますが、こうしてまとめたいなと、応募をみつけたので書いて投稿しました。先生、伝わっていますか??


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : カウンセリング、先生の存在
どんな職種・お仕事をされていますか? : 大学4年です。
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 大学のカウンセラーさん




【エントリー55】
高田 葉月(たかだ はづき)

作品タイトル : 自由への一歩

エピソード
良い成績をとるためにはどうすればいいだろう。このことをいつも考えていた。
親に勉強しろと言われたことは一度もない。いつも私のことを認めてほめてくれる、そんな親だ。こんな良い親はほかにいない、両親が喜ぶことをしてあげたい。両親が誇りに思えるような子供になろうとその一心でひたすら勉強を続け、高校のころ成績優秀者がもらえる奨学金をとることができた。両親はものすごく喜んでくれたし、私も嬉しかった。これからも努力し続けて両親に恩返ししていこう。そんな志をもって大学に進学した。
しかし、それが苦しいと思い始めた。大学に入ってから、高校までの勉強の仕方では歯が立たないと感じ、良い成績を取らなくてはいけないのにどれだけやっても際限がなくて、いったい自分はどこまでやればいいのだと感じることが増えていった。どれだけ勉強しても自分が思うようにはいかず、どうして自分はできないのだろう、先が見えないし、もう辞めたい、投げ出したい。そう思うたびに、自由に勉強できる環境を用意してもらって、何不自由のない生活をさせてもらっているのに、なんて自分はダメな人間なのだろう、親不孝者だと感じて、苦しくなった。
このままではだめだと考え、私はあることを決意した。大学でも奨学金を取れれば、自分で自分のことを認められるのではないか、自信がつくのではないか。そう考えて、どのように勉強したらいいか、ある尊敬している先生に相談に行くことにしたのだ。
先生はとても親身に話を聞いて下さった。成績のことを考えて書くレポートはあまり良い結果には繋がらない、勉強をするとき自分の好きなことに絡めて勉強したり、成績のことはあまり考えず、自分の好きなことを好きなだけ勉強して、先生に質問しに行ったりするといいと言われた。
私はハッとした。今まで信じてやまなかった教科書を丸暗記すること、先生の話をそのまま吸収していくことが勉強ではなかった。自分が感じたことを自由に、好きなように、主体的に取り組むことが本当の意味で勉強するということなのだと初めて気づくことができた。主体的に取り組んでいたつもりが、いつしか成績のためだけに勉強するようになっていたから苦しかったのだと痛感した。
あなたが頑張っていることを私は認めて褒めたい、またいつでも相談していいですよ、という先生の温かい言葉に涙がでた。
必ずしも奨学金を取ったり、結果を出したりする必要はなかった。自分自身を檻の中に閉じ込めて、その基準を満たせていなかったから、自分を責めて自分で自分を苦しめていたのだ。これに気づいたとき心にあった重いものがすっと晴れてなくなった。先生のおかげで今まで見えなかった先が見えたのだ。
そして先生に奨学金以外の道もあると教えていただき、懸賞に応募すると、受賞しなかったとしても自信がつくし、自分の考えを伝える練習にもなると言って下さった。
先生のおかげで真っ暗だった自分の視界が晴れて、自分のやるべきことが見えた。先生には感謝しても、し足りない。もっと自由に、自分のやってみようと思うことに楽しく取り組んでいきたい。この心のレスキュー大賞に挑戦することが自分の檻から飛び出す第一歩になるといいなと、とても前向きな気持ちでいる。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 先生の言葉と存在
どんな職種・お仕事をされていますか? : 大学生
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 小野洋平



【エントリー56】
河上 輝久(かわかみ てるひさ)

作品タイトル : 剣道の試合

エピソード
      剣道の試合
                         河上輝久
 私は中学校から剣道の稽古を始めた。週六回も稽古をしていたが、試合に出ても勝利した事とがなかった。ポジションは最も弱い次峰だった。然も初段に合格していた。当時の中学校では、初段所持者は一人か二人ほどしか居なかった。だが、初段は実力で得たのではなかった。運が味方した結果だった。
 「努力すれば必ず勝つ事が出来るが、何故だかお前は・・・」
 試合を毎度観戦に来ていた父は、鸚鵡のように言っていたが、何が努力をすればだと思っていた。この時の私には、馬の念仏だった。
 ある時、
 「剣道は勝敗を度外視しては駄目だ。今後の自分の為に、これを糧に稽古を励みなさい」
 私の姿に見かねた顧問の先生に、諭された。 次の試合、全戦全敗の私が、嘘のような勝利をおさめた。異常なほどの勝ちたいという心が、自分を束縛して、持っている力を発揮出来なかったようだった。
 その後は、嘘のように勝利を得ていた。
 「良かった」
 観戦に来ていた父も心から喜んでいた。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 顧問の先生
どんな職種・お仕事をされていますか? : クリーニング業
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー57】
田子 美布由(たご みふゆ)

作品タイトル : 小学生から鬱でした

エピソード
幼い頃からずっと日曜日が嫌いだった。ゴールデンウィークもお盆もお正月もカレンダーの祝日を見て泣きたくなった。父親の仕事が休みで1日中拘束されるからだ。家中に取り付けられた監視カメラで見張られ、強制的に毎日10時間以上勉強させられた。1問でも間違えれば怒鳴られ、暴力を振るわれた。友達と遊ぶことも睡眠さえも父親の思い通りにならない事は全て許されなかった。
他にも沢山の屈辱的な仕打ちを受けてきた。しかし当時の私はそれが虐待だとは気付かなかった。いや、気付けなかったというのが正しい表記だろう。スマホやパソコンを禁止されていた為に、「自分の家族はおかしい。友達や先生に異常な家だと思われないように普通の子供を演じよう。」そんな風に5歳の私は思ってしまった。今となっては助けを求めていれば、誰かが気付いてくれれば、こんなに苦しまずに生きることが出来たのかなと思ってしまう。だが絶対的な権力を振りかざし、恐怖で全てを支配する父親に見て見ぬふりで一切助けてはくれない母親。そんな絶望的な状況に心も身体もボロボロになり、初めて人の死を理解した時、私も死にたいと思ってしまった。
それから高校を卒業して一人暮らしを始めるまで虐待は続いた。大学生になってやっと私も解放されて自由になれると思った。でもそれは大きな間違いで既に私の心は限界を超えていた。張り詰めていた糸が切れるように精神的に崩れて行った。身体表現性障害、鬱、複雑性PTSD、睡眠障害、摂食障害、不安障害…本当に沢山の病気になった。主治医が言うには私は小学校低学年から既に鬱病になっていたそうだ。最初に診断を受けた時、やっと私の気持ちを分かってくれる人がいた、この辛さを理解してくれる人がいた、そう思って涙が溢れ出て止まらなかった。
しかし、重度の精神障害者となった私にとって「生きる」ということに対して前向きに捉えることは不可能であった。「死にたい。消えたい。殺して。」こんな言葉がずっと頭の中でリピートされている。いつ自殺してもおかしくない、そんな状況下に2年以上いた。でもそんな私に転機が訪れた。偶然Twitterで知り合って私が1番欲しかった愛情をくれた人だ。彼と出逢うまでは主治医以外に虐待や自殺願望について話すことは出来ずにいたが、彼には何故かなんでも話すことが出来た。勿論全てを理解してくれている訳では無いが、いつも私に寄り添ってくれて頼り甲斐のある彼に自然と心を許すことが出来、私にとって掛け替えの無い存在となった。
深夜3時にフラッシュバックを起こして号泣する私に彼は「大丈夫だよ。俺がついてるから。」そう言っていつも抱き締めてくれた。不安障害の為、家の中に居ても人の声が怖いと言う私に少しでも気を紛らわそうと毎日何時間も通話してくれた。〝死にたい〟という言葉を否定せずに受け止めてくれた彼の優しさに私は本当に救われた。人から愛される喜び、辛い過去を一緒に背負ってくれる優しさ、病気だと差別せずに接してくれる温かさ。私なんかには勿体ない幸せを沢山貰った。そして何より〝生きたくても生きられない人が居るんだから死んだらダメだよ〟という自殺志願者が1番言われたくないことを言わずに接してくれたことが自分ひとりで悩まず相談してみようと思える大きなきっかけとなった。
現在も全身激痛で、まともに眠れなくて、人が怖くて日常生活を送るのが精一杯な私。それでも抗うつ剤や抗不安薬、睡眠薬を飲んで何とか頑張って生きている。今でも死にたいと思ってしまうことは残念ながらある。でも彼氏のお陰でその頻度も随分減った。主治医に言われた〝ストレスのない安心出来る環境で過ごしてください〟今はこれを実行出来ている気がする。自分で言うのも何だか毎日自殺方法を調べていた私が今では同じ病気で苦しんでいる人や虐待されている子供たちの力になりたいとまで思えるようになった。5歳からずっと死にたいと思っていた私にとって〝死ぬ〟以外の選択肢があることはとても大きな進歩だと思う。
もし彼と出逢わなかったら、愛されることを知らなかったら、きっと私は今頃この世にはいないだろう。だから私を救ってくれた彼氏に感謝したい。私の絶対的な味方になってくれて本当にありがとう。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 彼氏の優しさ、愛情
どんな職種・お仕事をされていますか? : 病気療養の為無職
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー58】
土居 北斗(どい ほくと)

作品タイトル : ぼくは、なんにもしないです。

エピソード
ほんとうに落ち込んだ人がいます。
その人相談してくれた時に、あなたならどう返しますか?

ぼくの答えは、「なんにもしない」です。
ただ、いつも通り話を聞いて、たくさん笑って過ごす。
本当に大切なことは、それだけ。

お店やっていれば、いろんな人が来るんです。
離婚したその日に来てくれた人。酔っぱらって財布なくした人。仕事で上手くいかなくって落ち込んでいる人。なにかやってはいけないことをやってしまった人。だれかとケンカした人。
もちろん、良いことがあった人も来てくれますけどね。

なにかを「聞き出そうとする」と、こころの扉はガッツリ閉じていくんです。だって、話しにくいことだから。親身になって、かんがえてほしいことばかりじゃない。むしろ、かるく受け流してほしいときだって、ちゃんとあって。
だって、そうじゃないですか?
がっぷりよっつ、土俵で組み合ったらさ、傷ついた心のまま相撲を取らないといけないでしょ。もうさんざん自分の中で考えてきたのにさ。これ以上戦わなくてもいいじゃない。もう引退間際の横綱だよ。

だから、ぼくは向き合わない。
親身になって考えない。
出来る限り、軽く、軽く。
どんなに重大な話があったとしても、一緒になって考えることはしないです。

「いつもどおり」はこころを真ん中にもどす、ホメオスタシス。

ぼくは、そんな役割で良い。そんな役割が良い。

親身になって話すのは、ぼくじゃない人のほうがよいからね。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 空間や空気感
どんな職種・お仕事をされていますか? : 鍼灸師、本屋
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー59】
伊藤 友紀(いとう ゆき)

作品タイトル : 今、目の前にある豊かさを楽しむために

エピソード
ある、7月の夏の日。
朝から、娘の部屋が
散らかっていることが気になって気になって
仕方なかった。

娘に物にはおうちがあるという動画を見せながら、片付け方法を教え、
「物をおうちに返そう!」
と、お洋服や、おもちゃのおうちを書き、一緒にお片付け。

ところが、夕方に見るとまた、
毛糸や、机の上に細かい粘土がいっぱい。

それを見たわたしは、イライラが爆発し娘を怒鳴ってしまった。
その頃ちょうど帰ってきた夫も巻き込み、
娘の部屋の片付け問題が、私と夫の言い合いになり、別の問題にまで広がって
感情的に反応して言い合いが言い争いになり完全に、収拾がつかなくなった。
そして、イライラはおさまらない。
わたしの深い痛みに触れたようだった。
とりあえず、その場を離れて、部屋に行って、一人で自分の内側を観察してみると小さなときからずっと片付けが
苦手で苦手でいつも怒られたのを思い出す。

片付けできないから、ダメな子
と言われていて、苦しかったことや
必死でそこから認めて欲しいとか、もう許してと、泣き叫ぶ小さな自分が見えたような気がした。


片付けできない自分ってどんな感じかな??
これを機会にじっくり感じたら
思い当たることがたくさんあり
つい先日、ヒーリングの時、奈央さんに教えてもらった私があなたを見捨てない。私があなたの力になる。を内側の自分に伝えてみた。


すぐに、また奈央さんにヒーリングをお願いした。
ヒーリングの時は、
必ず今日のテーマを最初にお話しすることになっている。
今、一番聞いてもらいたいトピックは
もちろん「娘の部屋の片付け問題」。

娘に朝からイライラして、もう限界なこと。
イライラを娘にぶつけ、夫とも大げんかし
そんな自分に嫌気がさしているけどどうしたらいいか、わからないこと。 

そんなことをまとまらないままで思いつくままぽつりぽつりと話す。

「私は本当に、いつもこうなんです。」と
吐き捨てるように話す私に、
「いつもの友紀さんは、もっと柔らかいです。」
という冷静な言葉に、それだけで
ほっとして胸が緩む。

ヒーリングしてもらいながら、
胸のところでぎゅーっと抑えていた気持ちが動き出し、何かが流れ出すのを感じる。

私「これから、見てもイライラしなくなるんですかね?」
ナオさん「いや、感情的反応は、なくなるわけではないんです、イライラはしますね。
ただ、そこからどうするか?が選べるようになるんです」

片付け問題から
幼少期を遡っていき、
私が自らの手で自分のエッセンスを手放した場所を見つけ、整理して分けていく。


私も、子供の頃、どうやって片付けすれば良いのかわからなくて途方に暮れていた子供だった。
部屋は片付かないし、怒られるし。片付けに関してろくな思い出がない。

奈央さん「サポートがなかったんですね。」
浮かんだのは父に言われた言葉。
「お前は人間じゃない。」
「何回同じこと言ってもわからないやつは人間じゃない」
思い出すだけですごく胸が痛かった。
少しでも片付けや掃除について注意されたりすると、これを言われた瞬間の、子供の頃の意識に入って同化してしまい、
反応するのだと教えてもらう。

元夫はすごくきっちりした人でよく
片付けや掃除について注意されていた。
その度に噛み付くように反論する私に
片付けや掃除について少し言っただけなのに、
「なんでそんな反応になるの?」
と言われていたけれど、止まらなかった。


わたしは子供の意識のとき
片付け・掃除できない=人間じゃない
と決め、自分自身のエッセンスを自分で切り離してしまっていたので、ちょっとしたことでも、例えば娘が部屋を片付けないことで
激しい感情的反応が起こっていた。

今の夫はそこに傷がないので、娘の部屋が片付いてなくてもイライラしない。

何か感情的反応がある、イライラするということは内側にいる小さな自分が
誤解を解いて欲しい!と言っているんだと気づいて解いて整理することにより

同じようにイライラはしても、
そのイライラから「行動するかどうか」は
決めることができるようになる。

「イライラを感じること」と
「イライラから行動すること」は全く違う。

無意識に反応していた自分の子供の意識を扱うことで、そこから上がってくる感情的反応に飲み込まれなくなるので、
家族との関係性も変わっていくということが起こる。


わたしは、片付け問題では、イライラをぶつけるという父にされた残念な方法を模して娘に接していた。
子供の私は、片付けできない=生きていてはいけないくらいの恐怖を感じていたのに、それを娘にも味わわせていた。
ヒーリングしてもらいながら
自分が「そうだ」と信じて、世界を創造してきたことが問題で、「そうじゃない世界もある」と受け入れること、を提案された。

今は、別の世界にいること、
「片付けできなくても、死なないし、怖いことも何も起こらない。」を、ゆっくりと染み込ませるように受け入れていく。


話してるうちに、私がだんだん、また「可哀想な小さな私」に同化して感情的になっていく場面があると
「また、その子に入っていこうとしてます。」
と奈央さんに教えてもらうことで、気づいてまた
「今、ここにいる大人のわたし」の意識に戻ってくる。

たしかに子供の時のわたしにとっては、とても痛い体験だったのだけど、
今はもう大人。
子供の意識でいると現実に不具合が出てくる。
大人の意識で父と私を俯瞰することで、その場所に確かに「愛があった」こともゆっくりと受け入れることができた。

手を伸ばし、「サポートしてもらうこと」によって、安心、安全の中で痛みを感じることができた。
奈央さんには何度もヒーリングをお願いしていたので信頼していたし、だからこそ痛みをさらけ出すことが可能になったのだと思う。

新しい視点を持つことができたあとは
自分の感情は自分の責任なのでイライラした時は自分の内側を見ていくといいんだなと再確認できた。
その日はいつ眠ったのかは覚えていない。
ぐっすり眠った。

次の朝、起きたら
娘の部屋はすっかり片付いていた。
娘は、自分で雑巾掛けまでしたようで
床もピカピカになっていた。


それから3ヶ月半が経過した今、相変わらず、娘の部屋は散らかることもある。
散らかっては、片付け、また散らかっての繰り返し。
状況は変わっていないのに、そこに全くなんの反応もしなくなっているわたしがいることに自分でも驚いている。

それは間違いなく奈央さんのセッションおかげだ。
もし、あの時手を伸ばしてサポートしてもらわなかったら、今も怒鳴ったり、イライラチクチクしていたかもしれない。

本当にサポートを求めてよかった。
私は、私に与え、育てる。
外側に完璧はないことを受け入れて
これからも自分を育て、新しい世界を作っていく。

今、目の前にある豊かさを楽しむために。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : HITメディカルヒーリング その人の存在、関係性に安心があったこと
どんな職種・お仕事をされていますか? : SASプラクティショナー
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 打田奈央さん




【エントリー60】
平河 佐枝子(ひらかわ さえこ)

作品タイトル :精神科に2度入院したけど、人生終わらなかった話

エピソード
201×年、4月。
突如、私は、精神科に入院する事になった。
30代前半、あまりにも、職歴が多くて、どこに応募しても、履歴書が通らなくなっていた。
余程、憔悴しきっていたのか、医療保護入院という形で、保護室という、檻のついた個室へ入れられた。監視カメラつきの、トイレは和式。用をたしても外からしか流してもらえない部屋だ。
やり場のない怒りが込み上げてきた。
特に何か悪いことをしたわけでもないのに、
お見舞いに精神科を訪れただけなのに、
まさか、私が!入院するはめになるとは思ってもいなかった。
にやついた医師や、看護師がたまらなく、憎たらしかった。
これが、一度目の入院。これは、ほとんど、理不尽だった。

退院から、一年後、私は、再び、精神科へ入院することになった。理由は、やっぱり、社会復帰、敗者復活戦が上手くできず、また、履歴書で、はじかれてしまっていたからだ。
この時は、もう、生きていることが申し訳ないくらいにメンタルは、落ち込んでいた。毎日、毎日が苦しくて、夜、ぐるぐると色々なことを考えていた。
再入院は、私が、家に灯油をまこうとするも、母に止められ(今思えば、まかなくてよかった。)たり、包丁で手首を切ったりした。自分から、精神の病院へ連れていってほしいと母に言った。車の中で、死ぬことばかり、考えていた。
私の奇行を母が病院に話したら、即、保護室行きになった。
しかし、2度目は、自分からとはいえ、また、精神の病院に2度も入院するとは!人生終わったな、、、。というか、社会が私を必要としていないのなら、自分から消えてしまおうと、強く思った。

そして、保護室で、自分で自分の首を絞めて、意識を失った。

*****

白い世界______

どこを見ても何もなかった。
天も地もなく、だだ白かった。

時折吹く、薄いグレー風があたる。

そこで、私は、死んだのだと、悟った。
あぁ、父も、祖母も、迎えには来てくれないんだな、とガッカリした。

*****

どれだけ時間が過ぎたかわからなかった。

*****
気がつくと、私の目の前には頭が禿げあがった、
白い眉に、白い髭で、白い服を着た老人に罵声を浴びせられていることがわかったが、言葉がよくわからない。杖を持っていた。
向かって、左側に立っていた、
その、なぞの老人は、ホワイトボードのようなものを3つ、私に横に広げて見せた。
そのボードには、横文字で、1つのボードにつき、3つの列に、なん行も書きつらねられた文字があった。
この文字には、確かに、見覚えがあった。
しかし、この世の文字ではなかった。
自分で書いた文字に間違いなかった。
その瞬間、あっちゃー!やらかした!と、思った。白い老人が、杖を振り回しながら、
「バカモンがー!!お前は、また、課題をサボりおって!せっかく、この世に生けるチャンスをくれてやったと言うのに!」と、いうようなことをいうわれた。
「?」
何の事を言われてているのかわからなかった。
「……。!」
しばらく、考えて、思い当たることは、あった。
------それは、生まれる前の話だ。
中々、【この世に人として生まれる権利テスト】に合格出来なかった自分の事を思い出した!
次々と、合格していく仲間?達。
何回も何回も、不合格をもらい、あの老人に怒られていた私が鮮明に、甦ってくる。
「あ!」
その時、思い出した。
【テスト】の休み時間---
私は、やや、自暴自棄になりながらも、
合格が内定したと思われる仲間に
「お前、何て書いたんだよ?」
と、何人も絡みながら、合格のコツを教えてもらっていた。私は、セコかったのだ。
自分の力だけでは、どうしても合格出来ないことがわかり、次々と、真似した解答を提出したが、合格は出来なかった。
理由は、「自分が、この世でやる事リスト」というテストだったからだ。
絡むうちに、カンニングもしていたので、(セコい)たった3行くらい書いただけのヤツも、私を尻目に合格していった。ヒイキじゃないか!と、暴れまわったが、どうにもならなかった。
しぶしぶ、テストに戻って書き直しては、提出していた自分がいた。
「!」
その時に、自分が書いた文字が今、目の前のホワイトボードに写し出されている!と、悟った。
と、思い出した瞬間に、その老人の右手で、強く突飛ばされた。

*****
ドォォン!!
*****

気がつくと、私は、拘束されたベッドの上にいた。
何故か、ホッとして、身体が、全身動く事に感動した。
部屋は代えられていて、そこには、優しい看護師さんたちがいた。
そうだ、私は、戻ってきたのだ!と、思った。
けれど、私の状況は、精神科の病院にいるだけと、変わっていなかったが、心がかわっていた。
____8時間、意識不明の重体らしかった事を後に母が伝えてくれた。
実は、救急車で、電気ショックをあてられたときと、救急搬送先で、ストレッチャーに寄り添って、私に声をかけ続けてくれた母の姿を覚えている。多分、何度か、行ったり来たりしていたのだろう。
何日か経って、歩いて動けるようになった後も、鏡を見せないように、さりげなく立ち回ってくれていた看護師さんたち。隙をついて、見てみると、私の首から上は、赤黒くなっていた。
看護師さんが、
「あぁ~見ちゃったかぁ~」
と、努めて明るく言う。
紛れもなく、自分のしでかした事の重大さを悔いた。
また、私が人生の課題の途中であることを確信した。
そして、3ヶ月後、退院した。
その後の私は、今から、ホワイトボード3枚分の課題を、どうやって叶えようか?と、思いを新たにし、転院して、新しい人生を送っている。もちろん、私は、単なる臨死体験だけではなく、2度目に入院したときの色々な人達のおかげさまで生き残っていることに感謝しています。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 母や、意識が回復してから対応してくれた看護師さんたち
どんな職種・お仕事をされていますか? : 主婦
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー61】
溝辺 萌生(みぞべ めい)

作品タイトル : その日まで生きようと思った。

エピソード
 口癖は「死にたい」だった。明日死のう、どうやって死のうか、そればかりを考えていた。死にたい理由は単純でクラスで浮いた存在だったのだ。グループに馴染めず、幼なじみに裏切られ、体育などの授業で1人余ってしまうことが苦痛でたまらなかった。明日どころか今日生きることさえ辛いのだ。未来への希望などあったものではなかった。そんな人生で私は初めて生きる希望を見つけたのだった。進撃の巨人、これは私の人生を救ってくれた漫画だ。初めて読んだ時の感動は今でも覚えている。絶望への転落、簡単に消えていく命、鳥肌が鳥肌を生むのだ。ここまで一人の人間を惹き込ませる漫画があるのかとにわかには信じられなかった。キャラクター、一人一人に共感し、物語のリアリティ故に彼らがこの世界に本当にいたのでは無いかとさえ思った。それから圧倒的な伏線の質と量。ミスリードも多く最後まで先が読めない物語であった。最中に出てくる言葉一つ一つが私を感動させ、時には涙させた。生きなければと思った。私はこの漫画の結末を知るまでは何があっても死ねない。進撃の巨人が私の希望に、生きる糧になったのだ。救われたのだ。だからその日まで生きようと思った。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 進撃の巨人という存在そのもの
どんな職種・お仕事をされていますか? : 高校生
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 諫山創先生



【エントリー62】
光武 知恵(みつたけ ちえ)

作品タイトル : 彼女が私の救いだった。

エピソード
私は小学6年生のときにいじめを受けていました。
上靴の中に画鋲が入っていたり、私の名前で遊んだり、王様ゲームで私と握手するのが罰ゲームでみんな私と握手すると「やば、あいつと握手するとかバイキンがつく?て洗ってこよう」など男も女も関係なしに私をいじめてきました。その時はいじめられているという感覚というよりはいじられているという感覚でただ「自分、なにか悪いことしたかな?」と悩む日々でした。

クラスの先生に相談したことは何度もありました。
しかし、「なにか自分が悪い子としたんじゃない?よく考えてごらん」その一言だけでした。

自分は元々人と話すことが好きで友だちと遊ぶことが大好きでした。そんな中でみんなからハブられ一人で生活をするというのは私にとってとてもつらいことでした。

そんな中私は中学受験をすることになりました。
いじめが原因というより両親が元々中学受験をさせたいという願望があり、成り行きで受けることなった後に塾に入塾することになり、最初の頃は全く友達がいなかったのですがある女の子(Aちゃん)が、何がきっかけかはあまり覚えていませんが
「紫好きなの!?」
と気さくに話しかけてきて私も
「好きだよ!」
と明るく答えました。そんな何気ない会話をしたAちゃんとの出会いがその後の私の人生を大きく変えてくれました。
その会話の後からお互いたくさん話すようになり一緒に帰るようになりました。朝から昼にかけては小学校の憂鬱な時間をずっと過ごしていましたがそれが終わるとAちゃんに会えるという嬉しさが憂鬱さよりも強くなっていきました。(Aちゃんは他校だったので塾でしか会うことができませんでした)

ですが、塾は勉強する場所。
お互い塾のテスト前になるとバチバチになっていました。今思うと良き受験のライバルでもあったと思います。Aちゃんと私は同じ中学校を目指しておりお互いが受かることを望みながら受験勉強に励んでいました。

私には心の底から信用できる友達がいませんでした。というより人間不信になっていた部分もあり信用や信頼というのができなかったのかもしれません。そんな中、Aちゃんに私の誕生日の日小さなメッセージカードをくれました。その中には短い文章ですが最高に嬉しいメッセージが書いてありました。

「お誕生日おめでとう!
中学生になっても〇〇(私の名前)の可愛い笑顔でも割のお友達も笑顔にしてね!  
〇〇(私の名前)の親友で本当に良かった!!」

こう書いてありました。〇〇(私の名前)の親友で本当に良かったこの一言でものすごく心が救われた気がしました。

受験も大詰めに差し掛かり小学校の中でもちらほら中学受験をする子たちが1月の受験で休み始めていました。私も学校に行く辛さと受験のラストスパートということもあり長期間休んでいました。
受験が終わり結果はAちゃんは合格、私は不合格になってしまいました。
Aちゃんは「どうだった?」と聞いてきたのですが察してくれたのか何も言わず横で寄り添ってくれていました。

その後受験から開放され本当は小学校にも行かないと行けなかったのですが長く休んでいた分学校に行くのが怖くなってしまその後の2ヶ月間は全く学校には行ってませんでした。ですがそれは心の修復に必要な2ヶ月間でした。

私とAちゃんは別々の学校になったのですが結果的に私はそれで良かったと思っています。学校が違うからこそ話せることもいっぱいありお互いの違う学校生活を話し色んな話をすることができAちゃんは私にとって唯一無二の存在だなと改めて思います。
中学生になって素晴らしい友人とも出会うことが出会うことができました。。
自分が辛いときに支えてくれた存在は一生の友達だと私は思います。これからもそういう友達を大切にして一日一日をかけがえのない日々生きようと思います。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 親友の存在
どんな職種・お仕事をされていますか? : 高校生
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください :




【エントリー63
川口 勝美(かわぐち かつみ)

作品タイトル : その人が1人じゃないよって

エピソード
私は、1年8か月前に主人の母は身体は元気で身の回りの事は自分でできますが軽度の認知症が有り短期の記憶が衰えてる為、言われた事に返事はしても忘れてしまい理解出来ない所が有る為、介護の為に関東から九州に引っ越して来ました。私に、主人の母は暴言を言う様になりました。もっと見合った嫁が来ても良かった。進学校高校に行って東京の大学まで行ってるのに何で貴女と一緒になったと。同じ女でも、娘と嫁とは違う。アンタに私の好みが分からないだろう。。分かるはずが無い。○○が居るから(主人の事)も~う、アンタは来ないで良い。九州には居ないで帰りなさい。○○家に似てたら勉強は出来る。息子に対してもパパは進学校に行ってるから行きなさい。○○家は頭の良い家系だからパパに似てたら出来る。出来なかったら○○家に似てないから。言い始めたらきりが無い位。人には嫁には有難いと思ってる。遠い所に来てくれてって。主人が一度その事を話したら、貴女は他所から来たから知らんけど、それはこの地域の挨拶の様なもんで言う事だと。主人の叔母によると昔から自分の思った事はズバズバと言う性格との事。姉は人に変な事を言ってるとは思ってないと。これを言ったら人を傷つけるとは思ってない、思わない人だからとの事。私達も、そりゃ相当の事を言われて傷ついたとの事。主人の叔母が心配してたと。知らない土地で話す相手も居ない中で大丈夫かなって。主人の叔母に、言われる度に宛もなく夜にドライブして来たと話すと、今度から家に来なさい。外に出すだけでも違うからって一緒に泣いてくれてました。1人じゃないからって。親戚も、私達も貴女には感謝をしてるんだよって。よく、あの姉ちゃんの所にって。○○(主人の事)は、自分の母親だからまだ良いだろうけど、貴女は辛くて大変。有難うって。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 一緒に泣きながら、私の気持ちを和らげてくれ抱き寄せて泣いてくれた事
どんな職種・お仕事をされていますか? : 求職中
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー64
大森 典子(おおもり のりこ)

作品タイトル : 心の灯

エピソード
私はもうすぐ死ぬのだろうと、そうどこかで思っていた。そんな時に出会ったのが今の旦那だった。

私は私で過去の傷があり、旦那は旦那でどこか自信のない、そんな二人だった。その二人が織りなすエピソードを少しお話しようと思う。

初めて会ったときから通しで3時間ドライブへ行くようなそんな始まりの恋だった。
いつしかドライブは、二人の話し合いの場になり、またくだらない話をして笑い合う場でもあり、ただ二人で外を眺めているようなそんな空間になった。
沢山の場所に行った。
美味しいものもいっぱい食べた。
二人の写真も沢山撮った。

そうやって二人で、毎日を積み重ねてきた。

そんなことをしているうちに、私の傷は少しずつ癒えてゆき、自信のなかった旦那は、私という存在がどこかで力になったのか、少しずつ自信を取り戻していった。

旦那は私を一人の人間、そして一人の女性として見てくれている。
いつしか私達は名字を重ね、夫婦になった。

私はこう思っている。
旦那は私に光を灯してくれた人、だと。

いつだって私を「こっちだよ」と導いてくれる。

私は人より傷つきやすく、考えすぎるが故に落ち込むことも多い。
でもそんな中で、旦那はいつだって私を包み、守ってくれる。
旦那との出会いが私を変え、また旦那をも変え、二人を強くしてくれた。

人との出会いは時宜にかなうという。
必要なときに、必要な人には会えるのだと知った。

そして今では、二人の間に小さな娘がいる。
二人が出会い、三人になって、そして、家族で紡いでいける物語を私は大切にしたいと思う。

命は、心は、人によって包まれ、温められることによって輝いてゆく。
死というものに向かって綱渡りをしていた私は今、命の輝きを知り、守る立場となった。

これからは人に優しく、寄り添い、守れる人になりたい。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 旦那の存在
どんな職種・お仕事をされていますか? : 主婦
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー65
久保田 理佳(くぼた りか)

作品タイトル : 愛を与えて

エピソード
私の叔父さんは両親も他界し、働けないため生活保護を受給し一人でくらしていました。兄弟、身内の誰一人助けてあげず叔父さんは一人で苦しんでいました。私にもなかなか心を開いてくれずにいたのですが毎日手作りの料理を届けなるべく声をかけたりしているうちに心を開いてくれるようになり叔父さんとたくさんの話をしているうちに叔父さんが俺が死んでも誰もかなしまないわなとか自殺未遂をしたことなどを話してくれて叔父さんは一人で苦しんでいたのだと思い可愛そうと思いできる限りのことをして寄り添ってあげてきました。徐々に叔父さんも明るくなりどんなに貧乏でも頑張って生きて行くきもちになってくれて良かったと思いました。叔父さんに限らず苦しんでいる人悲しんでいる人がいたらできる限りのことで助けてあげようと思います。この地球上で誰一人として苦しむ人悲しむ人をいなくしなくてはいけないと思います。皆が平等に幸せにならなくてはいけない自分さえ良ければの社会全体がかわらなくてはいけないと思います。私は地球上の全ての方々が笑顔で笑い溢れるようになることを願っています。どんなに悪い人も本当には悪い人ではないと思います。愛情の不足からその様な人間になってしまったのだと思います。今の世の中は愛が不足して誤作動しているかたがたくさんいます。
地球上全ての方々に愛が十分に注がれる世の中になることを願っています。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 愛情
どんな職種・お仕事をされていますか? : 花販売
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー66
安倍 恵里奈(あべ えりな)

作品タイトル : 珈琲屋は世界を癒す

エピソード
~珈琲屋は世界を癒す~
 30年前、当時20歳の私が体験した、忘れられない素晴らしい出来事をここに記します。

 街外れのログハウス。母と娘。親子で営む小さなカフェ。こころを開く者。肩の荷を下ろす者。思いを蘇らせる者。訪れる人は皆、来た時よりも軽やかな足取りで帰っていく。日々、癒し癒される。小さな珈琲屋のお話。
 赤紫の萩の花がたわわに撓る。山々が遠くに聳え、空が高く広く、雲を左右に引き伸ばしはじめた初秋の週末。              
 うつろな目をした小柄な男性が入店した。黒のズボンにグレーの半袖。薄手の黒のベストを羽織っている。ボサボサの髪。細身の体に、うっすら無精ひげ。徹夜明けのような、とても疲れた顔をしていた。カウンターに座り、ホットコーヒ―を注文する。
 ちょっと苦手な感じだな・・私は第一印象で思った。カフェを手伝い始めてまだ1~2年の私。常連さんたちには気軽に話せたが。初対面のカウンター客はどことなく緊張した。
 この男性は、もしかしたら、喋りたいのかもしれない。カウンターに座る、ほとんどの常連さんが、お喋りをしに、カフェへやってきていたからだ。
 この人がもしも話したいのなら。私が先に心を開かなくちゃ。ようし、オープンでいこう。素直になろう。わからない話題だったら、教えてもらえばよい。
 私はガラッと方向転換した。目の前の男性に、何か話しかけてみようと、タイミングを見計らった。ちょうどその時
 「えりちゃん。ちょっと仕込みしてくるね。」
 母が後ろのドアを開けて、奥の厨房へと消えて行った。
 私は、洗ったコーヒーカップをふきんでふきながら。意を決して、目の前の男性に声をかけた。
 「ドライブにいらしたのですか。」
 話しかけられ、少し驚いた様子で。男性は伏し目がちだった顔をひょいと私へ向けた。
 「たまに、ぷらっと・・・遠出がしたくなってね。」
 照れながらも、その男性は話し続けた。
 「気の向くままにこっちへ来て。中津川渓谷まで行ってきたんだ。奥の方、昔とだいぶ変わったね。・・・かなり整備されて便利になったけど。前の静かな隠れ里みたいな雰囲気も、好きだったな。・・・おじいちゃんおばあちゃんがやっていた、手作りの田楽やお饅頭屋さんなんかも、無くなってしまったね。」
 話し始めたとたん、男性は雄弁になった。時々、少しだけ微笑み、堰を切ったように語った。悪い人ではなさそうだ。
 私は反省した。人は見かけによらない。カフェをやりながら、そのことはよくわかっているつもりだったが。まだまだだなあと思った。 
 「せっかくだから、温泉にでも入って。帰られたらどうです?この辺には、日帰りできる公共のいい温泉施設がたくさんあるんですよ。まだ、紅葉シーズンじゃないから、そんなに混んでないと思います。」
 私は和やかに、提案した。
 「いいね。温泉か・・。さっぱりするだろうな。」
 男性は一瞬だけ、笑顔をみせた。そして、ポツリとつぶやいた。
 
 「あのさ・・・。落ち込んだ時って、どうしてる?」
 
 不意打ちの質問に、私は戸惑った。
 うーん。どうしているだろう?
 しばらく、沈黙が続いた。・・・そして。
 「人生経験少ないので・・良い答えにならないかもしれませんが・・」
 そう、前置きして。私は、思いつくままに話し始めた。
 「まず、落ち込んだら、私は無理して元気になろうとはしません。どっぷり、落ちんでみます。落ち込みを味わうというか。自分の感情をしっかり確認するんです。」
 男性は無言で頷いた。視線は真っすぐに、私を見ている。私は照れながら、続けた。
 「しばらく落ち込みの感情に浸っていると。だんだん、それが嫌になって来るんです。落ち込む自分に、いつまでもクヨクヨするな!って、突っ込む自分が現れる。そしたら、自分を責めるのではなく、何かを始めるんです。」
 「何かを始めるって?」
 男性は興味津々に聞いてきた。
 「サッパリすることや、カラダを動かすことに意識的に取り組みます。例えば、お掃除や家の片付けを徹底的にやったり。ウオーキングやジョギングで、たくさん汗を流したり。山に登ったり。プールで泳いだり。人間は、いい汗をかくとカラダにいいスイッチが入ると思うんです。」
 「もし、何もやる気が起きなかったら?何もかも嫌になってしまって。落ち込みが激しかったら、どうする?」
 「誰かに話を聞いて貰うんです。落ち込みを乗り越えるのも、問題を解決するのも自分なんだけど。誰かに話を聞いて貰えるだけで、自分の気持ちが整理できるから・・。話しているうちに、今まで気づかなかったことがわかることもあるし・・。」
 「もしも、家族や友達にも話せない時は?」
 「その時は・・・。髪を切りに行って、美容師さんに話すとか。お酒を飲める人なら、静かなバーに行って、マスターと話すとか。
もちろん、喫茶店やカフェで店員さんと話すのもいいと思います。あの・・。私も以前、すごく落ち込んだことがあって。その時は、家族にも友達にも話せなかったというか。話したくなかったんです。それでも、どうにかしたくて・・・。たくさん映画を見たり、本を読みました。ノンフィクションの感動作とか。主人公が試練を乗り越えて、成長するのとか。たくさん笑えるコメディーとか。あの、笑うと免疫細胞が活性化するらしいです。落ち込んでる時って、笑いと真逆になってるから。あえて、笑いに浸かると細胞が活性化されて元気になってくるんです。」
 「笑いか。なるほどね。」
 「それから、泣くのもいいみたいですよ。涙と一緒にしか排出できないストレス物質があるんだそうです。カラダにどんどん溜まっていっても、外に出せない。それは、唯一涙を流すことで、体内から排出されるんですって。だから、泣くことでストレス排出になり、浄化されるんです。ストレスは知らないうちにたまってしまうから。定期的に、感動モノの映画をみたりして、時々は、泣くのがいいみたい。たくさんストレスをためない秘訣みたいですよ。」
 「へえー、そうなんだ。涙はストレスを外に出してくれるんだ。若いのに。色々知ってるね。驚いたよ。・・君もすごく落ち込んだことがあるんだね。・・恋愛かな?」
 男性は少し、明るい面持ちに変化していた。  
 やはり、話すことは、気持ちを和らげるのだ。私はつくづく実感した。
 「いいえ。恋愛じゃないです。進路のことで・・・。大学受験に失敗しちゃって。高校が有名な進学校で・・・大学に行かない人なんて数人しかいなくて・・自分だけ取り残されたみたいに、とても孤独でした。」
 「そうなんだ。つらかったね。浪人はしなかったの?」
 「現役で失敗して。浪人が決定した3月にこのお店が開店したんです。ちょっとだけ手伝うつもりが、忙し過ぎて。まったく勉強できなくて・・・。でも、ほんとうは勉強が楽しくなくなってしまったんです。そして、そのままここにいます。」
 私は苦笑した。やらねば、と思う気持ちとは裏腹に。受験勉強に全く情熱がなくなってしまったのは本当だった。
 「いいじゃない。ステキなお店だし。カウンターにいた人は、もしかしてお母さんなのかな?親子でカフェができるなんて、すごくいいと思う。」
 「だいたい皆さんそう言います。恵まれているのはわかっているんだけど。時々、思うんです。私の夢ってなんだろう。本当にやりたいことってなんだろう?って。」
 「やりたいことないの?」
 「いっぱいあるんです。でも・・どれが自分に向いてるのか。一番好きな事なのか。わからない。・・・だから、今は目の前のやりたい事を、片っ端からやっていきたいんです。いつか、自分にしっくりくるものが、わかると思うから。」
 「それでいいと思うよ。・・まだ、若いし。時間はたっぷりあるから。焦らなくて大丈夫。・・ゆっくり、じっくり、やりたいことをやっていけばいいさ。」
 いのまにか。立場が逆転していた。私の身の上話を、男性は穏やかに聞き入ってくれていた。
 「あ、あの。いま、思い出したんですけど、私がすごく落ち込んだ時、サガンの『悲しみよこんにちは』を読んだんです。そしたら、ノイローゼの人が出てきて。それを読んでいたら、だんだん自分のことを客観視できるようになって。読み終える頃には、もう、悩むことが、ばからしくなったんです。悩む自分を見つめる、もう一人の自分。その時から、いつも、自分の中に客観視できるもう一人の自分がいるんです。自分を客観視できるようになり、毎日が楽しくなりました。」
 「深いね。えりちゃんだっけ?その若さで、すごいよ。いろいろわかってて。」
 「いえいえ。まだまだです。」
 「今日は来てよかった。えりちゃんと話していたら、気持ちが楽になったよ。・・・あのさ・・・。おれ・・結婚がダメになったんだよね・・」
 
 男性は遠くを見つめるように、静かに話し始めた。
 結婚を決めた、大切な人がいたこと。一緒に暮らすため、新しい家に引っ越したり。結婚の準備をあれこれ進めていた時。突然、サヨナラを告げられて。彼女はそのまま違う人と結婚してしまったこと。悪い事は重なるもので、ちょうどその頃、仕事でトラブルを起こしてしまい、責任を取る形で会社を辞めることになってしまったこと。
 男は、ためらうことなく、私に話し続けた。
 
 溜まっていたんだなあ。抱えきれぬほど・・
 どこかに下ろしたかったのに・・今までできなかったんだ。
 ずっと誰かに話したかったんだ。・・たまたま、今日、ドライブに来て。たまたま入ったカフェに、たまたま私が居たんだ。
 自分とは全く関係のない。もう、二度と会う事もない相手だからこそ。この男の人は、心を開いて私に話しているんだ。
 なんだか嬉しかった。私は、ただただ、相槌をうち。ただただ、話を聞き続けた。
 
 「情けないよな。もう、三十過ぎたっていうのに。結婚も仕事もダメになって。何やってるんだか。おれ・・・。」
 男は苦笑していた。だが、すべてを吐き出して、とても楽になったように、見えた。情けないと言いながら、笑える自分。誰とも話せなかった時よりも、この人は確実に前に進んでいる・・私は感じていた。
 「いいんじゃないですか。たまには。人生の休息期間があったって。ゆっくり、自分に向き合ういい時間だと思えば。・・・充電期間ですよ。また、頑張れるようになりますよ。きっと。」
 「なれるかな?」
 「なれます!必ず、また、元気になって頑張れます!今日、私と話せたじゃないですか。・・誰とも話せなかったのに。見知らぬ私とこんなに話せたんです。・・・勇気を出して下さい!これからも頑張れますから。」
 「ありがとう。・・エリちゃんに言われたら、ホントに勇気が湧いて来た気がするよ。・・おれ、やってみるわ!」
 「私もやってみます!自分の夢・・熱くなれるモノ、見つけます。」
 「必ずみつかるよ!」
 「はい!」
 「今日は長い時間、ほんとにありがとね。じゃあ。」
 「こちらこそ。ありがとうございました。」
 
 にこやかに手をあげ、男性はカフェのドアを開き、階段を下りて行った。
 軽やかな足取り。晴れ晴れとした清々しい瞳の奥に、明るい光が蘇ってきているのを、私は見逃さなかった。
 「ずいぶん、話してたわね。」
 母が厨房から顔を出した。
 「途中で代わろうと思ったんだけど。なんだか代わっちゃいけない気がして。ずっと任せてて、ごめんね。」
 「平気よ。あのお客さんと話せて、私も良かったから。」
 「嫌な人じゃなかったんだ。なんか、来た時よりも明るくなって帰って行ったもんね。」
 「うん。お母さん、私・・。誰かの話を聞いて、その人を励まそうって思うと。自分でも信じられないくらいのすごいチカラが出るの。・・・話していても、普段は思いつかないような励ましの言葉がポンポンでて来てさ。・・自分で喋りながら、自分に驚いちゃった。」
 「才能だね!」
 「才能?」
 「そう。すごい才能だよ。それは!」
 「励ますのが才能?」
 「そう。えりちゃんは、人を励まして、癒してるのよ。自然にね。」
 「自然に癒しているんだ、私・・。」
 自問しながら、感じていた。誰かを励ましながら、自分も励まされていることを。 
 誰かを癒す時、自分も癒されていることを。

 月日が経過した。半年、いやその翌年だったであろうか。覚えているのは、薪ストーブに火が灯り、ログハウスのカフェが冬バージョンに変化している季節であった。
 静かな週末。店の奥の厨房でお掃除をしていた私を、母が呼びに来た。ドアを開けて、カウンターへ出る。目の前を向いて、はっとした!そこには、あの時の男性が座っていたのだ。
 久々の再会。それ以上に驚いたのは、彼の佇まいであった。
 ボサボサでは無く、きれいにカットされた髪型。無精ひげは消え、すっきりと日焼けした顔。鍛えられ引き締まった体格は、服を着ていても、その整った筋肉がうかがい知れた。スリムのズボンと濃紺のジャケット、パリッとした白シャツが良く似合う。見違えるほど、ステキな男性に変化していた。
 「エリちゃん、久しぶり!」
 男性は爽やかな笑顔を向けた。
 「お久しぶりです!・・びっくりしました!・・雰囲気が凄く変わりましたね。」
 男性は答える代わりに、照れくさそうに笑った。
 「ホノルルマラソンを完走してきたんですってよ。すごいわよね!」
 すかさず、母が教えてくれた。
 男性は爽やかな笑顔のまま、立ち上がり、何かを差し出した。
 「はい。これ。・・完走した人だけがもらえる記念Tシャツなんだ。・・エリちゃんに渡したくて。」
 私は驚いた。
 「いいんですか。こんなに大切な物・・私が頂いてしまって。」
 「ぜひ、受け取って欲しいんだ。・・エリちゃんのおかげで、挑戦する気持ちになれたから・・・俺、前へ進めたんだ。ありがとう!!本当に。」
 清々しさと活力に満ちたホンモノの感謝が伝わってきた。
 「今日はお礼に来たんだ。俺、もう、何があっても頑張れるよ。それじゃあ。また。」
 男性は颯爽と店を後にした。風のように軽やかに。
  
 『再生』・・この言葉が浮かんできた。私は染み入るように感じていた。誰かの役に立てたことが、すごくすごく嬉しかった。
 その方はフリーランスで、独立して仕事を始めるらしい。母が教えてくれた。挑戦を始めた勇者。一つの達成を成し遂げ。これからも、様々なことに挑戦し果敢に挑み続けるのだろう。静かで熱い『勇者の凱旋』だった。
 カフェの仕事とは。飲み物や食べ物、ゆっくり寛ぐ場所を提供するだけではない。
 心と心の交流が、笑顔を生み、疲れたカラダと心を癒し。活力そして勇気を呼び起こす。
 私は自分の中の勇気もふつふつと、湧きだすのを感じていた。
 
 『こころを開くと相手もこころを開いてくれる』
 『人を癒すことは癒されること』『励ますことは励まされること』
 『勇気が新たな勇気と希望を喚起する』
 『人は人という字のように。持ちつ持たれつ、支え合ってこの世界で生きている』
 
 すばらしい世界の営みを知った二十歳の私であった。 
 
 50歳になった今、携わるお仕事は変わっても。このすばらしい世界の営みの中で私は生き続けています。~END~


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 心をひらく、話す、聴く、励ます、珈琲、ログハウス、声
どんな職種・お仕事をされていますか? : 作曲業、作詞業。
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー67
中村 麻鈴(なかむら まりん)

作品タイトル : このことだけは何があっても忘れないだろうな

エピソード
私は、人前で自分一人で話さなくてはならない場面にかなり苦痛を感じます。そのため、そのような場面は極力避けてきました。そんな時に、高校の体育祭で私たちの学年は創作ダンスをすることになりました。当時ダンス部だった私は、振り付けや位置を考え、体育の授業や休み時間にみんなに教えることになりました。毎日毎日、人前で話さなければならない状況がだんだん私の心とからだを苦しめていきました。食欲不振、腹痛、発熱の頻発、様々なからだからのSOSは、自分が限界寸前になっていることを教えてくれました。そして私は、体育の授業に行くことを諦めました。もっと言えば、不登校になることも考えました。しかし、生真面目だった私には不登校になる勇気がありませんでした。もう頑張れない。もう限界。だけれど、ただ、1つだけ、大きな勇気を出してみることにしました。
「先生に相談しよう。」
相談してみると先生は、「つらかったね。」と共感してくれました。その言葉が、どれだけ嬉しかったか。どれだけ私の心を溶かしてくれたか。そして、先生の経験談を教えてくれました。先生が高校生の頃、私と似たような経験をしていて、その時の状況や気持ちをどう立て直したのか、どうすることが良かったのかを教えてくれました。そして、今でも覚えている言葉、
「骨折していたら野球はできないでしょ?あなたは今それと同じように心をけがしてる。だから、無理に体育の授業に出なくてもいいんだよ。でも、腕を骨折しててもチームの応援はできるし、練習の手伝いもできるから。だから何かしらの方向から参加できたらいいね。どうしていけばいいか一緒に考えてみよう。」
この言葉をくれました。諦めるか頑張るかの究極の2択しか頭になかった私には新鮮でした。心が疲れていると、柔軟に物事を解決する能力が欠けてしまいます。そんな時の第3者の考えには感銘を受けてばかりでした。ただただ驚くばかりです。そして、その言葉通り、本当にずっと私の話を聞いてくれて、一緒に解決策を考えてくれました。学校を休みがちになっていたことを心配して、休み時間におそらく毎日、私の教室まで様子を見に来てくれていたことも知っています。照れくさくて気づかない振りをしてしまったけれど知っています。体調の心配をさりげなくしてくれたことにも気づいています。体育の授業に1度出てみようと思い始めたころ、どんな小さな不安も本当に大丈夫みたいなトーンで「大丈夫。そんなこと気にしなくてもいいよ。」と言ってくれたことも覚えています。先生がくれた言葉を全部全部覚えています。その言葉すべてが私の2度目の大きな勇気になったのだと思います。1つだけ、大きな勇気を出してみることにしました。
「体育の授業に行こう。」
正直こわかったです。1度諦めた場所に戻るのはこわくてこわくて仕方ありませんでした。でも、少しだけ頑張りたいと思いました。こわい気持ち7割と頑張りたい気持ち3割では、当然こわい気持ちが勝ってしまいます。でも、そのたった3割の気持ちを拾い上げて大切に大切にしてくれた先生がいたから、自分も大切にできました。
そして、本当に体育の授業に出るようになって、休みがちだった学校もほとんど毎日行けるようになりました。体調もだんだん良くなり、ふと思いました。
「学校生活、楽しいかも。」
信頼できる先生ができたことで、安心して学校に行くことができるようになったのです。特別楽しいわけではなかった学校生活だったはずなのに、なぜか楽しくなっていました。以前は知らない間に気を張っていたのでしょうか。一皮むけたとはこのことです。今は、なんでもとは言えませんが、何か悩んだときには誰かに相談するという手段をとることもあります。それはきっとこれからの人生を生きていくには必要不可欠な力であり、自分を守るための手段であると思います。そんな力を私に与えてくれた先生には感謝しています。これから何年も生きていくであろう自分の人生を生きやすくしてくれた恩人です。いつか先生みたいな人間になろうと心に誓っています。なれますように。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 先生の真心
どんな職種・お仕事をされていますか? : 学生
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 井上先生



【エントリー68
鍵元 裕司(かぎもと ゆうじ)

作品タイトル : 私の心のレスキュー

エピソード

中学生の頃から、身体全体的に痛みが走る苦痛の毎日でした。最初の頃は病名も分からないのでかかりつけの近所のクリニックや大学病院でいろいろ検査をしたけれど、結果はいつも同じで最終的に原因不明ということでした。だから今から思えば、音楽を聞くことや演奏することや写真を撮ること等、自分で好きなことをして痛みをまぎらわしていたように思います。
なぜなら、音楽聞いている間は不思議と痛みを忘れて、ゆったりした気分でした。
今で言う音楽療法的なことをしているみたいでした。その他、写真を投稿したりすることも楽しみにしてました。自分で撮った写真がテレビで採用されたことは、とても嬉しかったし、自分に自信を持つようになりました。身体が不自由だから何も出来ないで終わるのではなくて、身体が不自由でも何か出来ないかなって探して見れば、意外と楽しくなりました。
私は、このようにして、あまり他人に相談せずに、自分で解決法を見つけました。
私を助けてくれた音楽療法も一言では語り尽くせません。音楽と言っても洋楽やら邦楽、JAZZ、クラシック、ポピュラー、演歌等、様々なジャンルがあります。そして、それだけ味やら深さやら厚さがあります。同じ曲でも演奏家によって違います。
数多くの中からきっと自分に合うものが出て来ることでしょう。そしてその音楽と共に学んで下さい。あなたの世界がきっと変わるはずです。自分が変わることで相手も変わることでしょう。
あわてないで、
どうぞゆっくりチャレンジして下さい。

簡単ですが、私のこころのレスキューでした。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 音楽の存在
どんな職種・お仕事をされていますか? : 音楽療法事務所
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー69】
木下 佳世(きのした かよ)

作品タイトル : 祖母と私

エピソード
初めは、私は祖母のことが嫌いだと信じていました。
物心ついた時には私は祖母を嫌っていました。
大人になってからも母から何度も「あなたは昔からおばあちゃんのことが嫌いだね」と言われていたし、家族からは「おばあちゃんのことが嫌いな私」を認知されていました。
 祖母の、押し付けてくるところが嫌いでした。何かをくれようとするのですが、私はいらなくて、受け取らないと切れるところも嫌でした。
色んなものを押し付けてきては受け取らせようとしてくることが嫌で、避けるようになっていきました。関わると気分が悪くなる祖母が、すり寄ってくるのも嫌でした。他人の前ではいいおばあちゃんで、家族の前では見せる顔が違うところも嫌でした。
 彼女と関わるといつも胸も腹もモヤモヤしました。
会話するといつも気分が悪くなるけど、どう言えばいいのかわからなくて、避けるけれど避けきれない感覚でした。
 子供の頃から私は祖母のことが嫌いなんだと信じて、大人になった時に一度、祖母と正面からぶつかった時、祖母から怒りのようなものを向けられて私の内臓がぐるぐるとかき回された感覚になって、祖母のことが怖いと再確認した気分でした。

 私が大人に成長する過程で、実家から離れてそのまま結婚して、離婚したときに実家に戻りました。
実家に泊まりで帰ることはしょっちゅうあったけど、改めて生活の拠点が実家に戻ったのは10年ぶりくらいのことでした。

あぁ、私は実家が嫌だったんだった。祖母のことが嫌いで、両親のことも好きな所は沢山あるけれど嫌で、だから私は家から逃げたんだなぁ。なのに私はどうして実家に戻ったんだろう?

 この頃から自分についてたくさん疑問に思うようになっていきました。
どうして新しく出来た恋人と私の間に、嫌だった元旦那さんと私の間で起きた同じ問題が起きるのか。
どうしてこんなに日々親とぶつかるのに、実家に戻ってくる時には自分の気持ちには何の問題もなかったのだろうか。
むしろ離婚して帰ってくることを親が受け入れるのは当然よね、と思っていた…。

離婚もほかの問題も、もはや相手のせいだとは思えなくなりました。

なにかおかしい。なにかおかしい。
私に何が起こっているの?

その時に出会えたのがキャラクトロジー心理学でした。キャラクトロジー心理学ベーシック1day講座を受け心の仕組みについて知れた次の日に、祖母に対して怖くて嫌で仕方ない反応を起こした自分に、「本当に怖いのだろうか?」と疑問を持ちました。
「気持ち悪い祖母」「怖い祖母」「嫌いな祖母」それが本当のことなのか、体は反応していたけれど私は勇気を持って見てみることにしました。

 朝目覚めて、食事のために階下に降りていき、祖母と父母がいる朝の食卓に、こわいと思いながらも全体を見てみたその時。

 祖母は小さくうつむいてモソモソと朝食を取っていました。

衝撃でした。

私はこんな小さくなっている祖母を怖いと信じていたの?!

 私にとっての真の問題は、対母か対父の問題が大きくて、祖母との関係性においては思っていたよりも大したことではないのではないだろうか?!

 それからは自分の問題に取り組む日々でした。どうして父に対してこんな反応をするのか。どうして母と話すと自分はこんな反応をするのか。
それらを、私に教えてくれたキャラクトロジーベーシックマスターに質問したり、受け止めてもらったりしながら、ひとつずつひとつずつクリアしていったら不思議と祖母と仲良くなっていきました。
その都度、マスターにもヒーラーさんにも支えてもらいました。ひとりでは乗り越えられなくて、泣いてSOSを出したこともありました。
ただただ受け入れてもらい続け、ただただ問題を分解してもらえて、忍耐と愛で居続けてもらいました。

何度も何度も子供の場所に入っては、泣いて怒って絶望したけれど、サポートに手を伸ばすことはし続けて、大人の視点を入れてもらいました。

気が付いた時にはただただ祖母のことが可愛くなっていました。

 34年間、祖母のことが嫌いだと言い続けた私を見続けてきた家族も、当の祖母も、私の変化ぶりに驚いていたのが解ったのは少し後のことです。

私にとっては一つ一つクリアしたことなので当然の変化でしたが、周りから見ると驚きだったでしょう。


 私の言うことには必ず反論をしてきた祖母が、すんなりと聞いていた瞬間。

 祖母がうつむいているところを遠目に見ていたら顔を上げて私の視線に気付きニコッと笑った笑顔を見た瞬間。

 祖母が怒りを父に向けた後に私にも向けてきて、私がむぅっと固まったら謝ってきた瞬間。

私が「仕事大変だけど頑張る!」って言ったら、祖母が共感してくれた時に「おばあちゃんも頑張ってたんだね!」と理解して笑い合えた瞬間。

 どれもこれも私にとって今までと違う反応で、驚きと喜びの日々を過ごすことになりました。
 
 自分の心や反応に?をつかずに、寄り添ってもらって、自分への寄り添い方を知っていって、そしたら祖母の心に寄り添えていました。祖母に寄り添えたら、祖母の息子である父にも響いていったようでした。

私の父と祖母は、私の目から見て歪んでいて、傷ついていて、ここの問題を今生に少しでも解くことが、私の役割だったんだと思いました。


 祖母が倒れて入院しました。もう、手術しても体力が耐えられるかどうかわからないし、手術しなければ残りの命は少ない、と医者に言われました。死ぬかもしれないけど手術するか、残りは少ないけれどそのまま薬で誤魔化すかを、父が選ばなければなりませんでした。
 父は混乱しましたが、混乱を分解して選ぶ方法を少し学んだ私がサポートすると少し落ち着きました。結局手術をしないで最期の時を迎えるまで入所できる施設に入ることにしました。
 祖母が入所してから、何度もお見舞いに行き、最期が近くなった時には泊りで行ったりしました。
その時に全部いいことばかりだったわけじゃないけど、泊りに行くことが嫌じゃない自分になれていてよかったと、思います。
 
 足が冷たいと訴える祖母に、頑張って椅子に座ってもらって足湯したら喜んでくれて、祖母はその時ボケていたから「あなたもお仕事大変ね、ありがとう」と言われました。喜んでもらえてうれしかったし、「仕事じゃないから大丈夫だよ、私はあなたの孫だよ」と笑いながら伝えました。
驚く顔も可愛かったです。

 私は、この頃にはもう父と母のことを愛していると認めていたし祖母のこともこうしてただ仲良く出来たらよかっただけだったのに、もっと前から色んな事が歪んですんなり仲良く出来なかったんだと解っていました。私にはまだ父と母との間で起きた誤解を解く時間が残されているけど、父には今生の母との時間が残されていませんでした。だから私はほんの少しでも、ふたりが近づくことを望みました。
 「お父さんもおばあちゃんのところへ泊りに行ってみたらいいよ」って伝えてみたこともあるけど父はその時は拒んでいました。
 祖母が旅立つ前日の夜、父が祖母の手を握りました。祖母を怖がっていた父が、祖母の手を握ったことが私は心から嬉しくて、あぁこのために私はここに帰ってきたんだなぁと解りました。

 祖母が旅立ってからも、HITグループのコミュニティへ呼びかけたらたくさんの人にホールドしてもらえて、愛を感じました。
自分にとって心が寂しく感じたその時に、愛で支えて欲しくて、心がへにゃっと崩れずに支えられた感覚になりました。

 これは私を癒していただいた話であり、私が私を癒した話であり、祖母や父や家系に繋がっていた話。

今では私が支えてもらってきたように、人をサポートしたいと思っているし、どうしたら自分の本質で生きていけるか模索しているし、この時よりもずっと自分は強くなったと感じます。

この時に逃げずに自分と向き合ってよかった、向き合えてよかった、と心から思います。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : キャラクトロジーマスター、その人の存在、ヒーラーさん、カウンセリング、プロセスグループ
どんな職種・お仕事をされていますか? : 接客業
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 吉田美穂、坂井素子



【エントリー70】
中西 まき(なかにし まき)

作品タイトル : 不登校より母子登校~ゆっくり成長しよう!

エピソード
 まだ寒さの厳しい立春の放課後に、1年生の息子は2カ月ぶりに登校し、担任の先生と30分間、お絵かきや工作をしました。学校の巡回カウンセラーさんから放課後登校を提案して頂いて、私と長女の付き添いがあって、なんとか実現した再登校でした。
 3月には通常の朝の時間に登校でき、少人数クラスで30分ほどプリントなど学習しました。最初の朝、鉛筆を握る小さな手は震えていました。冬ごもりから目覚めた小さな小さな虫のように。

 その前年の12月に息子は学校に行かなくなりました。理由を話すことはできませんでした。学校に行きたいのに行けない。体は硬直し、心は崩壊してしまったようでした。
 体を動かすことが好きな子なので、主人と私は毎日息子を公園やプールに連れ出し、自然の中で思いっきり遊ばせました。

 新学期からは私と一緒に登校しました。初めて教室に入った日は、机の下に隠れて出てきませんでした。1時間くらい経って、お友達が声をかけてくれたことでようやく椅子に座れました。
 4月から夏休みまで、先生方も私も学校での息子への対応に苦慮しました。心が安定しないので、授業に集中できず、教室の外に出ていきます。時には、校門から外に出てしまうこともありました。

 私は先生方の導きに必死でついて行かなくてはという気持ちが強くて、無意識に学校側を優先していたらしく、息子から「先生と僕とどっちが大事なの?」と言われて、そのことに気がつきましが、息子の気持ちにうまく寄り添うことができないまま時が過ぎていきました。
 それでも夏休みには、家で学習も頑張り、ゲームの時間を減らし、それまで拒否していた本の読み聞かせも聞くようになり、少しずつ人間らしい生活を取り戻していきました。

 9月に入り、先生方も息子への理解を深めてくださり、今は無理せず、午前中だけ登校しています。体育は1人でも授業を受けられるようになってきました。精神科にかかり、主治医のすすめがあって板書の免除を学校にお願いし、息子への負担はだいぶ軽減されました。それでもクラスにいられないときは、図書スペースで本を読んだり、少人数クラスへ行ったりします。

 これまで様々な立場の専門家の方に相談し、同じような特性のお子さんを持つお母さんともお話して、アドバイスを頂いてきました。そして先日、「子どもの心を強くするすごい声かけ」という本を読み、息子に対して具体的にどう接していけばいいのかが少しずつ分かってきました。
 息子の心の揺れに私が一喜一憂せずに、なるべく平常心を保ち、息子のことを静かに観察し、できなかったことを注意するのではなく、できたことをどんどん大げさなくらいに褒めるようにしました。すると、これまであまり反応しなかった息子が嬉しそうにしていて、私の心も幸せ感で満ちるようになってきました。

 これまでの息子の心の回復にとって大きかったのは、3月から発達系の塾に週に1回通い、専門家の方と50分間、好きなポケモンの話をしたり、ゲームをしたりして過ごしてきた時間だと思っています。その塾がある曜日をいつも楽しみにしていて、自分の好きなグッズやぬいぐるみをリュックに詰めて意気揚々と教室に向かう息子の姿を見る時だけは、私の心も少しほっとしたものでした。
 家族のサポートだけでは、息子を支えることはできなかったと思います。息子の特性を深く理解している先生方と過ごすことで、息子は安心感や信頼感を少しずつ取り戻すことができたのでしょう。

 今日も学校で息子は、教室から出て昇降口でボール遊びをしていました。授業の最初と最後だけは席に戻るのが目標ですが、席に戻らずにそのまま休み時間に遊びに行ってしまいました。今日も私は、育児本の「親たちを迷わせたり悩ませたりする子どもが“よい子”」という言葉を思い出し、「あー、今日もうちの子は学校で一番いい子だった!」と笑顔になれました。

 下校後には1年ぶりにクラスメートと公園で遊んできました。学校では別人のようにイライラして落ち着かない時がある息子も、公園でのびのびと元気に遊んでいました。そして私は、学校で息子をうまくサポートできない日々に悩みましたが、お友達とまた近づくことができただけでも、付き添ってきた甲斐があったと思えました。

 学校でもいいし、その他のコミュニティでもいいので、子どもはどこかとつながっていたいのですね。たとえ、それが蜘蛛の糸のようなはかないものでも。これからも息子との旅は続きますが、息子と共に歩ける今に感謝し、一歩一歩ゆっくりと歩いていきたいと思います。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 毎晩の息子の寝顔
どんな職種・お仕事をされていますか? : フリーランスで翻訳をやっています
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー71】
林 美代次(はやし みよじ)

作品タイトル : ある若い女医先生に感謝します。

エピソード
妻が病気に成り、入院しました。
病院では、色々種々の臨床検査を
されました。妻の病気は腎臓ががかなり悪く、血液透析の必要がある事を、本当に若い女医師でしたが、妻の病状容態を詳細に
分かりやすく説明して下さいました。
結論として透析する為に、PTAと言う手術
が必要である事の説明を受けました。
妻に手術の必要を説明しましたが、妻は手術を強く拒絶をした為、若い女医に妻が
手術を拒絶して言う事を聞か無い事を伝えました。が時間を置いて、私の家や又携帯電話に妻の病状を気にかけてくださり又妻にも病状と手術の必要性を詳しく説明して頂き妻に手術に対しての説得をして下さり
透析手術を無事成功さして下さいました。
非常に若い女医先生でしてだが、妻の事
非常に心配して頂き、あんなに熱心に
説明、説得して頂た事、とても感謝しています。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 若い女医の医師としての熱意に感謝します。
どんな職種・お仕事をされていますか? : 無職
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー72】
森迫 泉(もりさこ いずみ)

作品タイトル : こころに寄り添いただ在るということ

エピソード
〝人は必ず裏切るし、愛なんかいらない〟
だから私は自分を裏切り続けていたのだと気付いたのは、ベーシックマスター養成講座を受講した後のことでした。

そもそも、自分の中の愛を認めることが出来ずにいた私は、いつも悪態をついていました。そんな私に、いつも笑いながら「あなたの愛はとても大きいね」と言い続けてくれた人がいました。

〝こんな私に愛なんかあるわけない〟小さな頃から、母に差し出した愛をいつもいつもはね返されてきた私は、愛なんかいらないと自分がこれ以上傷付かないように偽っていたのです。

自分の中に本当は在る〝愛したい〟という場所。
私には全くそれが見えてなく、いつも〝愛〟に似た〝悪〟しか人に与えることが出来ず、そんな自分に嫌気がさしながらも、そうやって自分を裏切り続けていたのです。

キャラクトロジー心理学を学び深めていくうちに、そのことに気付き始めた私は、自分に動揺したり、拒絶したくなったりして元の場所に戻ろうとするのですが、戻っても居心地が悪いので、違和感を感じるようになっていきました。

そんな私をいつもそっと見守り、私が自分で気付くまで待っていてくれた人。
誰にも頼らない!とずっと決めてきた私の側で、そのつっぱりを笑いながら見守り、ただただ〝ここに居るよ〟という態度で側にいてくれました。余計なお世話も、気の利いた言葉も何にもなかったけれど、母から侵入され続けていた私には、その距離感が心地良く、その中でだんだん自分への信頼を取り戻していったのです。

もしかしたら、私にも愛があってそれを表現することが出来るかもしれない。
その人の、ただ居るだけのサポートを感じながら、私は自分に自由でいることを許し、本当にやりたい事を少しずつ与えていくことが出来ました。〝私の中に悪も愛もある、それでいいんだ〟


〝こんな私の愛なんて…〟
という気持ちから
〝私の愛は素晴らしい、私は愛にあふれている〟
そう変わっていったのは、ほんの数か月のことでした。
ただ寄り添いながら、私が見えていない私の中の場所をずっと信じて見続けてくれた。本当にそれは私の大きな力になりました。

ある日、今まで見たこともない景色の前に立った私は、今ここに立てていることが、その人からのサポートが土台になっていたことに気付き、涙が止まらなくなりました。

この静かなあたたかい愛を、私は受け取っている。
そしてこれからは、それを与えることもできるんだ。
小さな私が叶えられなかった夢がひとつ叶った瞬間でした。

〝ただ在る〟ということで、傷付いた人のハートをあたため、そして自ら気付きをもたらすような寄り添い方。
その安心感を土台に、私は自分で自分の真の願いを描き、自分の愛に気付くところまで歩むことができました。

私もこれから出逢うたくさんの人に、そうして寄り添える力を磨いていきたいと思います。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : エネルギー的な寄り添い
どんな職種・お仕事をされていますか? : 助産師、ヨガ・Hulaスクール、心理学講師
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください :



【エントリー73】
加藤 博子(かとう ひろこ)

作品タイトル : 母の死

エピソード
 正月の2日だった。その日、毎朝6時には開いている実家の天戸が閉まっていた。隣に住む長女の私は合鍵を使い、独りで暮らす母の様子を見に行った。「お母さん、寝てるの?」真っ暗な室内に声をかけるも返答はない。寝室にもトイレにも母の姿は見当たらなかった。
 もしやと思い風呂場の戸を開けると、そこに変わり果てた母の姿があった。すぐに救急車が到着するも、母を乗せて行くことはなかった。私には、目の前の状況が全く理解できなかった。前日、母は元気だった。 
 一緒に近所の神社へ初詣に行った。午後は私たち夫婦とデパートの初売りにでかけ、夫がダウンコートをプレゼントした。母は少女のようにはしゃいでいたのに。心不全、死亡診断書にはそう書かれていた。
 私たちは、田舎によくある敷地内同居で、建屋は別だ。父が他界した後、母は同居を望んだが、生活習慣が違う私たちが上手くやってゆく為には、適度な距離が必要だと思っていた。けれど、結果として母を一人で逝かせてしまった。「やっぱり独りで住んでいちゃだめよね。」葬儀の際、誰かの話す声が耳に入った。「私のせいだ。私のせいだ」そんな思いが頭から離れなくなった。私は、自分が喪主を務めたはずの葬儀から、四十九日までの記憶がほとんど無い。忌引き明けには普段通り会社に行ったし、家事も滞ることは無かったと思う。けれど、頭に靄がかかったように何も覚えていない。ふと鏡を見ると、耳の上辺りに10円玉大の抜け毛があった。夜中に目覚めることが多くなり、体重が落ちた。でも、それがなんだというのだろう。母はもういない。
 そんな時、やよい叔母さんが野菜を届けてくれた。母のすぐ下の妹で、嫁ぎ先が近所の農家だったから、母とは頻繁に行き来をしていた。
 本当に仲の良い姉妹で、母の訃報に真っ先に駆けつけた叔母さんは、その場で泣き崩れた。いつだったか「旦那さんは同居しても構わないって言うじゃないの。一緒に住んであげたら、お姉ちゃん喜ぶよ。」と言われたことがある。夫は優しい人で母に逆らったことは無い。しかし仕事は過勤を極め、夜も帰りは遅かった。その分週末は、趣味のゴルフに出かけるか、日がな一日テレビの前でゴロゴロ過ごすのが息抜きだ。そこに母の入る余地があるだろうか。そう思い、私は言葉を濁していた。
 叔母さんには責められて当たり前だと思った。けれど「あんた、よくやったよ。」叔母さんの口から出たのは労いの言葉だった。「こんな親戚だらけの田舎の葬式、大変だったろう。義兄さんの従兄弟から兄弟、こっちの親戚、兄弟まで大勢来てさ。でも万事抜かりなく、喪主挨拶だって立派だったよ。さすがお姉ちゃん自慢の娘だ。」そう言って私の肩を叩いた。「自慢?私が?」私はぼんやりと問い返した。母はすこぶる厳しい人で、私は子供の頃から咎められるばかりで褒められたことなど無い。「陰じゃいつも自慢していたよ。『あの子はちゃんとしている。何でも任せられる』って。」母そっくりの叔母さんの口から出る思わぬ言葉に、私は体中の毛穴が開いて押し込められていた感情が溢れ出るのを感じた。そこで初めて私は泣いた。
「あんた、ちゃんと食べるんだよ。」叔母さんは、来る度にそう言い、野菜を置いていった。いただいた野菜を丁寧に料理し、口にするうち、だんだんと目前の霧が晴れるように意識がはっきりしてきた。許されているのかもしれない。そう思った。すると少しずつ周りが見え始めた。
 気づけば隣には夫がいた。暗い顔で抜け殻のようになった私を見守ってくれていた。妹も、母の兄弟たちも折にて触れ気遣いの連絡をくれた 。「一人じゃないんだ。」私はよろけながらも一歩踏み出すことが出来た。
 あの時、やよい叔母さんに責められていたら、私は間違いなく潰れていただろう。辛くやり場の無い感情は、ぶつけ合うのでは無く、互いに共有し、思いやるのだと、叔母さんは教えてくれた。
 いつの日か、私も誰かの心にに寄り添えるような人間になれるだろうか。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 叔母のいたわり
どんな職種・お仕事をされていますか? : パート
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : なかだいやよい



【エントリー74】
副島 すみれこ(そえじま すみれこ)

作品タイトル : 人生の辛い経験はギフトに変えられるよ

エピソード
今から約3年半前、夫を亡くした。
すい臓癌、享年35歳だった。

闘病中に子どもが産まれ、義両親の元で同居、子育てをしながら、約1年7ヵ月。彼は旅立っていった。

私の中には大きな悲しみや憂い、自責の念、怒り、後悔、罪悪感、自己嫌悪など、様々な感情が鬱積していた。

夫を亡くして数日後、潰瘍性大腸炎を発症し、投薬にて半年くらいで一度、寛解。
子どもと一緒に実家の両親の元へ帰ってきた。

心には依然として鬱々としたものがあり、本を読み漁ったり心理学を沢山学んだりもした。

夫の3回忌を迎え、少しずつ気持ちの整理もつき始めため、また赤ちゃんを産んでみたいなと思い、婚活をスタートしたことをきっかけとして潰瘍性大腸炎が再発する。

そして何度もカウンセリングやメディカルヒーリングを受けてきて、愛とは何か、自己責任や自由意志とは何か、オーナーシップを持って人生を歩むとはどういうことなのかを学んでいく中で、少しずつ本当に心が軽くなってきている。

以前は話したり考えることさえ嫌で、泣いていたようなことを、今はあまり抵抗なく笑って人に話したり、思い出せるようになってきた。

今日は、病気が発覚した時のことを振り返りながら私の心の学び・成長をヒーラーさんやカウンセラーさんへの感謝の気持ちとともに書き綴ってみる。


夫は車の整備士だった。
毎日、繁忙期には朝から晩まで肉体労働。

ずっと右の肋骨の下のあたりが痛いと言っていたので、疲れが溜まってるんじゃないかと近所の整体を勧めた。

整体に行くとしばらくは痛みが緩和されるようだったけど、日に日に痛みが強くなっていくようだった。

毎年夏は、長袖の整備服がサウナスーツ状態で汗だくになるので痩せるみたいだったけど、それにしても、かなりげっそりとしてきた。

ある日、整体で、もしかしたら内臓からくる痛みかもしれないから病院で診てもらったら、と勧められ、近くの総合病院で検査をすることになった。

夫が病院に受診する日、私は仕事終わりに不安な気持ちのままかけつけた。

結果、胆のうが破裂寸前ということが分かり即入院。
すい臓の近くの胆のうから延びる胆管を『何か』が圧迫していて、胆のうが破裂寸前とのことだった。

後日、病理検査の結果を知らせるとのことで、夫の両親と夫と、一緒に結果を聞くことになった。

胆管の近くにあるのは、すい臓。。

【すい臓癌】

すぐに頭をよぎった。

すい臓癌が、進行も早く生存率も低い、とてもやっかいな病気ということだけは知っていた。

いや、他の部位かもしれない、とか、胆管癌なのかな?とか、すい臓癌だったら背中が痛いはずだよな、もしかしたら何かの間違いかもしれないとか。
いろんな考えで頭がグルグルしていた。

がん患者の家族は、第二の患者と呼ばれる。

このとき私は大切な人の死への恐怖を前にし、【死の受容】への5段階(否認、怒り、取り引き、抑うつ、受容)で言うところの、【否認】の段階にいた。

※【否認】
・・・死を意識するとき、それが運命として受け入れられず、事実(検査結果など)を何かの間違いだと疑い、否認し、逃避する状態。


後日の病理検査の結果、初期の膵頭部癌(悪性)であることが分かった。

今振り返ると、検査結果をかろうじて聞くことはできたけど、私は混乱と恐怖の中で頭が真っ白、心拍数が上がり、ショック状態。
周りの人たちとも、自分とさえも繋がりを断ち、自分とコンタクトがとれない、分離・分裂した状態にいた。

私は、その時点では潜在意識下で

【どうにもできないことがこの世界にあること】

【どうすることもできない自分】

これらを受け入れることができず、そしてそれを認めてしまうのが嫌で、『大切な人だから私がなんとかしてあげたい。』そんな気持ちが大きくて、自分を見失っていた。

当然そんな、『良かれと思って』というディフェンスの意識からの切羽詰まった必死の行動・発言なので、すべてが空回り。

本当は穏やかな幸せな日々をただ送りたいだけなのに、しょっちゅうケンカし、相手を責め、自分を責め、罪悪感と後悔による負のスパイラル。

【どうにもできない、無力な自分を責める】
これを無意識のうちに選択し続け、良い治療法がないか探してみたり、どうにもできない現実を否認し、死の恐怖から逃げ続けていた。

闘病中に生まれた息子は、私たち家族を笑顔にし、癒やしてくれた。息子がいてくれたからこそ、今日まで前を向いて生きてこれたし、本当に、子どもはギフトだなぁと心から思う。


辛い闘病の末、徐々に腹水が溜まり、病院で最後の日を迎えた。
いつも、一人でストレッチしたり頑張っていたよって、看護師さんが教えてくれた。

本当に最後まで、精一杯生きてくれたんだなぁ。

夫が亡くなると、次にやってきたのは、【怒り(死の受容への5段階)】の段階だった。

※【怒り】
・・・『死』を否定できない事実としては認識したが、『ではなぜ自分がこんな境遇になってしまうのか』という思いが強く、周囲の人に八つ当たりしたり、怒りが込み上げてきたりする。


夫に対し、『子どもを残して、なんで死んでしまうんだ!』とか。
慰めてくれる家族や友達にさえも、『どうせ私の気持ちなんて分からない!』と。

客観的に見ると自分でもとても理不尽に感じるけど、辛い状況の中で、プライドや怖れ、身勝手さから自分を孤独に追いやり、周りにある沢山の優しさを自分の内側で拒絶し、怒りの矛先を外側に向けていた。

そしてそれを表現することさえできず、せめて子どもの前では笑顔でいたいと、自分の中に硬い殻を作って感情を封印し、無意識に自分で自分を追いつめていた。

夫の死後に発症した潰瘍性大腸炎。
これは自分が自分を責めることで余計に酷くなる病気で、【自分責め】がいかに体に悪影響を与えるのか。

また、【断腸の思い】という言葉があるけど、悲しみは腸と関係があるんだなぁと、自分で体験してみて、純粋に、人間の心と身体って面白く、とても興味深いなぁと感じる。

そして、私が沢山の気持ちをブロックしていた代わりに身体がそれを受け止め、支え、教えてくれていたんだなぁと。

自分の身体への感謝とともに、ヒーラーさんのサポートを受けながらセッションを重ね、当時の自分と一つ一つ向き合い、沢山の真実に気づき、本当の感情にも降りていけたことで、自分の中で大きくスペースができてとても気持ちが楽になった。

また、メディカルヒーリングにより現実に起こった出来事に紐づく子どもの頃のさまざまな誤解(傷の場所)も思い出し、一つ一つ向き合ってサポートの中で浄化してきた。

その中の一つをご紹介したい。

5~6才くらいの頃、母が犬に噛まれたのが原因で体に菌が周り、入院した。

私は、何が何だか分からない不安なまま、いつもは母と一緒に寝たりくっついて過ごしていたのに、父や祖父母と過ごすことになった。

あの時けっこう生死に関わるくらい母は危険な状態だった、というのを後から聞いて、癌告知の時と同じようなショックを受けたように思う。

また、小さかったために、母がいない寂しさ、悲しさ、空虚感、心細さなど、いろんな感情を持ちきれず、混乱して泣いた所を、家族に泣くな!とたしなめられたんだと思う。

大人の意識では、この場面では、どうしようもない事だなぁというのも分かる。

ただ、言いたいことを言いたい時に言えなかったんだなぁと気づいた。

そして、この場面で私は

『泣かないでいい子にしてるから、お母さんが早く帰ってきますように』

よく子どもにありがちな神様との【取り引き】をしていた。

※【取り引き】
・・・神や仏、何かにすがったり、善行を行ったり、何かを差し出すことで代わりに奇跡的な何かを得ようと取引する状態。

(もちろん、神様はそんなこと全く望んでなくて、勝手に一人で自分を縛っているだけ)

そしてこの契約は、それに気づくまで潜在意識の中に解除されずにずっとあったことにも驚く。

泣いたりすることや【自分の感情】と【相手に起こること】とは、リンクしていない。別物であること。

ここが意識下でくっついていたので、分け分け。

そして、深呼吸しながら様々な感情が自分の中にあるんだね、を認めて、受け入れて許す。

感じるままに、ノージャッジで感じていい。

色んな感情があってあたりまえで、よく頑張ったねって自分に愛を向け、相手にも愛を向ける。

どうにもできないことがこの世界にはある、を許す。
これは諦めではなく、ただ受け入れる。

私だけじゃなく、どんな人にも『どうにもできない事がある』ということを、ただただ受け入れる。

私は、自分はダメだと自分責めに入るとき、相手との繋がりも切れるし、自分ともコンタクトが取れない状態になっていた。

でも自分だけは、そこで食い止まって、自分との繋がりを切らない。

【私は私のそばに、いつもいるよ】

【どんな感情が湧いても、自分だけは自分のそばにいるよ】

感情を自分の中にぐっと抑え込みがちだったけど、沢山の学びを通して、湧いた感情を、例えそれがローワーセルフであったとしても少しずつ、出してあげることができるようになってきた。

人は沢山の傷をかかえて、だけど愛し愛されたいがために自分自身を理想像(マスク)で飾ろうとする。
私は自分を含めたその、人間の愚かさ、醜さ、そして自由さも、その不器用さゆえに愛おしく感じる。

【辛い時は一人で絶えず、周りの人にサポートを求める。】

【出来た自分をほめる。】

【人に甘えてもいい。】

そして、やはり、今、何を感じているか?

【思考ではなく、感覚の所にいること】

これが自然にできるようになっていくこと。
そして、まずは自分へ愛を向けること。

ケンカもいっぱいしたけど、ただ生きていてくれるだけで良かったんだなぁ。

生きていること自体が、とても尊いことであることを教えてもらった。
また、すい臓は『楽しさ』や『喜び』を感じる臓器と言われている。彼が、それを体現し見せてくれたんだね、と言ってもらった時、涙があふれた。

自分の真実の場所で、楽しいことやワクワクする体験に開き、そしてまた忍耐強く、自分の内側で愛の場所にいること。
愛を与え愛を受け取とるを自分に許可してあげること。

日々、ヒーラーさんやカウンセラーさん、先生や先輩方に沢山のことを学び気づかせて頂いて、自分自身への気づきが深まっていっている。

今は、潰瘍性大腸炎はほとんど落ち着き、寛解に近い所まできている。
そして、少し前までは全く考えられなかった事だけど、パートナーにも出逢うことができた。
これは本当に、傷を癒してきた祝福なのかなぁと思う。

そして、心の中は今、死の受容の5段階でいうと、【抑うつ】と【受容】を行ったり来たりしている。

(死の受容の5段階は、人によって必ずしも順番通りに起こるものでもなく、また行ったりきたり、繰り返したりする)

※【抑うつ】
・・・否認・怒り・取り引きの段階を経てそれらが無駄であり死は逃れられないものと悟り、あきらめや悲観、むなしさ、憂うつ、絶望、絶対的な悲しみといった気持ちが支配して、落ち込み、何も手につかない状態となる。

※【受容】
・・・死を、誰にでも訪れる自然なものとして受け入れるようになる。これまでの価値観や視野とは異なる次元があることを理解し、心に安らぎを得る。


今、自分の中に感じている、狂気や悲しさ、憤り。
その解放できていない感情たちを、サポートとともに、自分の内側で真に感じて解放できた時、どんな景色が見れるだろう。

何かが大きく変わるわけではないかもしれないけど、でもきっとまたそこには祝福と、沢山の新しい体験、喜びが待っているだろう。


自分のことを俯瞰して見てみると、いろんな面でとても未熟だし子どもだなぁと感じる。

だけど、そんな自分だからこそできること、今の自分にしかできない事が沢山あるように思い、その自己受容の意識にふっと入った瞬間、幸せを感じた。

今、私が感じる世界が、だんだんと色鮮やかに変わってきていて、沢山の彩りに包まれている。

幸せってこういうことなんだな。

それに気づくことができて、沢山の辛い経験がそれ自体、明るい未来に繋がるプロセスであり、ギフトだったのかもしれないと感じる。
宝物は、すぐそばに散らばっていたんだな。

私自身の体験から、グリーフケアというのは、とても時間がかかるものなんだなと感じる。

でも、時間はかかるけど、癒していけるんだということ、そして手を伸ばせばすぐ、その温かなサポートがあり、癒した先には沢山の祝福があるということを知ってもらえたらなと思う。

宇宙万物は生成発展している。

希望を持ち、これからも自分を光の方向へと日々アップデートし、自分のために学びを続けていく。

そして私を暗闇からすくい上げて下さった方々のように、私もこれから、ヒーラーやカウンセラーとして、自分の体験を伝え、光の道筋を作り、波及させ癒しを加速させていきたい。

大切な人を亡くした方へ
愛を込めて。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : HITメディカルヒーリング
どんな職種・お仕事をされていますか? : フォトグラファー、カウンセラー
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 山本美穂子さん、山本尚美さん、柴田真奈美さん




【エントリー75】
猪越 恵子(いのこし けいこ)

作品タイトル : 寄り添う事の大切さ

エピソード
私は看護師をしている。患者や患者家族は病気やケガにより非日常の生活を送る事となる。それに合わせて恐怖や不安は必然的につきまとう。そういった患者や患者家族に寄り添えるような看護を心掛けてきた。そんな私が日々のストレスにより『適応障害』になってしまった。
適応障害という病気はどういう症状が出るなど簡単には分かってはいたものの実際になってしまうと次々と襲ってくる症状に大変困惑した。身体に鉛をつけているかのような激しい倦怠感、焦燥感、苛立ちなどのあらゆる感情がコントロールできなくなり『消えてしまいたい』と思う毎日。外に出れば当たり前のように繰り広げられる日常風景が広がっている。仕事に急ぐ人、学校へ通う子供達、にこやかに散歩を楽しむ人達。何もかもが眩しく見え、余計と自分の価値が見出だせなくなった。仕事をしている頃はあんなに『仕事休みたい』と文句ばかり言っていたのに。休職という休みを手に入れて幸せなはずなのに幸せと感じれず仕事に戻りたいと願っている。人間とは欲な生き物だ。そんな私を支えてくれたのは他ならぬ家族だった。何も言わず抱き締めてくれる、うんうんときいてくれる。時には一緒に泣いてくれる。それだけで心がふわっと軽くなる。1人じゃないんだと強くなれる。そう、『寄り添う』とはこれなんだと感じた。答えが欲しい訳じゃない。業務的な傾聴は求めていない。蛇の道は蛇。だから当事者の気持ちが分かる訳がない。でも分かろうとする気持ちで傍に寄り添ってくれるだけで充分。気の効いた言葉や答えは必要ない。ただ同じ目線で同じ空間、時間を共に過ごしてくれるだけでいいのだ。それがどれだけの安心感や心強さを与えてくれるのか。まるで魔法にも似ているのだ。
気分が塞ぎ込んでいる時は人にも会いたくなくなってしまう。自分自身が状況を受け入れられていない時に他人に相談するのはハードルが高い。体裁を気にし、プライドが邪魔をするからだろう。少しでもおかしいなと感じたら理由は聞かずそっと寄り添ってみてあげてほしい。ただ同じ空間、時間を共に過ごしてあげるだけ。心の縛りがほどけてきたら自然と話し始めるでしょう。それは支離滅裂であったり聞くには辛いほどの暗い感情かもしれません。でも吐き出させてあげあてほしい。それが寄り添う事だと思う。
この経験は私にとってよい学びとなった。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 家族、主治医、同僚
どんな職種・お仕事をされていますか? : 看護師
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー76】
田口 とも(たぐち とも)

作品タイトル : たった10時間の寄り添い

エピソード
私が彼と言葉を交わしたのは、10時間のみ。
10時間なんて、半日にも満たない。
それでも彼は、「先生が寄り添ってくれて、救われた」という。

私たちはいつも、ある拘置所の面会室で顔を合わせた。
彼は、身近な他者を殺めてしまい、逮捕、勾留中の身だった。
犯行自体は認めているものの、反省や後悔の姿勢を見せない彼の問題性を感じた担当弁護士より「ちょっと話を聞いてあげてほしい」との依頼があり、面会する運びとなった。
許されたのは、1回1時間。数ヶ月に渡り10回の実施、合計10時間。


私は仕事柄、警察署や拘置所で被疑者・被告人と面会することには慣れている。
それでも、彼との初めての面会に向かう私は、鼓動の速さを自覚していた。
事前に弁護士から渡された大量の事件資料に目を通すうち、「怖い」という感覚を抱いていたからだ。残忍な事件を起こすような人となりが怖いという意味ではない。普通の人が普通でいられなくなったストーリーを目の当たりにすることに、恐怖を感じた。


初めて会った時の彼の目は、鋭かった。
きっと私も同様に、穏やかな目ではなかっただろう。「ちょっと話を聞きに行く」目的のはずが、緊張に満ちていた。

ゆっくり、ぽつぽつと話をして、いくらか時間が経った頃、気づくと私も彼も涙を流していた。面会室に、静かな悲しみがじんわりと広がっていく。

彼はどこか強がったような発言をしがちだった。鋭い目で憎しみを剥き出しにしながら、その奥深くには、胸を締め付けられるほどの「寂しい」というメッセージがあるように感じられた。
「寂しい、苦しい」と言えず「寂しくない、苦しくない」と思い込もうとして、気性は荒れ、言動も粗暴になっていく。普通だった彼が普通でいられなくなった過程には、果てしなく寂しさが漂っている。だから、泣いていた。

そんな彼に私ができることは限られている。改めて資料を読み込み、犯行現場となった地へ足を運び、私は考えた。特別なことや権威的なことではなく、基本的だけど大事なことに辿り着く。私がすべきは、寂しさを吐露しても大丈夫な相手だと思ってもらうこと。強がる必要のない相手だと思ってもらうこと。

この思いを胸に2回、3回・・・と面会を重ねた。
彼は「もう鎧を脱いでもいいかな」と、私の前で武装をやめた。
「恨みの気持ちも嘘ではないけど、寂しかったという表現の方が合ってる」と、奥深くに隠し続けた気持ちを、そっと取り出せるようになった。
そして何より、被害者・ご遺族に対する謝罪の念も、自然と湧いてくるだけでなく、それを丁寧に言葉にしたり、どうしようもなく苦しみ続けたりした。


約20年間の服役を前に、彼は「そこにある救いの手に気づけなかったのは、自分が強がっていたからだ」と振り返り、「寄り添ってくれる存在がいることを教えてくれて、ありがとう」と深々と頭を下げた。頰をつたう涙に、嘘はない。

私は、このあたりで任務完了。

「寄り添う」なんて言うのは簡単だけれど、どう振る舞うことを意味するのか、正解は分からない。でも、たった10時間、どんなに小さな心の動きも大切に過ごすことで、彼に「救い」のきっかけを渡せたのなら、私も救われる思いだ。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : カウンセリング
どんな職種・お仕事をされていますか? : 臨床心理士・公認心理師
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー77】
鎌野 真理子(かまの まりこ)

作品タイトル : 時間を超える親子の絆

エピソード
今から8年前、私が看護師3年目の時のお話。

消化器疾患、手術目的で入院となった70代の女性Aさん。認知症があり、施設入所中。入院時、施設スタッフが車椅子で連れてきた。
私が初めてご家族にお会いしたのは、手術説明の日。長女Bさん(40代)とBさんの娘(中学生)の2人で来院。来院するなり、先生との面談をし、同意書の記入や入院手続きなど必要なことを終えた。「面会されますか?」と問うと、少し戸惑い『...結構です』と言い、帰って行った。その様子に、私は少し疑問があった。

70代のAさんは、かなりの認知症で短期記憶がとても乏しく、日常生活も見守りが必要、会話も成立しない状態。ただ、他の患者の元にお見舞いに来た子供や、若めの看護師を見ると微笑み、持参している絵本を読み聞かせようとする姿が見られた。施設スタッフからのサマリーに、職歴には教師45年と書かれていた。ご本人にお仕事の話を聞くと、同一人物と思えないほど、スムーズに話し始めた。お話を聞いてる途中、突然、『Aちゃんは帰ってきた?』と私に尋ねてきました。『Aさんは今日はお仕事に行っていると思いますよ』と伝えると、『良かった。Aちゃんは私の自慢の娘よ』と笑い、また絵本を読み始めた。絵本の背表紙にAさんの名前がひらがなで書かれていた。

手術当日、Bさんは来院し、談話室で待機していた。入室したことを伝えにいくと『ありがとうございます』と小さく答えた。
手術が無事に終わり、Bさんに声をかけると、『そうですか。』と言い、そのまま帰ろうとする。会わないんですか?と聞くと、『はい.....私、母が母に思えないんです。』と返答がきた。
話を聞くと、15年前、Bさんが妊娠したとき、Aさんと喧嘩をして家を出た。それからAさんは一人で暮らし、会うこともなく過ごしていた。5年前、市から連絡を受けて久しぶりにAさんに会った時、AさんはBさんのことが分からず、人が変わったようになってしまっていた。それから怖くて会えなかったと。

「今はまだ眠っているので、お顔だけでも見ていきませんか?」と聞いてみた。
すると、少し悩んで『それなら...』と。
私はBさんと一緒に病室へ行った。ベッドの足元で立っているBさんに、Aさんの絵本を見せた。Aさんが何度もこの絵本を読んでくれること、Bさんの名前をよく出すことを伝えた。Bさんは驚いた顔をして、涙を流した。『ごめんね』と言いながらAさんに近寄り、Aさんの手を握り、ベッドの側に座り込んだ。

Bさんは認知症になった母を受け止められていなかったのだ。だから会うことに躊躇い、戸惑いがあったのだ...

温かい気持ちになり、私は退室した。
Aさんの病室からBさんが出てきたので、声をかけた。そして少し時間をいただき、2人でお話をした。
その中で、私は認知症について説明した。人格が変わってしまったようになるのも、色々なことを忘れてしまうのも病気によるもの。断片的ではあっても覚えていることもあるし、感情もあることを伝えた。Bさんは涙を流しながら、とても興味深そうに話を聞いてくれた。
『私は母にひどいことをしていたんですね。でも今日、久しぶりに母の眠った顔を見て、手を握って、私の母だとわかりました。...当たり前ですよね』とはにかんでいた。

翌日、Bさんは娘(Aさんの孫)も連れてお見舞いにきた。病室に入り、ベッドに横になっているAさんに声をかける。AさんはすぐにBさんの声に反応し起き上がり、『Bちゃん..?』と言った。しかし、手を伸ばしたのはBさんの娘さん。『Bちゃん、学校はどうだった?』と優しい声で話しかけている。Bさんの娘さんはBさんの方を見て、少し戸惑っていた。Bさんは泣きながら、『お母さん、Bは私だよ。もう40過ぎの大人になったよ。この子は私の娘、お母さんの孫だよ』と言った。Aさんは目を丸くして、『あなた、お母さんになったの?いつの間に!あなたによく似てるいい子だね』と言い、孫を抱きしめた。3人とも笑顔になり、Bさんはとても安心した顔をしていた。

それから、ほぼ毎日Bさんがお見舞いにくるようになった。すると、Aさんに信じられない変化がでてきた。
・時間感覚がほぼなく、昼夜逆転気味だったのに、Bさんが面会に来る15時頃になると『そろそろBちゃんが学校から帰ってくるね』と言うようになった
・ご飯に何を食べたなどの短期記憶ができるようになった(長谷川式の点数も上がった)
・ADLが車椅子移乗軽介助から、付き添い歩行ができるようになった
その変化は、退院調整のために来院した施設スタッフも驚くほどだった。

Aさんの退院日、施設スタッフと共にBさんもお迎えに来た。Bさんは私に駆け寄り、『本当にありがとうございました。あの時、あなたが話しかけてくれなかったら...寄り添ってくれなかったら...私は今でも母との距離があいたままだった。そのままの状態で母が亡くなるまで過ごすところだった。本当に本当にありがとうございました。』と笑顔で挨拶をしてくれた。手を繋いで退院していく姿はとても微笑ましく、嬉しかった。

この体験により、“入院“という、人生のほんの一部であっても、その人の人生にとっては大切な一部であることを学んだ。その大切な人生に携わらせていただける看護師という仕事の尊さを感じた。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 傾聴、寄り添い
どんな職種・お仕事をされていますか? : 看護師
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー78】
松田 はつみ(まつだ はつみ)

作品タイトル : 閉じ込められた世界に差した光

エピソード
思えば、ずっと一人で抱えてきた。
辛い、悲しい、苦しい、もう嫌だ、逃げ出したい。
何もできない自分。
できないのに、それを周りに知られるのが怖くて、認めたくなくて。

結婚して18年が経過した。入籍する時にはすでに主人はうつ病を患っていた。
毎日繰り返される「どうしたらいい?」「助けて」「怖いよ」「死にたい」の言葉たち。
当時の私は、このままでは主人が死んでしまう。何とか私が支えていかなければならない、そう強く感じていた。
しかし、主人からどうしたらいい?と懇願されても、どのように言ったら、主人にとって正解なのか?そんなことばかり考えていて、主人の気持ちに応えることができなかったのである。
幸い、信頼できる精神科医の先生やカウンセラーとの出会いにより、主人の病状は回復していった。
そして、ここ数年は「頼りにしてたのに、何もしてくれなかった。支えになってくれなかった。」「あんなに相談してたのに、全然答えてくれなかった。ずっと無視されてた。ずっと淋しい思いをしていた。」と、当時の私に対する非難の言葉を言われることになった。
私は自分にできることを精一杯してきただけなのに、やってきたことは何も見てもらえず、できなかったことばかりを指摘されて、私のしてきたことは何だったのだろうと、全てを否定された気持ちになっていった。
そのような関係の中、私自身の問題が大きくなり、主人に言いたい事が言えず、関係性がさらに悪化していった。カウンセリングも受けたが、どうしても幼少期の親との対決で納得できない部分があり、自分の深部まで届く事ができなかった。
一方、主人は自分の状態を良いものにするために、日々考え、見聞を広め成長を望み、チャレンジし続けていった。そこで出会ったのが、キャラクトロジー心理学である。

毎日、暗い顔で全く成長しない私を見かね、主人の計らいで、公開カウンセリングでAさんのサポートを受ける事になった。相談していくうちに、話をする私を真っ正面から、そのまま受け入れられている感覚になっていった。
「ずっと一人で、今まで誰にも気持ちをわかってもらえなかったのを感じました。」
ゆっくりと、丁寧に私の心の奥に届くその声が、私の辛く悲しい部分に触れているのに気づき、一緒に感じてもらっていると体感した。
「心に空気を送って、深く呼吸して、心をただ感じて」
初めて、癒されるとはどういう事なのか、身を以て感じる事ができたのである。
自分を愛するということ。ただ、ひたすらに自分を愛して、癒していく。
誰かに自分のことをわかってもらえたという感覚が、今も胸に暖かくしっかりと残っている。

Aさんと2回目の話をする機会を与えてもらった。
Aさんの言葉や声は、私を小さな子供の情景まで運んでくれた。
そこで気付いたのは、私はやはりわかってもらいたかったのである。
幼少期にこれはダメ、あれはダメ、閉ざされた世界の中で生きてきて、自分の思いを話すことを諦めていた。本当は自分の話を聞いて、わかってもらいたかったのに。
「大好きなお母さんに自分のことをわかってもらいたかったんだね。」
涙があふれ出た。
ずっと、違うと思っていた。きっと、傷つくのが怖くて見ないようにしていたのだと思う。何かを言うことで否定されて傷ついた体験があるから、今も反論されるのが怖いと思い、主人を目の前にすると、頭が真っ白になったり、言葉も出てこない。
そんな現象が、自分の中で起きていたことに気付き、どんどんハートが熱くなっていった。

その後、別のヒーラーの方ともセッションをして頂き、まだまだ入り口を踏み出したにすぎないが、自分に何が起きているのか、どうしてそのような感情になるのか、何故そのように考えてしまうのか、心の深部を探している最中である。
その中で、今までだったら、主人の表面上の言葉ばかり受け取っていたことも、ハートで動く部分に耳を傾ける事ができ、主人の心の痛みに触れる事ができた。

本当に、自分を癒していくのは難しい。
癒していくより速いスピードで、反応する出来事に直面してしまう。
しかし、Aさんに導かれてたどり着いた、心から安心できた場所に行き続けたい。そう願い、今日も自分を愛していくのである。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : ヒーラーさんの心からの寄り添い
どんな職種・お仕事をされていますか? : 介護福祉士・病院勤務
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 山本美穂子先生




【エントリー79】

藤井 由美(ふじい ゆみ)

作品タイトル : こころのレスキュー

エピソード
私がキャラクトロジー心理学に出会ったのは5年ぐらい前でした。当時、自分の人生が自分の思う様に上手くいかず悩んでいました。でもどうすればいいかわからず止まっている状態でした。キャラクトロジー心理学を知って、これを学びたいと思いました。けれども、なかなか講座を受ける事が出来ませんでした。今、思えばオーラルが強く、出来ない、無理私には出来ない、お金が無い、ないないだらけのオーラル、オーラルラル子ちゃんだったからです。結局、講座を受けるまで5年近くかかってしまいました^_^。そして一番苦しくなっていったのは、母が亡くなった事でした。母が亡くなって傷が噴き出していく様にどんどん現実が大変な事になっていきました。このままではダメだと思いヒーリングを受けながら1day講座を受けました。すると、少し落ち着きはじめました。知識を入れる事によって自分に何がおきているのか、何をしているのか、そしてどうすれば良いのかという事がわかっていきました。その間、本当にマスターさん、ヒーラーさんがサポートと癒しを与えて下さった事がありがたかったです。それがなかったら自分はどうなっていたかと思います。そして、さらに子育て、恋愛キャラクトロジーを学び、私の周りはとても変化していきました。家族の関係性が変わりました。私の現実がとても緩やかに、穏やかに変わっていきました。子供の頃の誤解の傷から色んな反応が起きていたのが、癒す事によってエッセンスを思い出しハイヤーセルフを選択する様になりました。そして学んでいく中でグランドマスターさんに出会い、色んな知識やサポートを受ける事になった事がとても大きな学びと前進につながりました。ありがとうございました 今も母の事を思い出します、会いたいなと思います、でも苦しかった頃は不安で寂しく辛いばかりでしたが、今は母の事を思うとただ愛おしく、懐かしい思い出と母が私にくれた愛と思い出に感謝する思いです。母が亡くなる前私に、あなたはこういう人を癒す仕事が向いているから学びなさいと言っていました。母が私の背中をおしてチャンスを与えてくれている様に思います。そして、このキャラクトロジー心理学を生み出して下さった山本美穂子さんに感謝します。美穂子さんありがとう??キャラクトロジー心理学を学んでいるととても、ワクワクして楽しい気持ちになります??まだ、これから私の旅は続くと思います、自分の中でさらに学びたい、進みたい思いがあります。また、立ち止まりそうになりながらも進む事を諦めたくない諦めないラル子です

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : ヒーリング、カウンセリング、講座。
どんな職種・お仕事をされていますか? : 主婦
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 吉田美穂さん、大野智子さん、




【エントリー80】
上野 雅恵(うえの まさえ)

作品タイトル : 学び癒し続ける

エピソード
 キャラクトロジー心理学を学び出したのは、3年前の事でした。
当時は中学生になる子どもが不登校になり、「もう母親として失格。 私の人生失敗だわ。」と自分を責めて途方に暮れていました。
 しかし、落ち込んでいては現実は何も変わらない。 どうにかしなきゃいけない。 実家の母に何か言われるのは困った事だ。 と焦っていたところ以前からネイリストの彼女がネイル中に「学ぶとイイよ。」と言ってた言葉を思い出しました。 
 何だか胡散臭い気がするけどやらないよりはマシ。 だから学んでみるか。
 こんな疑心暗鬼な気持ちから学びをスタートしました。
 元々、リジットの強い私は思考グルグル、感情を感じれない私に彼女はベーシックからではなく
 恋愛キャラクトロジーと子育てキャラクトロジーを先に学ぶ様に勧めてきました。
 学ぶと決めてからは彼女を信頼して委ねようと思っていたので 先に 子育て、恋愛の1dayから学びました。 そして、ベーシックではなく次に恋愛と子育てのマスターに進み、インナーマインドマップをより理解し、更にはCCTのスキルを身につける事によって 自分で癒す術を習得させてくれました。
 このマスターの学びの間にベーシック1dayを学んだので、ヒーリングマップやディフェンスシステムがスムーズに理解出来ました。

 そうやって、学びが進んだ事で 私が家族に対してマゾキスト全開の甲斐甲斐しくお世話をする事をやめる事が出来たので無事に子どもが不登校を解消して高校進学をしました。

 本来の目的だった問題を解消する事が出来たので コレで学びを緩やかにする事も選択肢にありましたが、此処までくるのに一緒に学ぶ仲間が出来、協会では未来育プロジェクトの活動が始まっていたので 先生の提案でこの地域でもNPOの活動を通して 一人でも多くのママさんが癒され、
子育ての不安をなくしていこう! と、動き出しました。 このコミュニティーの中で起こる問題や 日々の家族との問題を SASのスキルを学んだ事と月に一度先生からセッションを受けているので、まだまだある自分の問題を丁寧に紐解き続けています。 最近では、「やろうと決めた事が どうしても前に進めない」エッジを越える事がどうしても出来ない問題も自分でSASで紐解いてみたり、仲間や先生にセッションしてもらう事で
クリアになってきました。
 そして、それぞれのアドバンスを何度も普段から聞いているので ふと自分のいつものパターンに気づく事も出来るようになってきています。
 
 学んで、そして学びや癒しを止めない事で 自分が心の豊かさを持っていて それを感じる事ができる様になりました。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 定期的に行う先生とのカウンセリング
どんな職種・お仕事をされていますか? : 自営の手伝い
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : GraceカウンセラーTomo(大野 智子)さん




【エントリー81】
吉田 美穂(よしだ みほ)

作品タイトル : いやしのみちしるべになりたい

エピソード
いやしのみちしるべになりたい

8年間いじめにあう、前夫の束縛、精神的DV、ギャンブル依存症、アル中予備軍、借金、自己破産、貧乏、離婚、シングルマザー、6歳違いの息子3人、脳腫瘍、脳卒中、心身症、卵巣嚢腫、2度の帝王切開、母親が不倫で家出、親の離婚、自己肯定感0、幼少期の性被害、人間不信、HSP、虐待間際の子育て、PTSD、昼夜問わず働く、、、

これが私の過去です。
書き出すと、ひどい(笑)

もう、何のために生きてるって
子どもが居るから、子どもたちを食べさせるため。
それだけだった。

そうなるよね。
なるなる。

今の私からみても
ひどい状態で、しかも人間不信で
誰も信じてないから
この世に助けなんてない。って信じてた。
相談なんかしたこともない。

いつも死のそばでただイキテタ。

モノクロの世界
ただ毎日朝が来て夜が来る
また朝が来て夜が来る
毎日怒号の中で子育てをしていた。
今思えば、反省と罪悪感しかないが、その時の私には正直食べさせるだけで精一杯だった。
優しさとか思いやりなんて余裕もなく、朝30分夜30分の時間だけしか子どもと関わらないのに
いつもキレてた。
家に帰るのが辛かった。逃げ出したくなることも多かった。

そんな時、出逢ったのがヒーラーのMさんだった。

日本から世界を癒したいというMさんは
私から見ると孤高の人で、Mさんの近くに寄ると
全てを見透かされそうで怖かった。

ある日Mさんのお茶会の終わりに
怖くてさっさと帰ろうとした私は
駐車券の精算を忘れ、バタバタと
香椎のロイヤルホストの入り口の前の精算機に向かうと、Mさんが出てきた。

目があった瞬間私は号泣してしまった。
なぜ自分がこうなるのか?!パニックになった
私は絶対人前で泣かないって決めてるのに
嗚咽が止まらない、、、

「なんで私はこうなってるんですか?!」

Mさんに泣きながら質問した

『あなたのハートがえぐれてるからよ。泣いていいって許可してみて。』

混乱してる私は、言われた通りに
自分に泣いていい。を許可したらピタリと嗚咽は止まった。

不思議で仕方なかった。
そして、ハートがえぐれてる。って
私重症やん、、、

ここから学びと癒しの道が始まった。

初めてプロセスグループに参加した時
私は母親に対して恨みしかなかった。
死んでも葬式には行かないと決めていた。
毎日呪いのように恨んでいた。

プロセスグループで
Mさんから
それだけお母さんを愛してるのね。と言われた時
絶対そんなことはない!物凄い抵抗があった。
長年10年以上恨んできた!なのに!!
愛してるわけがない!!
内側から物凄い怒りが上がってきた

だって、あいつは私や妹、弟を捨てて出て行った!
愛してるわけがない!!!

その激しい怒りをMさんに受け止めてもらった時
本当の自分の気持ちに気づいた

もっと、、、
もっと一緒にいたかった。

もっと
そばにいて欲しかった。

涙が止まらなかった

私は母親に対して
恨んでいた理由は、寂しさや見捨てられた現実に耐えられなかったから
怒りや恨みを持つことで
エネルギー的に母親に絡み
私を忘れてほしくなかったから。

恨むことでしか
私は母親を感じられなかった。

そうだったんだ。
激しい怒りと恨みの奥には
深い愛情と真摯に寄り添うエッセンスがあった。

この日を境に、
私は愛と信頼が感じられるようになった。
人が怖い気持ちも少しほぐれた。
子どもたちに優しくなれた。
怒号の日々が穏やかで優しさに満ちた。

キャラクトロジーRを学びたい
私も誰かの癒しを手伝いたいと思うようになるが
現実的にお金がないから、母子手当が入った時に
キャラクトロジーR?心理学を一つずつ学び
『今度名古屋でマスター講座があるけど来ない?』
とMさんに言われた時、不思議なことに
あんなに貧乏だったのに、受講できるお金があった。

学ぶことと、時々プロセスグループに参加する

Mさんにどんな激しい怒りがある私でも
ジャッジせずに寄り添ってもらった体験から
私も人に寄り添うエッセンスが得られた。

人は誰しも
辛くて苦しい過去がある。

でも、
穏やかで幸せな未来もある。

残酷で悲しい現実もあるが
それ以上に暖かく愛ある世界もある。

Mさんが見たい世界を
私も一緒に叶えたい。

私の子どもたちや孫たち、
未来の子どもたちのために。

そう願い、そして今
それを叶えるために生きてる。

あの日苦しかった私は過去となり
今は毎日平穏の中にいる

必ず、人生は変わる。
私は経験者として
いやしのみちしるべとして
その変容の道を一緒に探求したい。

今苦しみの中にいるあなたに届きますように。


追伸
私と癒しの道を一緒に歩んでくれている
仲間のみんな、
そして、Mさんに心から感謝です。
ありがとうございます。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : プロセスグループ、各種1day、マスター養成講座
どんな職種・お仕事をされていますか? : キャラクトロジーRマスター講師、カウンセラー
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー82】
海山 文美代(うみやま ふみよ)

作品タイトル : これを知らずに死ななくてよかった

エピソード
私は、以前から原因不明の『痛み』に悩むことが、数年に1回ありました。
それは、刺すような痛みで、そのたびに鎮痛剤を飲んでやり過ごしたり、休みを取ってきました。

数年前には、あまりにもひどく、何もできなくなり、病院をはしごしても原因はわからず、最終的にはペインクリニックへ行くこととなり、そこで首にブロック注射を打ち、外科手術の後に服用するような、鎮痛剤を処方されていました。
実際それを服用すると、仕事にも行けず、家事もおろそかに、ほぼベッドで過ごすこととなっていました。
子供に「霊的なものも視野に入れたら?」と言われ、スピリチュアルなところにも相談しました。
でも、その方に言われたのは「あなたは自分に厳しすぎるから、もっと自分を褒めなさい。」と。
私の何がいけないのか、厳しすぎるって?これが普通でしょ…と、その時は思っていました。
時間の経過と、少し自分に甘くした日常の中で、なんとなくその痛みから解放され、いつもの状態に戻り、何もなかったかのように過ごす。

この繰り返しでした。

ある時、自分の人生に疑問を持ち、私はずっとこのままなの?
先の見えない生活、自分が幸せな人生を送っている未来が、全く想像できずに悩んでいました。
6年くらい前でしょうか
そんな時、出会った女性からキャラクトロジー心理学を教えてもらい、半信半疑のまま、少しずつ学び始めました。

よくわからないけれど、学んで「自分を癒す」ということをやれば、私も彼女のようになれるのかな?と、
完全に人生の迷子になっていた私には、彼女の存在が救いでした。

そこから、すごくゆっくりだったけど、学びを深めていろいろなことにチャレンジし始めると、人生が激変したのですが、こんな夢のような現実があるの?ドラマの世界でしか見たことないんだけど?と、言いたくなるようなことが次々と起こります。

そして以前の仕事を手放し、新たな意図のもと、さらに学びを深め、進もうとしているときに、あの「痛み」が再び襲ってきたのです。
ただ、以前は頭痛であったことが多く、たまに脇腹とかだったと記憶していたのですが、今回は胃のあたりでその痛みは左から右へと移動するのですが、「痛み」は同じものでした。
あの刺すような痛み…時間とともに増していく。
ちょうどその時、美穂子先生の講座を受けており、痛みの話をすると、
「サイキックじゃないの?ヒーリング受けたらいいよ」と勧められ、今まで全く縁のないもの、と認識していた、【ヒーリング】という言葉や【サイキックアタック】という言葉を自分の中に取り入れたのです。

「痛み」は眠れないほど酷くなっていきました。

病院で検査をしてもらい、鎮痛剤を処方してもらうも効果はなく、ヒーリングを依頼。
1時間ほど話をしながらヒーリングを受け、終わるころには「痛み」が消えていました。
こんなことってある?こんな衝撃的なことは人の話であったら、ハイハイ…って信じないのが私です。が、それが自分の身に起きたのですから、信じるほかありませんでした。

検査の結果ですが、「腫瘍性膵臓嚢胞」
手術を受けなければならない状態でした。
以下、当時のブログから

2021年4月21日
付き添いの息子に「じゃぁね…」と言って別れ
歩いてオペ室へ…
看護師に誘われるまま…
進むにつれ、身体がどんどん凍り付いていくのがわかった。
オペ台に自分で寝て背中を丸め…
「痛ーい…」
最初の背中のから管を通して麻酔を入れていくヤツ
全身麻酔のマスクってクリアでやわらかくて
キラキラしてる…
きれいだな…

目が覚めると…
この世ってこんな世界があるんだ…
という地獄?
寒くないのに暑いのに…奥歯ガタガタなってる
何が起きてるの?
「ご家族の方が見つかりませーん」
(おいおい息子よ…)
痛い熱い何?
パニック
何が起こっているのか
懸命に理解しようとするも
パニック
ものすごい勢いで私の体が修復に入っている…
細胞1つ1つのエネルギーを感じる…
なんだこれ
身体の神秘に涙が出る。
こんなことができるなんてすごすぎる
私の体…
私が閉じ込めていた感情が流れ始めた…
「怖いよ痛いよ助けて…」
ーーーーーーーーーーーーーー
この苦しみを乗り越えたら幸せになれる…喜びが待ってる
だから耐えるのよ…じっと…耐えるのよ…
騒いだらダメ…静かに…耐えるのよ…

「一人で‥‥」
ーーーーーーーーーーーーーー

なんと
これが私の深いところでずっとささやかれている言葉
感情を感じると、瞬時に奥深くからこの言葉が上がってくる。
と、同時に感情を無くす…
・・・
ダメだ…
目を閉じれば体の修復のエネルギーを感じ
そのスピードと熱で耐えられなくなる…
目を開ければ体内のスピードと三次元のスピードの
ギャップで混乱する…
私は今なぜここにいてこの体験をしているの?
毎日メディカルヒーラーのヒーリングのサポートがある。
そのおかげで、混乱から抜け出し、落ち着いて時を過ごせた。
術後2日間くらい
目を閉じたり開いたりしながら
3次元と5次元を行ったり来たりしていたように思う。
そこでヒーラーたちのエネルギーを感じたり
姿を見たり…

ーーーーーーーーーーーーーー
この苦しみを乗り越えたら幸せになれる…喜びが待ってる
だから耐えるのよ…じっと…耐えるのよ…
騒いだらダメ…静かに…耐えるのよ…

「一人で‥‥」
ーーーーーーーーーーーーーー

感情が上がってくると同時に
この内なる声に翻弄されそうになる。
だけど以前から「サポートを求める」
練習をしていたから
このことを自分に許可していたから
メディチームにサポートを求めた。
そこでまたサポートがあるってこういうこと…
ということを感じ
涙があふれる。
「私は一人じゃない」


以上がブログの内容ですが、6年前に出会った女性に心を救われ、メディカルヒーリングのヒーラーに心身を救われたと私は感じています。
今までの私の人生を振り返ると、新しいことにチャレンジし続けることもなく、「いつもの痛み」で、「かわいそうな私」になって、きっと、膵臓の嚢胞が悪性に変化し、取り返しのつかない人生になっていたと思うのです。
キャラクトロジー心理学を知ることができ、そこから人生が動き始め、コミュニティに属することで、「真に寄り添う」を体験しました。
病気を見つけることができたのも、私自身が「自分を癒す」ということを教えてもらい、「わからない」を「自分の為に動ける私」に、変わっていたからこそ、病院へ行くことの選択ができたのだと言うことと、コミュニティのサポートがあったから踏み込めた手術。検査の時からずっと、メディチームのサポートを受けていました。
コロナ禍での入院、手術は誰のお見舞いもなく、本当に不安で、初めて孤独と怖いを本気で体で感じました。しかし、入院してから退院するまでメディチームのサポートがあり、孤独や苦しみ、痛みとの戦いを乗り越えられたと感じています。
これが事実でなければ、今私は心理学の講師、ヒーラーへの道に歩むことはなかったと思うのです。
タイトルである『これを知らずに、死ななくてよかった』は、このようなサポートがあることを私は半世紀知らなかったし、こんな世界もあるんだということを、知って人生を終えることと、知らないで人生を終えるのとでは、私が生きてきた人生の質が全然違ったな…と感じたので、この世界を知らずに死ななくてよかった、と、退院するときに感じたのです。
心から感謝いたします。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 美穂ちゃんとHITメディカルヒーリング
どんな職種・お仕事をされていますか? : カウンセラー・イベントプランナー
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー83】
公文 小百合(くもん さゆり)

作品タイトル : これが厄年なのか?また?なんで私が?人生なんてうんざりだ。

エピソード
人には、いくつかのパターンがあると思います。
なんで、いつも私はこうなってしまうんだろ?
厄年だから?
また、こうなってしまった…
自分なんて、生きる価値がない。
死んでしまいたい。

本当に苦しくて、辛くて何度もこんな感覚に襲われたことが
何度続けば私は、まともな人間になれるだろう。
と、思っていました。

彼氏・彼女という形に問われていないだけで
いつも側に居てくれる大切な彼に

「私、死にたい…」

と、ぽつり。
どうしても1人では、抱えきれずに込み上げた感情を言いました。

「そんなこと言っちゃダメだよ、そもそも、それ人に言っちゃいけないやつ」

と、指摘されました。

まあ、ごもっとも。

その時の私は、全く余裕がなく瀬戸際まで来ていました。

これが2021.2。

新年早々、仕事も決まり、とても良い場所だったので続けたいと思考で考えていました。

それとは裏腹に
体と心は全く追い付いていなく、
仕事は休む・遅れる・仕事が溜まる・周りの人の目が気になる・怖い・ふらつき・吐き気など。

日常生活でも色々支障が出てきて
ご飯が食べられない、家事をする気もない、買い物に行くだけでめまい、吐き気、誰かに見られて悪口や変な人と思われていないかという何の根拠もない恐怖感・不安感。

結果、仕事を辞めることに。

今考えると、去年から少しずつ症状は出てきていたんですが心療内科に行くことに抵抗があり、行きませんでした。

話を聞いてもらえそうな人に狙いを定めて、話を聞いて?お世話して?に完全に入り込んでいた。

そうしていると、私の周りから人が離れていって気づいた時には誰も相手してくれず。

あーやっぱり私は誰にも必要とされていなくて
私の存在は邪魔で要らないものなんだ。
と、落ち込んで。

でも、
私が死ぬことも無責任だよね。
私の事情で子供の環境を何度も変えてきて、
これ以上、私に振り回される家族・大切な人のことを考えると…の葛藤の日々でした。

沢山葛藤した結論が、私に問題があるなと思い病院に予約をして受診。

そこから、少しずつ何かが変わり始めたのかなと思います。

友人を通して出会ったシングルマザーの方がいました。
インスタグラムで毎日、明るい発信をされていて話を一度してみたいなと思っていました。

その思いを伝えると、すぐにいいよと返事があり長ーーーい電話をしました。

そこから、定期的に話を聞いてくれて私が気になっているアプリの話をしました。

招待制じゃないと入れなかったので、よければ招待してもらえないかと言ったら快く教えていてもらい

2021.3 クラブハウスに登録できました。

そこから、知らない人と話するのも怖いし、でも気になるなーなんて思いながら時々
開く程度で使っていなかったのですが、紹介してくれた方から、ある日連絡が。

『今、クラブハウスでトラウマに特化した心理学で私も学んでいて、無料で見てくれたりしてるみたいだから。
もし、本当にしんどかったら連絡とってみてもいいかも。クラブハウスのキャラクトロジーのルーム聞いてるけどいつも泣くー
でも、心軽くなるよ』

この連絡がきっかけで私はキャラクトロジー心理学を知りました。

言われるままに、聞いていましたが初めは全然分からず。
なんとなーく聞きながら寝てしまいが続いていました。

彼女が寄り添ってくれ、背中を押してくれ無料カウンセリングを受けさせていただき、
車の中で受けめちゃくちゃ泣いたのを今でも思い出します。

「幼少期、私が育った環境がハードな育ちだったこと、時間はかかるけれど少しずつしていきましょう。」

と言ってくれた言葉がペダルを踏むきっかけになりました。

1回で勿論変わることはなく、眠れない日々も続いていたので携帯を見ている夜。
ポンッと何か通知が来てポチッと押したら、キャラクトロジー心理学を学ばれている方々の雑談部屋に入りました。

ノリもよくて楽しそうーいいなぁー
と初めは聞きに入っていました。
聞きたいことがあり、きっかけで手を挙げてその夜遅くまで沢山話を聞いていただきました。
そこで、色んな人生体験をされている方の話を聞かさせて頂き
自分だけが苦しくて失敗ばかりで、人生最悪だなんて考えていたのが
明るく向かうことも出来るんだなと希望が持てました。

踏み始めたペダルが、さらに少しずつスムーズに動き始めました。

そこから、毎日ラジオのように聞いたり相談させてもらったり。
読書が苦手な私が、本を買い読み切ったりと今までとは違う変化が少しずつありました。

特に困っていたことが、人間関係と子育てです。
ここで私の実体験で変化があったノンフィクションストーリーを紹介したいと思います。

〈子育ての変化〉
・子供が一週間の7分の6の割合でかんしゃくを起こす(朝・夜)
・ネガティブなぐるぐるに入ると3時間以上泣く
・言っても伝わらない
・怒っても、すぐ忘れて何度も同じ繰り返し
・寝る直前に愚痴を言い始め喧嘩
・息子の不登校
・息子のアレルギー悪化
・息子の心身症
・愛している子供達なのに気持ちが悪い
・子供に触れられることに抵抗がある

上に並べたのは私が毎日の生活で感じていたことです。

子供たちに怒鳴る、叩くなど自分の感情が止められず
私が暴れるを繰り返していました。
そうすると、さらに悪化・警察に通報されるんじゃないかと不安になることも多々ありました。

シングルマザーだとよく実の両親に見てもらう事ありがちな話ですが、実母は世間一般でいうところの毒親でした。
孫にも平気で暴言など、子供が知らなくていい事もお構いなく実母の感情的反応を撒き散らしていました。料理が苦手なことは理解はしていましたが、子供たちが家に帰ってくるとご飯食べさしてもらったのかな?というくらい大食いしたり、そんな様子を見て安心して預けられると言う事はほぼなく。

知人に子守りしてもらい頂きながら夜の仕事をしていました。
その預け先で娘が〝性被害〟にあいました。
この出来事があってから安心して預けられる場所がなく。
周りからの理解も得られずどんどん預け先も狭まっていきました。
仕事を辞めるわけにはいかなかったので、仕事の日数を減らしたり
あの手この手で続けました。

小学・低学年が終わった頃から子供たちに
事情を説明して、まだ小さい2人を留守番させて仕事に行き、収入を増やすこと・仕事という正当な理由をつけて
子育てから逃げたい色んな感情を混合させながら生活していました。

今、思えばネグレクトです。
私の都合で、不安や恐怖にさせていました。

ある日、家庭の中で事件が起こりました。

じりじり、お金は無くなっていくことに困った私は久しぶりに夜の仕事に行く段取りをして出かけました。

外出して15~20分後
息子から泣きながら電話が。

「ガラスが割れた・・・泣」

ええーーー!!!ってなり。
急いで帰宅。

家に帰ると息子の言う通りガラスの破片が散らばっていました。

きっかけは、些細な事でした。
世間一般的に姉弟喧嘩です。
娘がカッとなり息子に向かって投げて割れたんですが、その投げた物がとても危険なものでした。

正直、その物がもう少し子供らしい物だったらとか
私が夫婦喧嘩を見せてきてしまったからなど自分を責めました。

でも、思考で考えても、娘が怖くなり耐えられず児童相談所へ電話をして話を聞いてもらい
それから数週間生活を送りました。
ですが現状が変わることがなく
どうしたら1番子供も傷つかず安心に居られるだろう?
子供を連れて地元に帰ってきてから数年経って、よくならない状況。
職業訓練も、子供の体調不良が度重なり単位が危うくなって全然思うようにできない。
自分が家庭内暴力を受けながら育ったからなのか、絶対親とは同じになりたくない!!
そう思って子育てしながら年齢を重ねてきたはずなのに悲しいくらいに同じような光景に。
若さゆえ大人になり切れず親になったばかりに子供に苦労させてるなぁ。
いっそ、死んでしまおうか。いやいや、死んだほうが迷惑だよな。無責任すぎるよな。
じゃ、どうしよう?
また、同じ繰り返しが起きたら児童相談所に電話して預かってもらおう。
と、決意。
確かこれを考えていたのが日曜日の夜。

そして月曜日。
娘がひょんなことで、かんしゃく大泣き大暴れ。学校に行かない。
私も泣いた。
あーどうしてこうなちゃうかなーって。
娘が落ち着いてから、車で送り届けた学校まで。
私は車を降りる娘に

「ごめんね。ママが出来ないばかりに。だけど、何があっても愛しているし娘のこと。大好きだってことだけは忘れないで」

と伝えて家に帰ってきて、もう1度よく考え預かってもらうことに。

約2ヶ月。
相談員さんと子供含め話し合い計画を立て帰ってきてくれた喜びがあるのに距離を開けても、そんなに変われなかったのです。
表面的で思考的だったからです。
あと、子供を育てることにわからないが沢山でした。私に体験が少なすぎました。


キャラクトロジー心理学に出会うまでの私の中で小さい価値観でした。

無料カウンセリングを受けさせてもらったり、
モニターでヒーリングを受けさせてもらったり、
子供が泣いてどうしようもない時に
アドバイス頂きながら寄り添ってもらい、
自分に戻り、戻してもらい続けました。
私たち家族をホールドして頂きました。

プロセスワークへの参加も大きな体験・経験になりました。
そこで初めての感覚に私は涙があふれ止まらず
初めて愛の暖かさ、自分が母のお腹にいた時の感覚はこんなふうだったのかなぁ…に触れたような。今も、すぐ鮮明に思い出せます。

クラブハウスで声だけだった方にも抱きしめて頂いたり、握手して頂いたり。
沢山の応援サポートを頂きました。

感謝してもしきれないほど歓喜深い2021。

私の心が穏やかになり、今ここに居る事を許し受け入れ、サレンダーして、生きることを楽しむと決めたら
なんと・・・

〈子供たちの変化〉
1週間 7分の6かんしゃく起こしていた子供がほぼ、かんしゃくを起こさなくなり。
3時間以上泣いていて子供が泣いても数十分で泣き止み。
外に出かけることが怖くて、学校にも行けなかった息子が
自分から学校に行ってみようかなと前進し、
アレルギーが緩やかになり給食も食べれるように。
家で宿題をさせようとしたら、鉛筆もっただけですぐ大泣きしていた息子が
泣かずに勉強に取り組み始めました。

まだ克服できていない課題は山のようにあります。
子供を愛していることには変わりがなく以前より気持ち悪いや
触れられると嫌な気分になることも大分和らぎました。

毒親だと思っていた実母も、ほんのちょっぴりですが丸みを帯びている感じがします。

何より子供と長く一緒にいる時間が増え、表面的な感謝ではなく
心から感謝できるようになったことが嬉しいです。

風の時代と言われている2021。
コロナの影響で家に居ることが多く人と関わりも少ない。
悲しいニュースも沢山あったかと思います。
ですが、SNSが発展している時代、クラブハウスというアプリを作ってくれた人、
沢山の体験談を持った方。同期と言ってくれ一緒にアウトプットや、
その時々の旬な気付きをシェアしてくれサポートしてくれる仲間ができました。

リアルで会っていなくても、本当にいつも側に居てくれて
今日まで、私の話に耳を傾け聞いてくださって
私の話で気づきが得られて前向きになろうと思ってくれた人がいたり
私は生きる、ここに居ていいんだなと感動しています。
大きな大きなネガティブな実を育てていた小さな私を
1人来て、また1人増えどんどん人が増えて
沢山の方の手を借りながら引っこ抜いてもらえた気がします。

少し前までは考えもしなかった自立するための目標ができ、一歩ずつ
私は進んでいます。

この経験を活かし自分を癒し・学び
成長し広がっていき心地の良い世界を作っていきたいです。

届きますように。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 沢山の方のサポートによって癒されました。
どんな職種・お仕事をされていますか? : 福祉サービスを受けながら、個人事業主開業
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー84】
吉澤 聖一(よしざわ せいいち)

作品タイトル : 天涯比隣(てんがいひりん)

エピソード
祖母が倒れた。入院した。
病院は、会社から近かった。
仕事が終わる。
面会に行った。

クリスマスが終わったころ。
病院の玄関や待合室にも、しめ縄や門松が小さく飾られていた。
神さまを迎え入れるための、新しい年の匂いがした。

祖母は認知症を患っていた。
しかし、私が顔を見せると、柔らかで優しい笑顔を向けた。
だが、話すのもつらそうだった。
息がゼイゼイする。
すぐに呼吸が荒くなる。
心臓が弱っていた。
それでも、祖母は体を起こし、頼みがあると、私に言った。
これまでの人生を書いて欲しい。
いつもぼんやり焦点の合わない目をしていた祖母だが、はっきりとそう言ったのだ。

それから会社が終わると、毎晩、病院に行き、祖母の話を聞いた。
認知症という病気の壁は厚く、
祖母は、何度も何度も同じ話を繰り返す。
あれこれ角度を変えて聞いてみるが、なかなか進展しない。

死の足音がひたひたと近づいてくる。
祖母は死神に挑むように、しゃべり続けた。
私も、丁寧にひとつずつ確認し、一行一行、祖母の人生を紙に刻んでゆく。

過去に向きあうのは、祖母にはつらいことだらけだった。

戦争。大空襲。
火だるまとなって橋の上から、たいまつのように落ちてゆく人々。
機銃掃射を受け、頭が砕け、脳みそが飛び散り、顔がスイカのように割れた光景。

これまで祖母から戦争の話を聞いたことは、一切ない。
空襲の中、親にはぐれて泣いている子供がいた。
自分が逃げるだけで精一杯。
その子供を見殺しにしてしまったと、祖母は今も苦しみ続けている。

自分の苦しみは誰からも救ってもらえない。
自分も他の誰かを救うことはできない。

心の中は見えない。
その人にしかわからない痛み、悲しみ、苦しみ。
だが、話を聞いてあげることだけで、祖母の心が優しく癒えていくのが感じられる。

心は不思議だ。
ひとりであっても、澄み切った満月のような安らかな気持ちになることもできる。

天涯(てんがい)とは、とても遠いところ。
比隣(ひりん)は、隣近所という意味。
遠い場所にいても、いつでも心は通っていて、いつも隣にいるような親しい気持ちがあるということ。

死の恐怖や絶望。
その人の悲しみや苦しみに、完全に重なりあうことはできない。
だが、その悲しみや苦しみに寄り添うことで、天涯比隣の感情を呼び起こし、恐怖や絶望を乗り越えられるのではないか。

祖母の話を聞き書きしながら、私はそんなことを思った。
祖母の人生を綴ったエッセイ。
それは、祖母への手紙。

祖母は、私の手紙を抱いたまま静かに逝った。

お別れの日。
呼びかけると、酸素マスクの中で祖母の唇がぱくぱくと動いた。
若い看護婦さんが手を握ってあげて下さい、と言って病室から出た。
意味が分からず、私は祖母の手を握った。
久しぶりに握る祖母の手は、枯れ木のように細く、干からびていた。
すまない、と思った。
こんなになるまで、祖母の手を握ったことがなかった。
幼いころ、遊園地や動物園にたくさん連れて行ってもらったことを思い出した。
「ありがとう、おばあちゃん」

祖母は話すこともできず、目を開けることもできない。
祖母は遠い場所にいる。
しかし、祖母の心の波長が感じられ、すぐそばにいるように感じられた。

「おばあちゃん」
もう一度、呼びかけたが、もう祖母の唇が動くことはなかった。

苦しみの表情はなかった。
ろうそくの炎がすっと消えたように、本当に安らかな顔だった。
祖母は生涯を浄化し、静かに昇天した。

祖母の手は、まだ温かく、安らかに永眠した。
死を悲しみだけでなく、もっと前向きに考えられるようになった。
老いや死は避けることはできない。
だが、心からの幸福を感じることができれば、
充実した仕事をした後のように、
静かに安らかに、眠ることができる。

自分自身の生とも、向きあうようになった。

やりたくもない仕事をさせられ、幸福も喜びも感じられない。
自分が本当にやりたいことは、何だったのか。
自分が死んだとき、自分が生きた証を残せるのだろうか。
「書くこと」で、自分の未来を切り開けるのではないか。

祖母のお通夜の日。
祖母に親しくしてくれた方たちに、祖母のエッセイを渡した。
この世に生きた記録として。
この記録を読むたびに、
祖母は、心の中に蘇り続ける。

祖母の死をきっかけに、
私はその後、サラリーマンを辞めた。
作家になり、ライターになった。
ひとり海外を旅することが多い。
戦場では、見知らぬ人の死を看取ることもある。
その時は手を握る。
私が死ぬとき、
愛する人に手を握って欲しい。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 祖母の存在 私の存在
どんな職種・お仕事をされていますか? : ライター業
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 吉澤慎一郎




【エントリー85】
筑井 由紀子(つくい ゆきこ)

作品タイトル : 命をかけたプロセス

エピソード
看護師歴30年ほどになります。
そのうち、20年は老人施設や訪問看護で仕事をしてきており、多くの人の看取りケアをしてきました。
死にゆく時、自分の希望を一つずつでも叶えていくことができれば、できるほど、奇跡的な出来事であっても、全てご自分で叶えていかれたことなのだなと感じる瞬間がたくさんありました。

その中でも、今でもわたしのこころに残っている体験があります。

私と同じ年の乳がんの末期がんの女性。
Kさん。ご主人と高校生の男の子と中学生の女の子のお子さんがいました。
わたしと家族構成も一緒でいろんな感情を重ねていたと思います。

何度も手術や抗がん剤、放射線治療をして、それでも、肺、肝臓、腹膜へと転移は広がり、もう、病院での治療方法はなく、ご本人も理解してご自宅に戻られてきました。

お会いした時は下半身のむくみが強く、妊婦さんのようなお腹と倍以上に腫れ上がった足、トイレに動くのでさえも大仕事の状態でした。

それでも、Kさんは嘆くこともなく、こうやって、子供たちと一緒に過ごせる日々の生活に喜びを話されていました。
数ヶ月後には息子さんの高校の卒業式で、それに出られるかなあ、とお話しされていたことを思い出します。

Kさんの介護は遠方から住み込む形で70代のKさんのお母さんが一手に引き受けていました。
Kさんだけでなく、多忙で不在がちのKさんのご主人、そのお子さんたちの食事の世話から、家事一切を取り仕切っており、まるで家族のお母さんの感じでした。

Kさんは日に日に、病態は悪化し、強い痛みが時折襲ってくるため、持続的に体内に麻薬を注入する装置をつけていました。

麻薬が身体の中に入っていくと、痛みは軽減されますが、意識を混濁、朦朧状態にさせていくものでもあります。

痛みは病気の進行具合と比例するものでないことを、多くのがん末期の患者さんを看取ってきて感じていました。

痛みがあるところには何かしら多くの感情のブロックがあることも、ヒーリングの学びで理解していました。

ある時から、痛みの訴えではなく、精神症状がかなり激しい状態になってきました。

お母さんが作った彼女の希望のスープを「こんなんじゃない!」と放り投げたり、自分がこんな状態になってしまったことをどこにもぶつけられないがため、日々のお母さんとのやり取りの中で、その怒りのエネルギーをお母さんにぶつけていきました。

ある訪問をした日に、Kさんがお母さんに激しい罵倒する声が聞こえてきて、お母さんが困り果てている姿でおられました。

Kさんの姿は3歳児がお母さんに駄々をこねている、そんなエネルギーの感覚をわたしは感じていました。

Kさんはわたしの姿に気づくと、何か糸が切れたかのように、すーっと眠りに入っていかれました。

お母さんが「なんで、こんなふうになっちゃったのかな」と呟かれ、ふっと、Kさんの幼少期のことを聞いてみました。

「Kさん、小さいころはどんな子供だったんですか?」と聞くと
お母さんは
「私が離婚して、1人であの子とお兄ちゃんを育てるのに、旅館の住み込みで仕事をしていたの。ほんとにいい子で、こんなめちゃくちゃなこと今まで言ったことなんてないのよ。」と。

たくさん麻薬を体内に入れてゆくことで脳の脱抑制が起こり、その下に抑圧されてきた感情がでること。

人は体験しなければならなかったことを体験しなければ、その次のステップには進めないこと、彼女は小さな頃、こうやってお母さんに甘えたかったことを、今、しているんじゃないかな、と伝えてみました。

お母さんは「そうね、ほんと。いろんなこと我慢させてきたと思う。こんな病気になって。子供を残して逝かなければならない。何度、代わってやれないか、と思ったことか。でも、代わってやれない分、わたしができることはしてやりたいと思ってね。」

この日を境に容体が安定し、痛みを訴えることはほとんどなくなっていましたが、身体の衰弱は進んでいました。

遠方からきているお母さんがどうしても自分が一度、自宅に戻らないといけない状況となりました。

どれだけ、早く行って帰ってきても、3日はかかる。

お母さんは「この落ち着いている状況なら、大丈夫かな。」と判断され、自宅に帰っていかれました。

その間はご主人さんが、仕事を休まれ、子供さんたちと3人でKさんのお世話をされていました。

その期間も看護師が訪問している時間に合わせて、お母さんから電話があり、「状態はどう?」と 聞かれていました。
Kさんは「もう、元気だから、そんなに気にしないで!って言って」と笑顔でわたしに言い、電話の向こうのお母さんを安心させるような感覚でした。

ご主人や子どもさんたちと一緒にいるKさんはお母さんがいる時とは違う、自分らしくいる感覚を感じました。
実際にバイタルサインも安定しており、表情も良く過ごされていました。
「明日にはそっちに戻るからね。」これがお母さんとの最期のやり取りでした。

その夜、状態がおかしいことにご主人が気づき、ご主人、子供たちが見守る中、看護師が駆けつけた時には息を引き取っていました。

その日はクリスマス。家族4人でケーキを囲みクリスマスを楽しんだ後だったとのことでした。

彼女の最期にたち会えなかったお母さんは確かに悔やまれました。

でも、彼女は自分の内側にあった「怒りのエネルギー」を今まで、向けられなかった母親に向ける体験が、最期は自分の創った家族と過ごしたいという『自立』のプロセスを超えたのだと感じました。

あの母親への反抗が彼女の今世、生きてきた、体験として必要な体験であったのならば、命をかけてまでする必要があったのだろうか?

もっと、もっと前に彼女に出会いたかった。病気になる前、まだ、彼女が生きるを選択し続けている時に。訪問時に何度も思い、訪問後に涙しながら帰ったことを思い出します。

わたしは今、看護の現場ではなく、ヒーリング、カウンセリングを通して、クライアントさんをサポートするところに立っています。

人は前世でやり残した自分のプロセスを肉体を持つことで、感じ、体験することで、課題をクリアしていくことをしています。

その課題が人生の中で起こる、悩みであるならば、命をかけてではない方法で、課題をクリアしていくことができるのだと、自らの体験からも感じています。

看護師として、死の間際の人たちから教えられた多くのこと。ここを知っているから、肉体があるから体験ができる。
肉体があるから感情を感じられる。肉体の尊さと未知なる力も知っています。

自らも癒しながら「今、何のために生きているのか」をクライアントさんと一緒に歩く人になっていこうと思っています。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 感情を感じ表現することを受け止めてもらう体験
どんな職種・お仕事をされていますか? : ヒーラー カウンセラー 看護師
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー86】
高橋 仁美(たかはし ひとみ)

作品タイトル : 浜ちゃん ありがとう(*^-^*)

エピソード
私は10年以上カウンセリングや心理学の勉強・経験を重ねてきました。
きっかけは自分の過去を
勇気に変えている人がいることを知ったからです。

私は両親の不仲、父のアルコール依存症
母のうつ病がひどくなる過程を
幼いころからずっと近くで見ていく中で
寂しさや社会の中で普通に生活できない自分を味わってきました。

低学歴、まともに働けない、自己否定がひどい私でも人の役に立てる!
そんな思いで一生懸命に学び体験を重ねてきました。

そして去年カウンセラーとして起業をしました。
ですが、やるまでの勢いがあっても続かない
カウンセリングをするも自信が持てない
その時は頑張れていても疲れてしまう
数年前にも起きたことがまた起こってしまいました。

ものごとをポジティブにとらえ頑張っていれば成功する!
上手くいかなくなって落ち込んでも最終的には
自分にそう言い聞かせては這い上がっていました。

結果が出ないことで集客や見せ方、さらに頑張ることばかりに
意識を向けていましたが全く上手くいかなくなり
数年前のようにまた動けなくなってしまいました。

そんな時に出会ったのが西浜さんです。

西浜さんは私に安心感と体感を与え続けてくれました。
上手くいかないことを人のせい、環境のせい、
パートナーのせいにして心の中で怒り
人前では笑って大丈夫なふりをして頑張っていた私に

いつも(大丈夫だよ)(そうなんだね)(怒ってもいいよ)
(辛かったよね)(頑張ったよね)(怖かったよね)と

ただただ私から出てくる言葉や反応に寄り添ってくれました。

私は西浜さんと出会ってから、たくさん泣きました。
楽しくワクワクすることをたくさん経験しました。
美味しい食事に酵素風呂、太極拳に高級な空間
生きている喜びを体感し いつでも思い出せるように

そして
さらに自分が望むものをイメージ出来るようにと
体感することの大切さを教えてくれました。

自分の人生を楽しむことも忘れて
泣くことさえも抑え、ネガティブは悪いものと考え
必死になっていた私の心の中は
ネガティブや自分の弱さを見たらもっと弱くなり
過去や私のすべてを否定してしまうと恐れていたのだと知りました。

カウンセラーになり人の役に立てられれば
過去を宝に変えてしまえば
自分を好きになれると思っていました。

でも、違うんですよね
私も全ての人も完璧ではなく、弱さも強さもある
人それぞれ様々な違いがあるから助け合って寄り添って生きていく
そのために自分の弱さも未熟な部分も受け入れて伝え合って
自分の喜びや出会った人の喜びとともに
この生涯を楽しみ生きていくこと

あるものに感謝して日々を穏やかに生きていくこと
そんなよく聞く当たり前のことが本当に大切なんだと気づきました。

西浜さんと出会ってから約11ヶ月
私は今のままの私も大好きです!

まだまだ怒りや悲しく思うことはありますが
今は私の弱さや強さ
楽しいことを知ることにワクワクしています。
そして
どんな人かわからない西浜さんを信じ素直に向き合ったことで
私が私を信じ、私自身に素直になれたのだと気づきました。

西浜さんとの出会いと
最高のプレゼントを受け取る許可をした私自身に感謝でいっぱいです。

そして
こうして振り返るきっかけをいただけたことに感謝しております。
高橋 仁美

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 西浜さんの想い
どんな職種・お仕事をされていますか? : カウンセラー
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 西浜洋行



【エントリー87】
毛利 実蘭(もうり みらん)

作品タイトル : ヒーローになれたかな?

エピソード
これは中学2年生の時のお話です。
私には仲の良い友達がいたのですが、その子は1ヶ月連続で休んだりするほど不登校ぎみでした。原因は1年生の時のクラスでSNSを通したトラブルがあり、そのときに傷つけてきた子とまた同じクラスになってしまったからです。
三学期になっても、休みがちの日々が続きました。このままでは、内申点や出席日数が危ないと先生から言われたそうです。
私は、何としてでも救いたいと思いその子の2月の誕生日に、色々な友達や先生にメッセージを書いてもらい色紙を渡しました。貴方はひとりじゃない、学校でみんなが待っているよと。
先生にも事情を話し、トラブルがあったこと来年度のクラスを話して欲しいということも話しました。
そして、3年生になった4月のクラス替えの日。その子と私は同じクラス。トラブルがあった子とも離れ、以前のように無事に学校に通うことが出来るようになりました。あの時だけは私はヒーローになれたような気がしました。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : その人の存在
どんな職種・お仕事をされていますか? : 大学生
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー88】
桑原 三千代(くわばら みちよ)

作品タイトル : 患者さんが自分の乗り越える力を取り戻すために

エピソード
以前、患者さんの外来受診時の問診を取る担当になったときのことです。
その方は、全身的な体のだるさ、不調を訴えられました。
「どことなくだるい」「肩が張って」「頭も重い」「めまいもする」
お話を聴く中で、次第に体の不調というよりも、心のSOSを発していることが分かりました。(誰かわかって!)(誰か聴いて~)(そばに居て~)そんな声がそこに在りました。
通常であれば、不定愁訴として簡単に扱われるところでもあります。この方の訴えを真摯に聞いたとしても、この場限りの、気休めのようになってしまうかもしれません。ですが、私はこの方の(聴いてほしい)という切なる声を感じました。キリのない気休めであること、長い問診時間を割いても無駄に終わるかもしれないこと。ほかのスタッフから、「早く切り上げればいいのに・・」という声もありました。
丁寧にこの方の不調を聴いて、「○○だから、困るけれど、△△なので、できないの・・だから□□なの」様々な理由が絡み合って、どうにもならない状況がありました。
そして、医療者への依存感情を感じました。手を握ってきたり、「此処に居て~」とすがる様子もありました。そのすがる思いは、家族の中で消化されない思いと、自分の中でこそ消化されない中で、体を理由に訴える子供のような大人がいました。
この方は飲食可能な状態で、通常ならば点滴は不要でした。ですが、癒されたいと望むこの患者さんに、医師は点滴をオーダーされました。横になるベットが確保され、この方の欲求が少しづつ満たされました。
少し冷静になった患者さんは、改めて、私の手をつかみながら言いました。
「ありがとね~。話、聴いてもらって、ホントに助かった~。あんただけだよ~」
私は、この方の心の叫びを受け止めて、本当に良かったと思いました。たとえ、一時的な対応となったとしても、その「今」が必要なことだったのです。
そして、患者さんの訴えを文字でまとめる私たち看護師の文章次第では、問題の本質が医師に伝わりません。その医師にも、客観的かつ心の要求を察知していただてこそ、成り立つ看護でした。
後日、この患者さんは、私に、高価な山菜を持参してくれました。ですが、私はあくまでも仕事としてお話を聴いた立場として、依存し合う関係にしたくなかったため、持参された物は受け取りませんでした。
このことは、私が固い人間ととらえられても致し方なかったのですが、何かを期待しての行為ではなかった・・という事を示したかった私のプライドのようなものでした。意固地に捉えられたかもしれませんが、私は、一線を引きたかったのでした。私は、その代わり、患者さんに笑顔を返すことができます。患者さんのありがとうに対し、患者さんの苦痛に寄り添うこと、共感し、笑顔で表すことができます。
この方は、当院のかかりつけとなり、定期通院の際は、私に一声かけてくれる患者さんとなりました。機械的に体を診ること以上に、精神的にも滅入っている患者さんの心に寄り添う存在であろうと思います。そのためには、自分が充実していることが先決ですね。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 患者さんが、自分で苦痛を乗り越える力を取り戻したこと。
どんな職種・お仕事をされていますか? : 看護師
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー89】
岡村 淳子(おかむら じゅんこ)

作品タイトル : プロセスグループについて

エピソード
ある時、顔の傷についての相談を持っていきました。傷をつけられた時の私の記憶を話していたら美穂子先生が近くに来てくれてすぐ前に座り、手を握って、「絶対救ってみせる。絶対に助ける。」と言ってくれて、私のその傷のできた時の自分に寄り添ってくれて私は涙がとまりませんでした。
ある時は、セクシャルな傷とそれと同時にもった同性からの傷を見てもらいました。怒りや色々なものを寄り添ってもらいながらリリースし、それはそれは強烈なリリースとなりました。根気強く寄り添ってもらい、手伝ってくれたヒーラーの方にも第二チャクラからすごいものを出してもらい、とても力になってもらいました。世界中の女性の怒りのリリースにも繋がると言ってもらったので、すごくよかったと思いました。
初めてプロセスに行かせてもらった時は相談をしたら、受け取るために仰向けに寝転ぶように促され最初は震えが上がってきて、上手にリリースできてると言ってもらったんですがその後意識してしまい固くなってしまいました。ファシリテーターの美穂子先生にすべてゆだねて任せるのがいいんだなって今ならわかります。あとは多少の知識があったほうがいいかなと思うので、やはり学ばせてもらっておいた方がいいのだと思いました。
なんにしても、プロセスグループは現実を変える。行きたいと思った時は行った方がいいと思います。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : プロセスグループ
どんな職種・お仕事をされていますか? : 主婦、アルバイト
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 美穂子先生、その場に居合わせた全ての人




【エントリー90】
北垣 啓子(きたがき けいこ)

作品タイトル : 何のために学び癒すのか

エピソード

大切な人を守る方法は、自分を癒すことだった


大人と子どもの狭間・思春期のころ

私の身近な二人の若い人たちが次々壊れていく…

何故?どうして?私はどうすればよかったの?!


適応障害・拒食・躁鬱・オーバードーズ・リストカット・引きこもり・飛び降り自死未遂・依存症・強迫神経症・首吊り自死未遂・・・

大音量で激しい音楽を鳴らし続け、時折狂ったように叫ぶ時、下の子は炬燵の中に隠れていた


家じゅうの刃物を隠し、処方薬を隠し、大量の食料をストックし、、


今思えば、その状態は既にどん底のぎりぎり状態だった

生きているのかどうかさえ感じられていなかったのかも知れない


にもかかわらず、、

私が頑張る、何としてでも私が守る、絶対死なせない、何をしてあげたら元気になるだろう、と、仕事に行くのもやめ、何か間違いが起きそうになったらすぐ飛び込めるように、部屋の前で寝起きし、ほんのわずかな物音も聞き逃さないよう聞き耳を立てていた、、、もう、いつ起きていつ寝ていつ食べているのかわからないくらい、自分自身を合わせていく方にしか意識が向いていなかった。


このころの私は、本当に自分をなくしていた。けれど、自分にも相手にも何が起こっているのか全くわかっていなかった。

今思うとあろうことない生活になっていたのに、困っているとさえ気づいていなかった。

苦しみの中に閉じ込められていた彼女たちを前にして、自分自身の痛みを全く感じられていなかった。


そんな頃

行くことができなくなっていた不登校の子を持つ親の自助グループの代表から、「心と身体とオーラの体験型心理学講座」の体験説明会がある。テーマは「バウンダリー」だとお誘いがあった。

このテーマが私の何かに響いた。自分に必要なことかもしれない…


彼女の命を守るため、片時も離れることができないと信じていた中で、行ってみようと自分を動かしていった


大切な人を助けるためには、自分を癒すしかない、今からでも遅くない、彼女らに載せている私の荷物を私が自分で持つことで、相手は自分の問題にだけ取り組むことができるようになる

そんなことを伝えられた


ここから私の自分を癒す旅が始まった


自分に問題があるなんて、幼少期の自分に不幸なことがあったなんて、微塵も思わず生きてきた人生と言っても過言はない。(少なくとも記憶にはあってもすっかり過去のことだとしていた)

どんなことにも明るく楽しく元気よく前向きにポジティブに取り組んでいたつもりだった


ところが、学び始めてみて初めて自分の問題に次々と気づかされ、やってもやっても終わりはなく、その間にも彼女の状態は一進一退…しがみつき置いていかないでと泣いて懇願したり、帰ってくるまで生きてるかどうか、、と脅したり、 さんざん依存させた対応から一変したのだから無理もない

それでもあそこには私に必要なことがある!行かなくちゃ!と、その手を振りほどいて通い続けた


そうしているうちに…

いつの間にか薄皮をはがすように変化していたのだろうか、気が付けば何かの兆しのような空気が家の中に生まれてきていた


どん底から這い上がりたいと助けを求めてきた彼女に勧めたのは、癒すことと学ぶこと

説明もできず答えなんか与えられないけど、道はそこにしかないと怖がる彼女に付き添いながら一緒に講座に通い続けた


遅れて下の子も、私と彼女の姿を追って癒しの道に足を踏み入れ、共に学ぶようになっていった

二人とも、最初の1day講座は私から伝えることができた


私が一人で頑張らなくても、たくさんの仲間が私にも彼女たちにもいる


今では

一人は結婚し、パートナーとお互い自己責任の場所を模索しながら二人の暮らしを営んでいる

私たち夫婦よりずーっと先を行っているようでうらやましい

もう一人は、魂の希求する声に耳を澄ませ自分の歌を綴り表現している

やりたいことをやらずには居られないことを追求していくことは決して楽な道じゃない、それでも歩み続けるその姿に、私の魂が揺さぶられ我が身を振り返る



今でもたまに、あの時のおぞましい光景がフラッシュバックすることがある

でもそれは今じゃない そう言い聞かせて上がってきた感覚だけを静かに感じ流している

その手だてを身に着けられたのも、学び癒してきたから


私の目の前には、自分に起きてきたこととどう向き合うか、迷い苦しいことがあっても、必死に持ちこたえようと踏ん張り、時には安心安全を感じる場所にサポートを求めて超えていこうとしている

そんな彼女たちの姿に、あぁ私もまた自ら幸せに向かっていこうと、この道を歩き続けている


彼女たちはもう完全に私の手を離れている

お互い自分の人生の道を歩いている

そう宣言したい私がいる


本当の私はどこにいる?

私は何のために生まれてきたの?

私がわたしであることってどんな感じ?


私はこれからもずっと、この生が続く限り

知らないことを知りたいと願い

自分を癒すことを続けていくんだと思う

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 自分が変わることを学び実践すること HITの講座・スキルの全て
どんな職種・お仕事をされていますか? : マスター・ヒーラー・カウンセラー他
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー91】
飯田 雅代(いいだ まさよ)

作品タイトル : 本当の寄り添いは新しい世界を知ることだった

エピソード
寄り添う。
私はこの言葉にずっと憧れがありました。今10歳の娘の名前を決めるときには、音楽のように人の心に寄り添えるようになってくださいと願いを込めました。でも同時に、私は本当に寄り添うことができているのか?本当に寄り添うとは?と問うたとき、子供に願いながら親である私自信がそれをできていないのではと気づき、自分は何て傲慢なことをしているのだろうと崩れ落ちそうな感覚になった瞬間がありました。

その答えを見つけるチャンスがありました。それは2年前の秋に美穂子先生の姿が映るYouTubeの映像に出会った時でした。その時に、この人は本物だ。そして本当にものすごい努力を積み重ねてこの場所に立っている。と、なぜか確信しました。
美穂子先生の話す姿、在り方から、胸の奥が騒ぎ震えるのを感じました。
どの瞬間も常に自分の内側に寄り添い続けながら、相手に向かい合っている。自分の言葉を自分で感じ続けながら相手へ心から伝えている。それを見ながらなぜか自分の内側が泣きたくなるような感覚になりました。
本当に寄り添うということはこのことだ。この人の学びをしてみたい、この人のようになりたい。そう思い、美穂子先生のHIT (ハートインタッチ・キャラクトロジー協会)の学びと癒しのコミュニティに思い切って飛び込みました。

私はその時、心身の不調が数年来続き、少しの外出にも困難を抱えていました。子供の急な病院でさえ連れて出られないこともあるほど不安定な毎日でした。親しい友人も子育て中だからと頼ることを遠慮して、また精神の不調は何を言われるかわからないからと家族は周囲から隠そうとしていたので、誰とも深くコンタクトしにくい状態でした。家族の支えはありがたいけれど、どこか閉鎖的で重苦しく、人との繋がれない孤独感と自分の無力感や不安に入り込む毎日でした。

そんな私にとってオンラインでの繋がりやコミュニティが構築されていたことは大きな救いでした。初めて講師の方と繋がった喜びは、孤独から自分を取り戻せる一歩になりました。そして、オンラインで美穂子先生のお話を聞ける機会もたびたびあり、美穂子先生の壮絶な体験を経て構築された学びの体系であったことを知りさらに興味は深まりました。自分のやりたいことに向かう大切さや心のあり方をいろんな角度から聞くたびに、自分にもまだできることがあると、失っていたワクワクが蘇りました。
オンラインでの繋がりの場や個別の遠隔ヒーリング、オンラインプロセスワークと少しずつ体験するたびに、美穂子先生の、真摯だけど親しみや明るさに満ちた話しかけが本当にいつも変わらないことには毎回びっくりしました。いつも誰とも分け隔てが無いこと、そして等しく自分も尊重されているってこんな感じなんだなと知りました。どんなことでも純粋な好奇心を持って聞いてくれて、うまくこちらが言葉に表現できない時も、そのことを責めるのではなく、自分も聞いて困っているというような自分の真実の場所から次の展開を一緒に探してくれます。そういうあり方に何度も触れていくたびに、これが知りたかったという感覚になり安心していきました。そしてハートが震えて涙が出たりホッとしたりして緩んで、自分を取り戻すことが何度もありました。

そして、この寄り添うということを理解するために助けとなったのは、学び始めたころに知った健康的なバウンダリーという概念でした。
私は通院してきたメンタルクリニックで、それを理解する体験をまさしくしていたなと感じていて、とても感謝しています。
‘他人を変えることはできない’ことや、‘自分の行動による結果を引き受ける’ことを、Kクリニックの主治医のドクターから私は始めて知りました。さまざま私の誤認を教えてくれた彼女は、いつも気分に左右されることなく同じ距離感を保って、でも親切にそこにいてくれる態度でした。そしてそこに彼女の努力があることを常に私は感じていました。
最初はよそよそしく不思議な感じもしたけど、そこには愛情がいつもあることを理解しました。彼女との問答を通じて自分を育てなおす感覚になっていき、自分の中から答えを探して話すことや、自分で自分の舵を取っている感覚が育っていきました。母のようだけど母ではない、不思議な抱えの中にいるようだといつも感じていました。そして私が選んでここに通いここにいるのだという自己責任の場所も理解しました。
薬に弱い私は投薬が一筋縄ではいかず、飲みたくないと主張したりして、薬の調整や選び方もいちいち時間がかかりましたが、提案の経緯を聞き一緒に決めていくということを必ずさせてくれました。こちらに通ってからは、他の病院でその対応の違いに気が付くようになりました。全く自分とコンタクトすることなく薬を処方されることもあり、心が冷たくなり驚きました。
ある時選んだ薬でかなりきつい副作用の時がありました。でも自分がここにいることを選んでいるという自分の権威の場所は揺らぎませんでした。『人間だから先生も間違いはある。』と、半分泣きながら言うと、うんと理解したようにゆっくりうなずき、ふいにユーモラスに『すまん!』と言ったドクター。言葉が軽すぎるよとは思いましたが、目からは思いやりや誠意は感じました。それぞれの限界を理解し、自分は自分の精いっぱいのあり方を示しましたが、これは本当に相手を信頼しているからこそできました。そして、その一件からは、私は自分自身にも相手にもより深い信頼関係が築かれたように私は感じています。

彼女は一人の人間としての悩みや苦節についても必要に際し話してくれました。ある時、かつて『来院して来る人みんなを自分で対応できるのか自信がない』と悩んだ時に、その道の大先輩から『来る人はあなたを選んできているからそれでいいのだよ、必要がなければ勝手に離れていく。』と聞き楽になった、という話をしてくれました。私はそれを聞き、ものすごく安心したのでした。自分のできることや責任の範疇がどこまでなのか知っていれば良い、自分の出来ることに注力すればいい、というシンプルな感覚が入りました。彼女は自分にできる事できない事を明確に伝えてくれるし、時には私を必要な人に繋いでくれて回復に役立ったこともありました。
ドクターが自分自信のありのままで正直にいてくれることは、患者側にとっても適切な選択ができることでもあり、自ら選ぶ責任も自覚させてくれました。もちろん限られた時間で今日はうまく伝わらないなあという日もあったけど、健全なあり方の場所にドクターはいつも戻っていてくれているので、そこは冷静に戻って自分を眺める場所のひとつ、心の中でも診察室の風景はいつも私の支えになってくれるのでした。

さて、私はこのクリニックでの出会いにとても感謝していますが、ここだけではたど辿り着けなかった場所がありました。
発症当初、私はひどい錯乱状態の中『私はもとに戻れるのですか?』とドクターに必死に問いました。認知は正常といわれても、今自分に起きていることが何なのかわからない、自分がどこにいるのかわからないという恐怖と不安の連続の中にいました。
そしてある程度回復し生活に戻れても、本当の意味で私はどこにいるのか、どこへいけばいいのか。それは残念ながらクリニックへの通院だけでは辿り着けませんでした。

そしてHITの学びと出会いやっとそれがわかる心の地図を手にしました。
こころの仕組みを知り、自分はどんな時も生きる力のあふれる存在だと知り、希望が湧きました。そして、本当に変わるためには新しい体験が必要だと知りました。
そこで、苦手だったけど困った時にはヘルプを求めることを練習しました。HITのカウンセラーやヒーラーはどんな状態でもまずは受け止めくれ、一緒に迷子の自分を見つけてくれました。自分が今どこにいるのかわかるだけでもまずは安心できました。時にはその悲しみの感覚を一緒に体感してもらい、孤独の場所が一人でないことを知り心から涙して、初めてそこから抜けることができたこともありました。
私がこれまで、自分のだれかに寄り添ってもらったと思ってきた感覚は、犠牲的だったり条件付きだったり歪みを含んでいたようです。本当の寄り添いは、自分の権威を取り戻して共に探し創造しながら、新しい感覚を見つけていく豊かな時間なのだとわかりました。

長年とはなったけれど、Kクリニックのドクターのおかげで人との関係性について初めて自分の誤認があることを知り向き合い、さらに美穂子先生はじめHITの心の専門家に、自らも学びながら自分の深い内側に寄り添ってもらうことをしてきました。このたくさんの寄り添いを経て、安心の時間が少しずつ増え今ここに生きることが楽になっていきました。少しずつ体力づくりもできるようになり、コロナ禍の中でも恐れることなく自分の為に10年ぶりに外に出て興味のあった仕事をすることができるようになり、オンラインだけでなく実際に先生や仲間に会うことも叶うようになりました。
いつしか、心を知りたい、仲間と繋がりたい、今度はそれを伝えてみたいという願いは、自分を突き動かす静かな情熱となって毎日を生きる希望、楽しみ、原動力になりました。それを叶えるたび支えてもらった感謝や自分への祝福で胸がいっぱいになります。
そしてそうこうしているうちに、クリニックで処方されていた薬もすべて、ついに必要のなくなる日が訪れました。

自分のこうした体験の中から、本当に寄り添ってもらうということは、結果、自分自身のあり方の理解や成長を助けて新しい世界を知ることに導いてくれるものだと感じています。
今、辛さから抜け出せないで苦しんでいる人がいるならば、本当の寄り添いを体験し、そして自らも学び知っていくという道が、少なくともこのHITにはあることをお伝えしたいです。苦しい渦中では一気にはいかないこともあるかもしれないけど、きっと自分が楽になっていくベクトル、羅針盤に変わっていくはずだと思います。

Kクリニックのドクター、山本美穂子先生、HITの大切な先輩、仲間の存在に深く感謝します。ずっと元気でいてくれることで私を支えてくれた娘や家族、動けない私でも必要だとずっと待っていてくれた友人、心を寄せてくださったすべての方へ、ありがとうございます。
今度は、いつか自分も本当に寄り添うということをできる人に、そして娘に伝えられる母になれるようにと願い大切な学びを続けたいと思います。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : メンタルクリニックのドクターの存在。山本美穂子先生の存在、HITのコミュニティ、学び、カウンセリング、ヒーリング
どんな職種・お仕事をされていますか? : パート、主婦
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : Kクリニックのドクター、山本美穂子さん、HITのカウンセラー、ヒーラー




【エントリー92】
松本 幸大(まつもと こうた)

作品タイトル : 六葉の樹

エピソード
 中学一年の入学したばかりのとき、僕は人を信用しなくなりました。
 言いたくも、思い出したくもないですが、理科の実験中にそれは起きました。班の人たちは実験をやらず、僕はその理由をまだあまり深く考えていなくて「コウタやっといてよ」と言われるがまま、それがきっとみんなの助けになるんだと浅はかに、独りですべてをやっていました。準備から実験、考察に至るまで、そして、すべて終わると班の人にその考察を写させる。
 二ヶ月ほど、それが続いていたと思います。ただあるとき、先生がそれを注意しようとしました。僕は先生がなんで怒るのかよくわかりません。
 班の人はこう言った。
「コウタが全部一人でやっちゃうから俺たちができない」
 先生は僕を怒りました。廊下に出しました。評価を下げました。怒られているのは、どうやら僕のようで、僕はまわりを見ましたが、みんな目を背けました。誰も助けてくれなかった。
 それまでは他にも、宿題を見せたり、わからないことを教えたりしていました。それがみんなの助けになるんだと信じていました。
 でもそのときわかった。
 ああ、頭を使わないといけない。でないと自分が損をすることになる。他人になど構っている場合ではなかった。
 生まれて初めて頭が回転する感覚を知りました。
 それからは影を消します。人には色があって、その矢印も出ていて、その方向は目線の誘導や会話の中で僕以外の方向に向けることができます。おかしな話ですが、中学生の僕には確かにそれが視えていたのです。僕は自分が他人から見られないように心がけました。
 友達は空白に。いつしか僕のまわりに人はいなくなった。
 それで良いと思い続けて生きました。いや、死んでいたのかもしれません。少し経つと、ふと、学校行きたくねぇな、ってなりました。なぜだかわからないけど、うるさくて集中できない授業や、鬱陶しい青春に付き合うのが面倒になりました。
 暗いことばかりが続いても仕方ありませんね。
 面倒だけど僕はあのとき、誰かに見つけて欲しかったんだと思います。
 見つけてもらったのはそこから二年。同じクラスの六人でした。
 きっかけは突然遊びに誘われてからです。めっきり人を信用しないのが染み付いていましたから、当然のように断りました。
「どうせ自分と遊んでも楽しくない」というように。他にも色々言ったと思います。誘われたのが嬉しいからこそ、ぐちぐち言い訳を唱えて断ろうとした。
 殴られました。
「そんなんで誘ったんじゃねぇ!」って。
 行きたいかどうかを聞かれて、僕はその勢いに負けて一緒に行くことを承諾しました。
 僕にとって、それからは五人がみんなです。
 みんなはたくさん話を聞いてくれた。似たような経験のある人たちだった。でも、みんな乗り越えてきた人たちだった。
 救われました。
 よく休む学校も、一緒にサボってくれた。唯一学校の外で頑張っていた硬式テニスを応援してくれた。たくさんたくさん、遊んでくれた。
 僕は学校が心底嫌いだったけれど、そこにいるだけはできるようになりました。
『友達』ではないそうです。
 こういうのは『仲間』というんだと、みんなは教えてくれました。信用なんて言葉もその間にはない。何があっても平気、繋がっているという感覚です。
 卒業してみんな離れ離れになりましたが、僕はもう平気です。心の中にみんながいるような気がするのです。
 独り独り個性の分かれるやつなんです。
 現在、独りは放浪していたり、独りは国家公務員、独りは医者の道、独りは料理人、独りは大企業、それぞれ違う目標を持って頑張っているんだと思います。
 六人目、僕は藝術系の大学に入り、こうして言葉を綴ります。人と話すのは苦手だし、まだ怖いのは抜けきれていないけれど、自分の言葉で伝えられることを精一杯伝えたいと思います。
 一番の成長は、妥協ができるようになったこと。
 居たくない場所でも「まあいいか」と居られるようになったり、一歩引いたところで考えられるようになったり。
 まだまだやることはあるし、できないことはあるけど、成長していきたい。
 成長は一生続くものなんだと思います。終わりがないから人間です。
 そう思うと、これ以外にも色々あったすべてが僕の血となっている気がします。僕の呼吸する力になっているような、そんな気がします。
 だからでしょうか。
 樹から落ちる一枚の葉にすら、僕は最近、運命を感じるんです。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 仲間
どんな職種・お仕事をされていますか? : 大学生
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : ひでちょん、ちぃ、みじゃん、おかやん、かい




【エントリー93】
森迫 泉(もりさこ いずみ)

作品タイトル : 本当の自分と繋がる強さ

エピソード
私が彼と出逢ったのはオンライン上でした。ある日、はじめて入門講座に参加され、その時の気付きの体験から、もっと学んでみたいと1day講座を受講されました。

彼は、幼い頃から厳格で高圧的な父親の元で育ち、時に暴力や暴言を浴びせられることもあったそうです。出逢った当初は、そんな父に対して、時に怒りや絶望を抱いている様子を垣間見ることもありました。

幼少期からいじめにあったり、仲間外れにされることが多く、大人になってからも、父に対する怒りや絶望から、対人関係で問題(現実の不具合)を起こしてしまうことが多かったそうです。そのたびにとても傷付き、そんな自分を、そんな現実を変えたい、そして心通いう合うパートナーに出逢いたいと望まれていました。

私は毎回のセッションで色々なお話を聞かせてもらいながら、彼がどれほど純粋で大きな愛を持っているか感じ始めていました。
今まで体験してきた苦しかった出来事を1つ1つ振り返りながら、私は彼が小さい頃の自分が何を願っていたのか、もう一度感じていけるようにサポートしました。
最初に感じた、その人自身の純粋さと愛を信頼するという場所から・・。

回を重ねていく中で、彼は、小さな頃、どれほど淋しくて悲しかったか、そして父を大好きであったかを感じていました。そのことに驚き、ショックとも言えるような表情を見せることもありました。
父への誤解、自分自身への誤解がゆっくりと確実に溶けていったようでした。
私はその時、ただただ、彼のハートの奥の純粋さと愛に魅せられ、それを信じ寄り添うことをし続けました。

ある日、大きな事件となった出来事を振り返っていた時のことです。
彼が小さな自分に寄り添い、〝そんな君を僕は愛しているよ〟と大人の自分から幼い自分への大きな愛を伝えることができました。
それまでの泣きじゃくる姿はどこにもなく、おだやかな優しい笑顔でした。
〝自分に出来る事で、もっともとお自分を表現してあげたい〟


〝どうせ誰もわかってくれない〟の奥には〝もっと愛してほしい〟があって、さらにその奥には〝愛したい、与えたい〟という気持ちがあったことに気付いたそうです。

怒ってばかりで大嫌いだった父親を、本当は大好きで愛していたのだという気付き。彼の涙は、いつも美しく一生懸命でした。


そんな彼が、本当に自分に気付いた今、これからどんな自分を表現していくのか、そしてどんなパートナーと出逢ってゆくのか、楽しみで仕方ありません。

私が彼に対してしたことは、その人の本当の気持ちに寄り添ってただ彼の光を信じ続けた、ということでした。

その中で、自らの幼い誤解を解き、本当に自分に気付いてゆくことができました。彼が魅せてくれたエッセンスは私の中にもきっとある。

この出逢いと重ねた時間に本当に感謝しています。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 相手の内なる光
どんな職種・お仕事をされていますか? : 助産師、ヨガ・Hulaスクール、心理学講師
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー94】
大野智子(おおのともこ)

作品タイトル : 子育てに悩んだ事のないママなんていない

エピソード
【?子育てに、悩んだ事のないママなんていない。】

私が、ずっと気になっていたキャラクトロジーを学び出す決心をしたのは、子供がいじめにあった事がキッカケでした。
キャラクトロジーを知り興味を持ってはいても、当時は夜間クラスしかなかったため「子供を置いて夜出掛けるのは無理」と物理的な側面です自分に制限を掛けていましたが、実際に私の内側では真実と向き合う事が怖かったのだという事にも、今は気が付いています。

そんなこんなとしているうちに、
小学校高学年の娘が近所のお友達との関係性がだんだんと上手く行かなくなり、ある日とうとう『学校に行きたくない』と言い出したのです。
それまでの私は、大学時代に学んだ心理学を元に「子供達の事をよく観察し、コミュニケーションを取り、ニーズを尊重し、体験を優先する」、というポリシーを持って「キチンとちゃんと」子育てをしていました。
しかしながら、子供達が成長し自我が芽生え出した頃には、手持ちの知識では対応出来なくなっている事に気が付いていたのです。
子供達が自分のニーズを主張する時、叶えてあげたい自分とそんな風に甘えさせてはいけない!とジャッジする自分の両方の狭間でいつも混乱していたのです。
 そんな頃に、現在キャラクトロジー心理学協会理事の山本美穂子先生に出逢い、度々、お話を聴いて頂く機会があり、その都度、娘の事や人間関係について相談していました。
美穂子先生はいつも「子供の問題は、お母さん自身の問題なのよ。」と仰っていました。
「子供の事なのに自分が学ぶの???よく意味がわからない…」と感じながらも、美穂子先生の仰る様に「学校に行きたくない子供に、無理に学校へ行かせる必要はない」を選択してみたのです。

とはいえ、
この頃はまだ学んでいないため、何をどうすればいいのか?も手探りの状態でしたが、とにかく
動揺する気持ちを抑えながらも、感情的に反応はせず、「今日は学校休むなら、気分転換に映画でも観に行く?」と娘の大好きなしゃぶしゃぶランチと映画を観に行きました。
その時間に彼女の苦しい気持ちや思いを聴きながら、何も出来ない・どうしたら良いのかわからない自分を歯がゆく感じながらも、ただ、一緒に過ごしました。
そして、「あなたは、あなたのままで良い。あなたには、キラキラと光る才能があるんだよ。その道を信じて進むなら、いつだって応援しているよ。」という様なメッセージを伝えました。
この時は、本当にどうしてあげたらいいのか?がわからず、私自身もとても不安だった事を覚えています。

 そして、その日、観に行った映画がなんだったのか?私はすっかり忘れていたのですが、高校を卒業して歌の学校へ進む事を決めた彼女の履歴書の入学志望動機に書かれていたのは「自分自身がいじめられて、辛かった時に、お母さんに連れて行ってもらった映画の歌に勇気をもらい立ち直れた。その時に音楽のPower、歌の持つエネルギーに救われたので、私も歌で誰かを幸せにしたい。その歌は、アナ雪の『ありのままで』です。」という様な事が書かれていました。
偶然にしては出来過ぎた話ですが、『親が子供を守りたい』と本気で思う時、そこに立つ意図の強さは何にも変え難いのだと学びを通じていつも感じています。
 しかしながら、これらの事象をキャラクトロジーの知識を持って認識しなら行うケースと「どうしたらいいの?」と迷いながら進むケースでは、大きな差が生じて来ます。
「どうしてそうなるの?」「どうしたらいいの?」の混乱の状態のまま進んでいくと、ママ本人のメンタルも子供達のメンタルもフラフラしてしまいます。
ママがフラフラしていると、どんなに平成を装ってもそのマスクは子供達には伝わります。
娘のことであまりにも私が悩んでいると、娘の方から
「もう大丈夫だよ!ニコッ」として来ました。
後で聴いてみると「ママに心配掛けたらいけないと思って…」との事でした。
一番身近なママに心配掛けちゃいけない、なんて思わせていたのは、本当にハートが痛いです。
子供と真実の場所で向き合えていない事に、気付きもしていなかったのです。
その頃は、ママ友に相談しても先生に相談しても、誰もどうする事も出来ない。根本解決にはならなかった。そんな時、本当に砂漠で迷子になっている様な、真っ暗闇で誰も助けてくれる人がいない様な、そんな感覚だった事を覚えています。
しかし、その後、【キャラクトロジー心理学】を学んだ事で振れる事のない《育児の指針》《子育ての地図》を手に入れる事が出来たのです。
彼女のママである私自身が『自分を知り、自分らしく生きる』事で、彼女も『自分を知り、自分らしく生きる』事が出来る様になり、伝説となる県内難関高校の受験合格を果たしました。
今は自分の信じた道を学びながら、自分の好きなオシャレを発信する事でSNSショップやお洋服屋さんからお声掛け頂き、大好きなオシャレを趣味から仕事として両立しています。

そんな子育てを体験して来た私自身、やはりお子さんの『いじめ』や『不登校』の悩みを抱えたママ達の相談に乗ることが多々あります。
自分が実際に体験した道だからこそ、私の体験が誰かの役に立てば、といつも思っています。

そんな中でも、実際にキャラクトロジーを深めて行く中で、不登校だったお子さんが大きく変化された方がいます。
そのお子さんのお母さんは数年間各種キャラクトロジーの概念を学び、今ではキャラクトロジーマスターも取得しました。
兄弟の多い家族の末っ子として生まれた彼女は、サイコパス・スキゾイド・オーラル・マゾキスト・リジットのどのキャラもかなりディフェンスが強く、いつも思考がグルグルしていました。

その彼女をAさんと表現させて頂き、その娘さんをBさんと表現させて頂きます。
Aさんは、私と出逢った当初は「Bはマジメで明るく勉強も大好きで成績も良く、お友達にも優しくとても良い子なんだ」と話してくれていました。

Aさんがお子さんについて話してくれる時に、キャラクトロジーでいうマゾキストの香が漂っていて、元々、少し気にはなっていたのですが、相談を受けるまではずっと見守っていました。
その後、Bさんが時折学校に行けなくなったり塾に行きたくない、と言い出したと相談を受ける様になった頃には
私も既にキャラクトロジーをグランドマスターまで学び、「子育ての地図・育児の指針」を手に入れていたので、心から
『子供さんの問題は、実はママの問題なんだよ。』
『だから、子供を変えようとするのではなく、ママ自身がまず学ぶと良いよ。』という事をお話をお疲れ様しました。
最初のうちは、Aさんも「子供の事なのに、自分が学ぶの??意味がわからない」という感覚だったそうですが、最初は塾だった不登校が時間と共に学校も休みがちになり、動けない日が増えて行くうちに、「とにかく、なんとかしなければ…」と感じたそうです。

通常、現状を把握していない大人達は、
【不登校=怠け病】というレッテルを貼りがちですが、実はこの「朝、動けない」状態は現在では病名が付いています。
【起立性調節障害】と呼ばれています。
この病名が聴かれる様になったのは、まだまだ10年ほど前くらいからではないか?と思うのですが、我が家の子供も例の小学校高学年の頃、体調不良を訴えてあちこちの病院へ行き、その症状を伝えると【起立性調節障害】との診断をされました。
そして、熱中症も起立性調節障害も病名が付き認知されるようになったのは最近ですが、実は症状自体はどちらも、もっともっと昔からあるのです。
例えば、熱中症は私が25年前に北海道から岐阜に引っ越して来て、夏の炎天下の校庭でフラフラになり微熱を出す度に「環境の変化に付いていけず、精神的に不安定なのでしょう。涼しい所へ移動したら治りましたから熱射病ではないので、心の問題ですね。=仮病」と診断されていましたが、微熱・吐き気・涼しい所へ行けば治る、この症状は完全に熱中症でしたね。
そして、両親が離婚し岐阜へ引越しして来た頃から私自身も【朝起きられない・倦怠感・頭痛・夜寝付きが悪い・だるさ】等の原因不明の症状が続いていました。これも、精密検査の結果「環境の変化に付いて行けず、バランスを崩してるのかもしれませんね。=仮病」という診断でしたが、今で言う【起立性調節障害】だったのです。
この症状は、実はキャラクトロジーを学ぶまでずっと続いていました。
『朝弱い人』は『低血圧』もあるかもしれませんが、
『大切な予定がある日も動けない人』は『起立性調整障害』かもしれません。

【熱中症】の様に、病名が付く事で原因が明らかになり、対策が明確になるものもありますが、「起立性調節障害」は病名が付いても今なお、医療の世界では実はまだ明確に対策は明らかになっていません。ゆえに、ともすると『起立性調節障害だから仕方ない』というディフェンス思考に繋がりやすいリスクがあります。
このディフェンス思考に陥ると、全ての事を諦め、生きて行く事自体が辛くなるのです。
鬱との違いは、起立性の障害の症状は夜になると元気になる点で、それゆえに周りからも理解されにくく罪悪感も伴います。
私自身と子供が持っていた「起立性調節障害」をどうクリアしたか?というと…、実はやはりキャラクトロジーの概念をもってクリアしたのです。

では、どうやって???
簡単な様でとても難しいことです。そして、とても難しく見えて…実はとてもシンプルで簡単なことでした。
キャラクトロジー心理学の基本である
『自分と繋がり、自分の感情を感じ、自分のニーズから動き、自分のエッセンスを使って生きることを自分に自分が許可する』ということです。

つまり、自分の感情を感じていない時や自分のエッセンスを自分の為に使えなかったり真実の自分でいる事に許可が出来ない状態の時、エネルギー的に自分で自分を縛り付ける様な状態に陥り、その自分で自分にジャッジし続ければ続ける程に肉体が拒絶反応を起こし、コントロールが効かなくなる、といった状態でした。
キャラクトロジー心理学を学ぶ事で、その原因と仕組みを理解する事が出来ると自分がそれまでやって来た自動反応による防衛反応(ディフェンス)を意識的に変えて行くチャレンジが出来る様になって行きます。

例えば、それまで『やるべき事、やらねばいけない事』にばかり囚われていた私が、「自分のやってみたい事」の方向へ進み、私が「ワクワクする事」を諦めず罪悪感を手放しチャレンジしてみた時、そのワクワクする事のためなら『気付くと2度寝している』『朝、ベットの中で動けない』『どれだけ寝ても倦怠感がある』『起きていてもぼーっとする』『起きてもめまいがする』という症状から解放されて行く事に気が付きました。
この症状があると、そもそも通常の役割が生きられない。例えば、私ならきちんとちゃんとしたお母さんの役割を生きる事。Bさんなら、普通の中学生として学校や塾へ通い優等生としての役割を生きて行く事。
だからこそ、「自分で自分がコントロール出来ない!」「生きることが辛い」という感覚に陥りがちなので、かなり危険でもあります。
その症状がキャラクトロジーを学び解決し始めた事は、本当に有難く大きな変化でした。

実際、Aさん親子にも、ここの観点からアプローチを行いました。
まず、私がネイルサロンを主宰していた頃
Aさんのしているネイルに興味津々だったBさんに夏休みのフットネイルを体験してもらう事にしました。

カタログを見てもらって希望のデザインや色を聴き、プレパレーションをしながら学校の事等を聴き始めました。
「特に問題はない」「楽しい」「お友達もいる」「大丈夫」という、非常に冷静で模範的な会話。
おとなしめで、言葉遣いもしっかりしていて気遣いも出来る感じの良い賢そうなお嬢さん、そんな印象を受けました。
しかし、自分のニーズについて尋ねると言葉が出てこない、という状態になる事に気が付き、最初に
「紫が好きなので、紫のネイルにして下さい。」というオーダーを貰っていた所、あえて
「じゃあ、赤のネイルを塗っていくね。」と声を掛けてみました。
「あれ?」と感じで固まりながらも、言葉がやはり出てこない感覚。待ってみるが、言葉は出ない。
「そういえば、ご希望は紫だったね?」と確認すると
「いえ、赤でも良いです。」と答えるBさん。
私「それは、本当?」
Bさん「はい、大丈夫です。赤も好きなんで。」
私「ホントに塗っちゃうよ?大丈夫?」
Bさん「………はい…」と蚊の鳴くような声だ。
私「あのね、『イヤ』って言って良いんだよ。」
と伝えると、ビックリ!した顔でこちらを見ました。

Bさんは、何でもよく気が付くテキパキママであるAちゃんに自分のニーズを持つより先に様々なものを与えて貰って来たので、自分のニーズを持つ、と言う事を知らなかったのです。
いつもお母さんや周りの人のニーズが優先で
自分のニーズを持って良い、という感覚に馴染みが無かった様です。
Bさん「いいえ、赤で良いです。」
私「ホントにいいのかな?」
Bさん「………」
私「イヤ、と言っても誰も怒らないよ。イヤ、と言って良いんだよ。」
Bさん「………イ……ヤ……です。」
私「もっと、大きい声で言っていいよ。」
Bさん「…イ…ヤ…」
私「もっと、いや?!って言っていいよ。」
Bさん「イヤ?!」
私「そっか、イヤだったんだね。イヤな時はね、イヤって伝えて良いんだよ。イヤ、って感じて良いだよ。」
そして、Bさんのリクエスト通りのネイルを施術して夏休みを満喫して貰いました。
その日は、Bちゃんは「変わった事を言われた」と不思議がって少し怒っていた様です。

とはいえ、この頃のAさんは
まだまだ、キャラクトロジーを学ぶ事に抵抗を感じていた時期でした。
ゆえに、セッションの内容はこの時はまだ詳しくはお伝えせず、キャラクトロジーを学ぶと良いよ、とだけお伝えしました。

その後、当時週の後半だけだったBさんの不登校が毎日となり、「きっと、なんとかなる。大丈夫!」と信じようとがんばっていたAさんも高校進学へのタイムリミットを感じてキャラクトロジーの学びを一歩スタートしてくれました。
そこから、まずは子育てキャラクトロジーの1DAYで自分のされた子育てのどこがどのキャラクトロジーのディフェンスに結び付いたのか?を検証して行きました。
そして、イメージに囚われる事で目の前の真実が見えなくなる事、自分のされた子育てが嫌でそうならない様に自分の子供を育てて行くと反対のルートを通って同じ結果になる事、お母さんが自分のニーズを持てる様にならないと子供達も自分のニーズを持ち自分の人生を生きられない事、感情を感じられないとニーズが持てない事…様々なキャラクトロジーの大切な理論をお伝えして行きました。

最初のうちは、講座を受けてもメモは取らない、録音もしない、ので内容は抜けてしまう事の多いAさんでしたが、何度も何度もセッションを続け学び続けて行く中で、少しづつ自分のニーズを持てる様になって行きました。
そして、その過程で自分がされた子育ての中での傷ゆえに、自分が自分にしているネガティブプレジャーの場所を一つ一つ見つけて行きました。
Aさんは自営業のご両親で兄弟が多い末っ子として生まれた事もあり、お姉さんに面倒をみてもらっていた時期が長くお姉さんからの過剰なお世話の傷の両方がありました。
アンツイストセッションでは相反する傷のある仲間と受けた事からご両親からの無関心の傷があった事も浮き彫りになりました。
それゆえに、可愛い子供達には出来る事は全てやってあげる位の愛情を持って大切に大切に育てていたのです。しかし、そこにバウンダリーが存在しなかった為に、Bさんは自分のニーズを持てなくなり、好意に対してNOを言ってはいけない、という信念体系が形成されて行ったのです。

Aさん自身がキャラクトロジーの学びを深め、CCTやSASのセルフスキルを身に付けて自分自身を紐解いて行く過程で、これらの事に気付き始めました。
お子さんへの愛の深さ故に本当に毎月毎月、起こってくる出来事についてコツコツとセッションを受けて下さり、根気よく学び続けてくれてここまで来ました。Aさん自身も、自分と家族のバウンダリーを認識し家族のためでなく、自分自身に愛を向けられるようになって来ました。
そうすると、Bさんも自分が得意とする領域を学ぶ高校への進学を決め、コロナ禍にも負けず、学校生活を楽しめる様になったのです。

先日、Aさんと朝からの予定でお会いした日に「今日、Bはね高校の行事のために自分で起きて出かけて行ったの」と聴き、私はじーんと胸が熱くなり涙が溢れて来ました。
なぜなら、起立性調節障害で悩んでいた方が、自分で起きて日々の生活を普通に送れる様になる、という事は本当に大きな変化なのです。
そして、学校行事の為に自分で早く起きられる様になる、って本当に改善したんだなぁ、と感じたのです。
頭ではわかっていても動けない起立性調節障害の苦しさを私自身が体験して来たからこそわかる感覚でした。

お母さんが自分で自分を縛り付けていた呪縛が、そのままトレースされて愛する子供達を縛り付けて行く…。
その呪縛のエネルギーは、そのまま自律神経系や脳の組織に影響を与えるのです。
今迄、どれだけ病院へ行っても解決しなかった事が、キャラクトロジーを学び、各種セッションを体験した事で、一歩づつ着実に解決して行ったのです。
それも、何例かの実績が示されつつあります。
コロナ禍で、不登校や子供の自殺が格段に増えたといいます。
これらの知識を多くの方々に知って頂き、HITのセッションを多くの方に体験して頂くことで、守れる命と守れる笑顔が1人でも増えたなら…と心から願います。

子育てで、一度も悩まないお母さんなんていない。
お母さんは誰もが、我が子を愛しているが故に、傷つけたくない、と大切に大切に育てる。
しかし、そのやり方がディフェンスだった場合…
全く同じやり方や真逆のやり方で、結局は傷付けてしまう…愛ゆえに…、こんなに痛く悲しい事はあるだろうか?
だとしたら、一刻も早くそこに気付き、
まずはお母さんが自分の感情を感じ、ニーズを持つ事が出来る様になって行くことによって、大切な家族にもそのスペースを提供できる様になり、自然に家族もそれが出来る様になって行く。

そして、私やAさんがこの学びの道を続けられたのは、いつも同じ学びや癒しを目指す仲間がいたからです。
「どうして?」「わからない」「もういい!」そんな自分が出て来た時に、一緒に学ぶ仲間と繋がれる場所がある事で『1人じゃない』『いつでもサポートがある』という環境にいつもいられた事です。
キャラクトロジーを学び、心の仕組みを知る仲間だからこそ、起こる反応に囚われず、互いにそこにある傷を見つけて共に癒して行ける関係性を育てる事も出来ました。


キャラクトロジーに出逢い、
キャラクトロジーを学び、
自分が持っていた内側の歪みに気が付き、
キャラクトロジーのスキルを使い紐解いて行く。
そして、各種ヒーリングでエネルギーを動かして、
ずっと持っていた誤認の数々を勇気を持って手放してみる事で
まずは、自分自身が愛と豊かさを手にして
それを大切な家族や子供達にも体験出来る環境を提供出来る様になりました。

我が家の子供達は、といえば…元々、どちらかと言うと好きな事に没頭するオタク派で、何かに夢中になるとお手伝いなんかしないし、お友達は狭く深く、ネガティブなローワーの感情も持てちゃう一般的には困った子かも?…でした。
それでも、彼らがお世話になった幼稚園の園長先生が『確かに,今どき珍しく自分を持っていて、それを譲らない事も出来る様に育ってますね。2人とも感受性も豊かに育っていて、それはこれからの時代にとても大切な事だと僕は感じています。』と言ってくれた事も支えになっていました。
お友達とケンカをしたり、お友達を守る為に戦ったり、不登校になりかけたり、道を見失い悩んだり、成績が悪くて悩んだり、スマホやゲームがやめられなくて鬱々としたり、子供ならではの悩みを持ちながらここまで育って来ました。
長女は、進学校から異例の歌の専門学校へ進み、夢に向かって学びを深めています。
コロナ自粛で毎日スマホを見ながらゴロゴロしていた時、「ただ、見るだけでなく、表現もしてみてね。あなたの歌やミュージカルを見て来てあなたには表現力がある。好きな領域、興味のある事、インプットしたらアウトプットしてみてね。」と話しました。

何度も何度もInstagramを消しては作り直し、自分の納得行くスタイルに仕上げていました。
休校で逢えないお友達のお誕生日には徹夜でバースデーソングの動画を編集して送っていました。
私は、お母さんなら陥りがちな、「スマホばっかり触って!」と怒りたくなる感覚に何度も入りかけましたが、その感情的反応からは動かず、
「ママにも見せて」と彼女の作品を見せてもらい、彼女の才能を感じ、ワクワクしながら応援する側に回りました。
彼女のInstagramの1ファンとして、楽しみに見ていました。
 
表現する事にポジもネガもリミットを設けず、自分のやってみたい事に制限を掛けず、楽しめる彼女の元には日々、様々な商品のPR依頼がやって来て、スポンサーが常にいる状態になって行きました。
楽しみながらオシャレしたりメイクして、それを表現することで、先日は大好きな韓国ファッションのメーカーよりアプリ内で彼女のショップを持たないか?という依頼がありました。
まさに、「好き」がそのままアルバイトになってやって来たのです。
自分で選んだお洋服や靴やバックが大量に送られて来て、それをコーディネートして、自分がモデルになり写真を撮って編集して投稿する。
彼女一人で様々なエッセンスを使い、多くのタスクをこなしているのです。
時には、お友達と待ち合わせて、協力し合って撮影したり、ごはんを食べに行ったりカフェで楽しむ事も、そのまま彼女のアルバイトになっています。

自分の感情を感じて、ニーズを持ち、ニーズを表現して行く、と…思った通りの人生が創造出来、しかも向こうからやって来る様になるんだなぁ、と眩しい思いで眺めています。

まだまだ、Bさんの人生も我が家の長女の人生も始まったばかりですが、お母さんが自立して生きて行く姿を見せる事で彼女達も自分のエッセンスを生かし、本来の自分が生かせる道を歩める事と信頼して見守っています。
そのために、Aさんも私もまだまだ、学びと癒しを深めて行くでしょう。

子育てで悩まないママなんていない。
なぜなら、どんなママも子供達の事を誰よりも愛しているから。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : キャラクトロジー心理学各種知識とスキル
どんな職種・お仕事をされていますか? : キャラクトロジーグランドマスター等
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー95】
木下 佳世(きのした かよ)

作品タイトル : 癒してきてよかった

エピソード
仲良くしたい人にぷいっとそっぽ向かれたり、突然暴言を吐かれて、どう表現したらいいのか分からないクライアントさんがいました。
SASで幼少期を見ていきました。彼女は父親から上からかぶされる怒りのエネルギーを幼少期に浴びて、そこで固まっていました。その時切り離したエッセンスを取り戻し、小さな彼女は立ち上がりました。私は彼女が寂しくて痛くて固い場所にいることを認識して、そこに必要なものを理解して、ただ一緒にいました。大人の意識や新しい視点について話すことはありましたが、子供の意識にはご本人がインナーチャイルド助けている様子を見ていました。
数日後、「新しい選択を出来ました!」と喜びのメッセージをいただき、同じようなことが旦那様と起きた時にどう行動したかを教えてもらえました。
彼女の喜びが伝わってきて、「本当は仲良くしたい」が叶ったことが私も嬉しく感じました。
その一助が出来たことは、私の喜びでした。

SASを提供してみて、自分と似たような痛みを持つ方が多く、その時必要だったのは愛なんだなと感じています。自分が癒した場所までしか人を連れて行けない。彼女の痛みを理解できるまでに、自分の痛みの場所を癒してきていて良かったと、心から思います。自分が世界をサポートできるようになれたことが嬉しく、また、私はもっと自分を癒す!と意図が立った時でした。もっと深い場所まで連れて行ける人になりたいです。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : SAS、寄り添い
どんな職種・お仕事をされていますか? : キャラクトロジーマスター
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー96】
山本 未紗(やまもと みさ)

作品タイトル : 私を救ってくれた声

エピソード
この世界で一番の親友。どちらかの寿命が尽きるまで、ずっと共に在るのだと信じていた彼が自死したのは今から9年前の晩秋のこと。生前の彼と最後に話をしたのは恐らく私であろうと、彼の着信履歴を確認したお兄さんが教えて下さった。最後の最後まで、奴の近くに居てくれて本当にありがとう、という温かい言葉と共に。しかし、その日を境に、私の人生から色や音や温度が消えた。
何故あの時、また後でね、と電話を切ってしまったのだろう。今から行くから絶対に待ってて、とタクシーに飛び乗っていたなら、彼を失わずにいられたかもしれないのに。
何故あの時、彼の様子がいつもと違うことに、私は気付けなかったのだろう。異変に気付かない私の態度が彼を絶望させた訳ではないと、私は言い切れるだろうか。
亡くなる半年ほど前から、彼は鬱病の治療の為の入退院を繰り返していた。何かがおかしい、と心療内科への受診を決めたのも、このままではいけない、と入院を主治医に直訴したのも彼自身だった。自分が自分でいられなくなる恐怖心に抗い、常に前を向き、生きるための選択をし続けた人。
そんな彼が冗談とも本気ともつかない表情で私に尋ねたことがあった。
「もし俺が、今から死にたいって言ったらどうする?」
それを受けて、私は自信満々に彼に言葉を返したのだ。
「あなたが一人で死ぬなんて無理だよ。私にはテレパシーがあるからね。あなたがどこに居たって私が駆けつけて助けちゃう。だからあなたは死ねません。残念でした。」
どこかホッとしたような苦笑を浮かべた彼の姿が今も鮮明に蘇る。
心の底から思っていた。私ならどんな時でも彼を助けられると。でも現実は違った。彼の為に何一つする事が出来なかった。私はなんと無力で傲慢だったのだろう。
いけない、と頭では分かっていても心に浮かぶのは、今すぐ私も彼のところに行きたいという思いばかりという日々が何年も続き、一生このままか、と思うほどだった。でも私は病院に行けなかった。あんなに真っ直ぐに、生きたいと願っていた彼のことを医学は救ってくれなかった。こうした歪んだ思いが消えなかったから。そして、処方薬を飲んでしまったが最後、自分をコントロールする事が出来なくなってしまいそうで怖かったから。
そんな私の心を救ってくれたのは、会ったこともない、顔も知らない人の「声」だった。

You Tubeのおすすめに唐突に挙がった一本の動画。普段なら、まず間違いなくスルーするところなのに、その日に限って何故か私は再生ボタンを押していた。そして第一声を聞いた時、あまりの衝撃に心臓が止まるかと思った。
「彼が帰ってきてくれた!!」ハッキリと、そう感じたのだった。
ジャンルで言えばASMR。「女性向けボイス」にカテゴライズされるその動画との出会いは、色を失った私の日常を突き動かすほどの威力を持っていた。
何故なのか。未だに正解は分からない。でも、ヘッドホン越しに伝わる息遣いに、沈黙に、本当にちょっとした言葉の言い回しに、私は彼を重ねた。そして泣いた。枕もシーツも布団もびしょびしょに濡れるほどに泣いた。動画を再生する時間は、彼との思い出に浸り、思う存分、昔を振り返る時間だった。
女性向けボイス配信者のファン層というのは往々にしてイケボ好きの声フェチである。しかし生前の彼は所謂イケボでは無かったし、私は声フェチでも無い。にも拘わらず、瞬時に私は沼に落ちてしまった。一生まれて初めて、私に「推し様」が出来た瞬間である。
最初は、声を聴けるだけで良かった。声に彼を重ねていただけだから、推し様に私の存在を認識してほしいなんて露ほども思わなかった。過去の思い出に浸れたら、それで十分だった。
そんな日々が4か月ほど続いた頃、推し様が活動の幅を広げた。You Tubeでの動画投稿のみならずラジオトークが始まったのだ。有料チャンネルだったけれど、私は迷わず入会した。全く迷いはなかったが不安はあった。どんな人かを知ってしまったら、もう彼の姿を重ねられなくなる。
でも、1分でも1秒でも長く声を聴きたい。彼を感じたい。
様々な感情が入り乱れ、不安と期待に押し潰されそうになりながら初めてのラジオトークを聴いた時、私の心は喜びで一杯になった。
推し様は動画を離れても素晴らしい人だった。
天邪鬼でぶっきらぼうで、無愛想なようでいて、とびきり温かくて優しくて繊細。
心を奪われるのに時間はかからなかった。
静かに応援するはずだったのに、気付けば私は、かなり熱心なファンになっていた。Twitterもツイキャスもニコニコ動画もインスタも、全て推し様から教えてもらった。推し友も出来た。楽しい時間だった。夢の中にいるみたいだった。
そんな日々は2年ほど続いたけれど、ある日推し様は活動そのものを終えてしまった。
もう一度彼を失うみたいで耐えられないのではないか。密かに恐れていたけれど、意外にも私の心は落ち着いていて穏やかだった。
その時に気付いたことがある。推し様の声に出会ってから二年の間に、やっと未来を生きられるようになったのだ、と。
「俺も頑張るから、みんなも頑張ろ」
この言葉をくれた時の推し様の温かく優しい声音が、今も耳から離れることなく心を包み続けてくれている。
会ったこともない、顔も知らない推し様から貰った声という名の御守りを胸に、私は生きていく。時に後ろを振り返り、涙しながら、歩みだけは必死に前に進めて。
生きていく。できるだけ、笑顔で。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : ベルさんの声の温かさ
どんな職種・お仕事をされていますか? : 会社員
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : ベルさん




【エントリー97】
足立 典子(あだち のりこ)

作品タイトル : 願いは叶えていいんだよ

エピソード
「心のレスキュー」体験談
 
「願いは叶えていいんだよ」

歯医者に通い続けて4年。一度治療した歯が次から次へと悪くなり、神経の治療をし直している。なぜこんな風になってしまうのかと医者に問えば、「一定数の割合でこうなってしまう人がいる」と返答があり、「なぜ、こんなに治療に時間がかかるのか?」と問えば、「本人の持っている免疫力も関係するから」と言われていた。
でも、ようやくその治療にも終わりが見え、仮歯から本歯にする時に、セラミックにするか銀歯にするのかの選択に迫られた。家族が離れて暮らしている二重生活に加えて、子どもの学費を考えると、今!30万円(奥歯でブリッジにしているので3本分)を出すのはとても苦しいものがあった。だけど、これから先のこと、今までの自分の歯の状態のことを考えて、「自分を大切にする」「自分に投資する」を意図して、セラミックをお願いした。
ところが、セラミックを借り付けして様子見をしている間に、実家へ帰省したところ、食事中に取れてしまい、近くの歯医者でつけてもらうことにした。その歯医者で私が仮付けだと伝え忘れてしまったために、本付けだったことを後から知ることになるのだが、その本付けが、うまくできておらず、きちんとハマっていないがために隙間ができ、返って虫歯になりやすいことが判明した。虫歯にならないようにとセラミックを選び、自分を大切にすると意図したことも無駄になった時、「一体、私に何が起こっているのか?」「なぜ、こんなことになってしまったのか?」思考では、「きっと、これにも意味がある」「稼いでまた作り直したらいい」と納得させるがココロの中は、モヤモヤとしている状態だった。

 そこで、佳世ちゃんがSASのモニターさんを募集しており、佳世ちゃんとは、美穂さんを通して、顔見知りになっていたので、「自分を大切にする」と意図したものが、どうして叶わなかったのか?を知りたくて、お願いしてみることにした。

 SASを進めていくと小さい頃ののりちゃんに出逢うことができた。そののりちゃんは、今から外科へ向かうために、自転車の後ろに乗っけられており、そこで、お母さんから「あんたがワガママを言うから、こんなことになった!これからは、この傷をみて、自分を戒めなさい」そう言われている5歳ののりちゃんと、ほんとにもう!という感情がありありと顔にでている母親がいた。肉体は自転車の後ろに座っている状態で全部が完全にフリーズし、不思議なことに頭がない自分がいた。胸のあたりに重い塊を感じながらSASは進んでいき、そこにあった信念体系は「私がワガママ(願いごと=ジュースが飲みたい)を言わなければ、こんな事にはならなかった。だから、私は言わない」だった。この反応、「あーこれ、してる。だって、傷つきたくないから。叶わない現実に落ち込みたくないから」とディフェンスに入り、大人になった今も同じことをしていることを自覚する。本当は欲しいのに、いらないと言ってしまう自分。

さらに下りていくと、ふかーいくらーい場所で、腰を浮かせて体操座りのような恰好でうずくまっている5歳くらいののりちゃんがいた。そのことを伝えると、佳世ちゃんが、「あーだからだ!今すごく腰が痛くて、伸ばせなくて丸まってる方が楽だったの」と伝えてくれて、「あーやっぱり、いるんだ。繋がっている」と思った。そののりちゃんは、「かまってほしい、わかってほしい」と切望していた。私が小さい頃から母は病気がちで何回も入院をしていたり、若くして子宮と卵巣を摘出して更年期障害になっていたことから、放任というかほかっておかれた感があったので、「わかる!そうかもしれない」と思った。なぜなら、小さい時に空を見上げながら、ふとした思い付きから、道路に面した家の駐車場で死んだふりをして、通りかかった大人が反応してくれるのを嬉しいと感じていた自分がいたからだ。

でも、佳世ちゃんが「それは見せかけのニーズで本当のニーズは別にあるよ」と話してくれて、さらにみていくと、オーラルちゃんに属するニーズがたくさんたくさんヒットした。「楽しみ・喜び」「ぬくもり・温かさ」「調和」「ありのまま見てもらうこと」「自己表現」「共感」「受け入れる・受け入れられる」「手を伸ばすこと」「純粋な滋養・ケア」今書いていても、どれも、シックリくると感じる。こんなにたくさんのニーズがあったのだと改めて知ることができて本当によかった。このニーズをこれから、ひとつずつ、満たしていってあげたいと思うから。書きながらそう思った時、涙が込み上げてきた。なぜなら、この中のいくつかは、大人になった今!まさに今!これから、そうしていきたいと思っていたものが含まれていたからだ。また「また繋がっている」と思った。本当のニーズに気づき、うずくまっていた5歳ののりちゃんに会いにいくと、もうそこに蹲っている5歳のりちゃんはいなかった(笑)どこかへ行ってしまったらしい。

加えて、本当のニーズを探して「希望」のカードを見た時、これは、「全くない」と感じたことを伝えると佳世ちゃんが「じゃあ、これもいれておくね」と言ってくれた。リジットの強い私に、こんなにオーラルちゃんがあることに驚きを感じながら、さらに下におりていくと、もっと小さな1歳半ののりちゃんに出逢うことができた。そののりちゃんは、母親が3か月入院をしており、面倒をみてくれる人がいないため、知り合いの家をたらい回しにされており、朝起きるのが遅かったのか、自分一人、賑やかな朝の食卓の場に行けないでいた。目の前に大きな水分を含んだようなウルウルとした大きなベールが上からかかっており、そこに自分と食卓との間に境界線ができた感じで、向こう側に行けない自分がいた。ウルルンとしたベールなので、自分を守ってくれているような感じもしながら、でも、自分と他を遮断している境界線。ポツンと一人佇む私は「小さいのだから、むこうから迎えにきてほしい。声をかけてほしい。きてほしい」そんなニーズがあった。でも、その時、「私は、向こうには行けない。だって、ベールがかかっているのだから。この境界線を越えて賑わう食卓の中に行くことはできない」と思ってしまったことがわかった。自分で「自分にはニーズを叶える力がある」というエッセンスを切り離してしまった、その瞬間があったのだ。「本当は、手を伸ばすことも、ニーズを叶えることも夢を叶えることも本当はできるんだ!」と佳世ちゃんが教えてくれた。

その言葉を聞いた時、一瞬、「希望」が見えたような気がして、なくなっていた自分の中の希望というものが、これから生まれてくるのかもしれないと思えた。佳世ちゃんがくれたアファメーションは、「必要なものはわたしを含めたすべての人にあり余るほど豊富にある」「人生の海は豊かさに満ちている。わたしのニーズや願望はどれも求める前に叶ってしまう。幸せはどこからでも誰からでも何からでもやってくる」だった。

ニーズや願望…自分を大切にすると意図して選んだセラミック。それが、ダメになってしまったのは、私にこのことを伝えたかったからなんだと思った。これから、願いを叶えていっていいんだ!叶えることができるんだ!すでに叶っているんだ!ということを教えてくれた。最後は、佳世ちゃんと、「セラミックは、もう一回作り直して、合計60万の女になるといいよってことだね(笑)そんな安い女じゃないよ(笑)」と笑って終わることができた。

佳世ちゃん、本当にありがとう。実は、これから新しいことを始めようとしている。それは、私の願いであり、「エッセンスを知り、活かして、エッセンスに生きる世界」「エッセンスを認め合う温かい平和な世界」「人が自分を愛することができる世界」を作っていきたと意図した矢先のSASだった。私の願いは叶っていくそう思いながら、スタートできることに感謝をしながら、とてもココロ満たされている。実際に、少しずつ、人と繋がり、願いは叶い始めている。本当にオーラルの自分にも出逢えてよかった。音連れてくれてありがとう。

オーラルちゃんは、願いをすぐに諦めてしまうけれど、自分には叶える力があると信じて、手を伸ばし続けることが大切と教えてもらい、「今日の今日(佳世ちゃんにSASをしてもらったのは11月15日)しかも、今日は、これから2回もオンラインが入っている状況」で、無理~!と諦めようとしている自分に気づき、今までとは違う選択をしてみようと決心して、1時間半で想いを書き上げてみた。締め切りに間に合い、応募することができて本当によかった。今、感じている清々しい気持ちを大切にしながら終わりにしたいと思う。読んでくれてありがとうございました。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : SAS きのしたかよさん
どんな職種・お仕事をされていますか? : かずたま鑑定士
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー98】
高橋 落実(たかはし おちみ)

作品タイトル : 癒やしの道すじーひとつひとつ気づきながら歩き変容へと向かう

エピソード
癒やしの道すじーひとつひとつ気づきながら歩き変容へと向かうー
心理カウンセラー 高橋 落実


クライエントのマミさん(仮名)は、いつもなにかしら不安と心配ばかり感じる日々を過ごし、職場では理不尽な事や八つ当たりのようないらだちをぶつけられるパターンが日常でした。
そこで「なぜ、同じようなことが繰り返し起きるの?どうしてなのかわからないけれど、不安にさいなまれて苦しいのです。これには、なにかがあるはずだと思います。」と心理カウンセラーである私のもとにいらっしゃいました。 
    
マミさんに起こる同じようなパターンの繰り返しと、なぜか常に不安を抱えて生きていることの奥底になにがあるのか?カウンセリングを行いました。
二人で一緒に旅するような心の扉を開くセッションです。クライエントのマミさんは受け身ではなく、私がマミさんの気づきをサポートするために、感じたこと、気づいたことはなんでも話してもらいました。

【カウンセリング=自分とママの傷が見つかる】
すると、マミさんとお母さんとのおしゃべりの中でのお母さんの昔話をマミさんがふと思い出しました。もしかしたら、これ? とお話してくれたのがお母さんの心の傷の部分です。

マミさんのお母さんは両親に「おだつんじゃない」と言われて育ちました。
おだつ、というのは北海道弁で「はしゃぐ」という意味です。だから、こどもの頃のお母さんは嬉しくてもおだつのはいけない、はしゃいではならない、と思い込みました。
自分が楽しくて喜んでいたとしても、はしゃがず、おだつことなく、冷静にポーカーフェイスでなんでもない風を装うのが自分らしいのだと信じていました。
 そのまま、大人になり、やがてマミちゃんのママになりました。

ママになって抱いた赤ちゃんのマミちゃんは、生まれつき身体が弱くて、生後すぐに入院し、その後もひんぱんに病院へと通い続けました。
マミちゃんを抱っこしながら、あまりにマミちゃんが可愛くて、そんな愛しいマミちゃんの息が絶えるのではないかと心配のあまり、ずっと、どうしよう、これからこうした方が良いのではないか、将来こうしようか、ああしようか?ということばかり考えていたとお母さんが言っていたことをマミさんは思い出しました。

喜びを表現してはいけないと無意識にかたく信じ込んでいたお母さんは、同時に、不安や悲しみ、恐怖を感じることすらも自分に許しませんでした。

ひ弱な赤ちゃんを抱きながら心配や不安が湧き上がってきたのですが、お母さんは心配や不安に耐えられませんでした。不安に押しつぶされそうになるので、未来のことばかり考えます。

いま、ここ、いまこの腕に抱いている赤ちゃんのマミちゃんのことは、しっかり見ているようで、見ていませんでした。というよりは、見ることができていなかったのです。
愛らしいマミちゃんを抱きながら、息をしているのかしら?と確かめたり、この子を失ってしまうのではないかと心が暗く重く、その思いから逃げるように先のことばかり思い描いていました。

【心理学講座受講=傷のもとを見つけた】
「もしかしたら、私のママは不安や心配を感じるのが辛すぎて、感じないように封印して、未来へ思考を飛ばせたのかもしれませんね。」とマミさんが言います。
マミさんはキャラクトロジー心理学の講座を受講してくださったので、感情を感じまいとしたお母さんのディフェンス『自分を守ろうとする防衛反応』は、恐怖ゆえだったと思いあたったのです。(キャラクトロジー心理学にはベーシック・恋愛・子育てなどの各1Day講座・アドバンス講座があります)

「ああ、愛する我が子を喪う恐れから、ママは『いまここ』にいることができなかったのですね。不安も心配も恐怖から来ていて、その恐怖を感じたくなかったのでしょうね。」
もっと前のマミちゃんの乳児期の光景も切り取ったようにマミさんの目に浮かんできました。
入院した赤ちゃんが一人、混乱し、心細いまま小さなベッドに寝ている姿です。生まれたばかりの赤ちゃんが病気になり弱って両親から離れて入院しているわけですから、心細く不安になり、それは怖くてたまらなかったでしょう。

【カウンセリング=感情の取り扱いを知る】
私はカウンセリングの中でマミさんにお尋ねしました。

不安や恐怖を感じるのに耐えられなくて感情を凍りつかせても、封じ込めても、なかったことにしても感情は筋肉の中に閉じ込められてしまうので、そして、今度こそ感じきれなかった感情を感じようとマミさんにもマミさんのお母さんの身にも何度も同じように恐れの感情が湧き上がるような出来事が引き寄せられているのではないですか?

その上、あろうことか、お母さんが、その時には感じていないと自分では思っていた不安、心配の奥にある恐怖と、自分にはマミちゃんを助ける事ができないのではないかとイメージしたり誤解した時に生じた絶望感、無力感、焦燥感は、見えないエネルギーとして赤ちゃんだったマミちゃんのもとに流れこんだ可能性も考えられませんか?

知らずしらずのうちに、親から子どもへと受け継がれてしまった誤解、抱っこされていた赤ちゃんのマミちゃんが肌で感じてしまった不安、心配、恐れ、絶望感、無力感、焦燥感。

それは、あなたのものですか?

もう、すっかり自分の一部となって、なじんでいたとしても、それは本当にあなたのものですか?
赤ちゃんの頃のマミちゃんの不安も恐怖も混乱も感じとってみてから、いまもまだベビーベッドの中にいるの?いまも本当に一人ぽっちなの?両親も友達も誰もそばにいないの?と自分に問いかけてみてはどうでしょうかと提案をしました。
もし、不安や心配に襲われた時には、いま一度、じっくりと肉体を感じてみましょうよ。
その時、湧き上がってきた感情をなかったことにするのはやめて、感じきって流してみる、をやってみませんか? とお伝えしました。

だから、マミさんは、まずは、不安を感じた時に、自分自身に向かって「不安なんだね、こわいよね、わかるよ」と話しかけてみました。

【SASカウンセリング=自分のエッセンスを取り戻す】
カウンセリングで、どうしようもなく不安や心配でどよよ~んと真っ暗になった時の感情や肉体感覚、思考を紐解いていきました。

するとマミさんの脳裏にベビーベッドに一人寝かされている傷ついた無力なマミちゃんと、けれど赤ちゃんのマミちゃんが一生懸命生きる姿も浮かんできました。
不思議なことに、マミちゃんの方がお母さんの恐れを引き受けて、私がお母さんを守る! といった言葉まで出てきます。

子どもは、生まれながらにお母さんを愛しているのです。
お母さんだって、愛しているからこそ失いたくないと、失うことに恐れを抱いたのです。恐怖を持ったのは人間だもの、当然の心です。それが、人のエゴだとしても、人は愛するものを失いたくないと思うものです。
そして、だいたいにおいて赤ちゃんの頃は、お母さんと赤ちゃんは同一化していることが多いのです。お母さんの感情も自分の感情も区別がつかなかったとしても仕方がありません。

子どもの頃の誤認をといたら、マミちゃんのニーズを見つけ、エッセンスを取り戻します。
この時に取り戻したエッセンス、マミさんの本質の輝きは生きる力、安らぎ、平安、愛でした。

【CCTカウンセリング=二元性を癒やす】
もう一つ、マミさんにとって問題だったことは、不安、心配、恐れを感じてはいけないのと同じように、自分の無垢さ、無邪気さ、自分の喜びも自分に許さなかった点でした。

つまり、幼い頃、マミさんのお母さんは「おだってはならない(はしゃぐのはだめ)」と言われて育ったので、はしゃいだり大喜びしているマミさんをみるとお母さんも無意識についついダメだしをしてしまっていたようなのです。
「そんなにはしゃいで、恥ずかしくないの?」と。

マミさんの人生の中には、自分が大喜びしてワクワクうきうきしたり、自分のために喜びを感じるのは良いことではないと思い込む要素が入り込みました。       
おまけのように、親に幾度も刷り込まれた『自分が喜びを表現するのは恥ずかしいことだ』も信じ込みました。

でも、キャラクトロジーのカウンセリングを受けてくださって、そんなことを受け入れる必要はないのだとマミさんは気づきました。

喜びを表現するのは恥という信じ込みを外し、自分の「喜び」にくっつけた「恥」を切り離します。

マミさんは無意識にではありますが親の言いなりになってしまい、喜びを表現することは恥ずかしいことなのだと喜びを感じることも表現することも自分に許しませんでした。
喜びを表現すると悪い子になってしまい、きっと親に愛されないに違いない、だから、私は(親にとってのいい子でいるために)自分の喜びよりも、親の喜びを優先させる、自分の喜びを感じることを自分に許さない、などのさまざまな信念体系を持っていたので、それらを丁寧にカウンセリングで外します。

それから、親の喜びを大切にしたのは、マミさんの愛からだったけれど、人間にとって自分のエッセンス、マミさんにとっては無垢さ、無邪気さなどのエッセンスを自分自身で踏みにじると、どうしても自分の中から怒りがむくむくと湧き上がり、ずずずーっと溜まっていくものなのです。

そんなふうに怒りを内在化するほど、マミさんは自分を押し殺したのです。
そのようにしてまで、お母さんやお父さんを愛して、愛されたいと必死だったのね、と自分自身の怒りもけなげさも受け入れました。
「けなげだね。そうやって頑張ってきたのね。」

小さな子どもだった頃のマミちゃんにマミさん自身が「ごめんね、ありがとう」を伝えました。「そりゃあ、怒っちゃうよね。自分の喜びを無視しちゃったんだものね。」
そこで、ハタとマミさんがひらめきました。

「あれ?
自分が怒りを内在化していたからこそ、理不尽な目にあうという現実を作ってきたのですね。無意識に自分がいらだっていたから、それで、人からいらだちをぶつけられていたのですか。
わあ、潜在意識ってすごいですね!
じゃあ、自分にとって嫌な出来事がやってきた時に、なにか反応が起きたら、それを、ハイヤーセルフを選ぶという道しるべにしたらいいですね。」

そうなのです。辛い出来事に直面して苦しい感情、反応が起きた時こそ、そこで、カウンセラーやヒーラーのサポートを得て、傷の奥にある美しい本質、なくしてしまったと思い込んでいたエッセンスを取り戻すチャンスなのです。

【自分が変わると世界が変わる】
このようなカウンセリングを終えたあとに、今までマミさんにいらだちをぶつけていた方々から、次々に謝罪の言葉が届きました。
おとなげなかった、ごめんなさいと驚くほどあっさりと謝ってくれる方々ばかりだったそうです。すっかり職場は安心の居場所になりました。

それから、マミさんは、愛することを知りました。とても大切な存在がマミさんのそばに現れたことで学んだことがあるそうです。
「昔、お母さんが赤ちゃんの私を喪う恐れに耐えられなかったことも、いまは、とても深く理解できます、それは、人間だからだったのだと思います。
愛するがために、失いたくないという気持ちはすごくよくわかりますが、私は恐怖に打ち勝つというのではなく、恐怖を受け入れてから、いまここ、ハイヤーセルフを選びます。私にとって、愛はいまここにあります。自分を愛します。だから、愛すること、いま、幸せを感じること、愛を受け入れること、無条件の愛を学ぶことがハイヤーセルフの選択です。
いまでは、そんなに不安や心配をしなくなりました。
もしも、不安や心配を感じたとしても、いまは不安を感じるんだね、こわいんだね、としっかり身体も感情も感じて、流します。ネガティブな感情をなかったことにはしません。」

【一方方向からだけではなく多元的に物事を見てみる】
ネガティブな感情といわれる不安も心配も恐怖も、生きたい証、生きたいからこそ不安になるし恐怖に駆られるという側面があるのです。

【人生にたくさんの愛があることに気づき変化していく】
マミさんが癒やしの旅に出てから、離れ離れになっていたお父さんから思いもかけず、ことづてが贈られてきました。

「もし、生まれ変われるものなら、マミが赤ちゃんの頃からそばにいて、子どもの成長を見守りたい、そばで手助けしたい」
もはや、かなわないことではあるけれど、そんな言葉を生きているうちに聞けたことでマミさんはお父さんの愛を受け取ることができました。

しばらくして、幼いマミちゃんの声が収められたテープレコーダーの音声がお母さんからも送られてきました。

「パパは?パパどこ?パパ大好き、ママ大好き」と2歳のマミちゃんがたどたどしくしゃべっています。
パパ大好き、ママ大好きの言葉の後ろに愛をいっぱい感じて、マミさんの心の目に、パパとママに愛されて笑っている無邪気な子どものマミちゃんが見えるような気がしたとのことです。これからは、こんなふうに、素直に喜びを感じて、表現していきますとマミさんが笑顔で言いました。

【癒やしの旅は続く】
ともに癒やしの旅をした私にマミさんがくれた愛のぬくもりはあたたかい涙の贈り物です。
私の目にも小さくて無垢なマミちゃんと大人のマミさんが、手を取り合って、キラキラ笑いさざめき、エッセンスの光りを放ちながら、自分の幸せと自分の喜びに向かい、癒やしの道を歩いていく姿が映るようでした。
(キャラクトロジー心理学のカウンセリングスキルにはSAS、CCTなど多くのスキルがあります)なお、この文はマミさん(仮名)の許可を得て書いています。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : カウンセリング
どんな職種・お仕事をされていますか? : 心理カウンセラー・心理学講師・ヒーラー
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー99】

阪田 風子(さかた ふうこ)

作品タイトル : 化け物夫婦

エピソード
私の母は鬱病でした。確か私が高校2年生の頃。
父の自営業が苦しくなり、元々パートをしていましたがより給料の良い事務の仕事に変え、勤務日数も増やしたタイミングで。
慣れないPC作業、前人の人との引き継ぎの時間が短かく、しっかり引き継ぎができていないのにもかかわらず、怒られたりしていたのだと思います。
病院で診断されてはいませんが父は元々アルチューでお酒を飲むと、化け物に。
怒鳴ったり、物を投げたり、母を外に放り出したり。
全部は書き切れないけれど...
なぜ、離婚しないのかと常に不思議に思っていました。
母はとても優しく、強い人です。
父が飲んでいる時は、相手をしないとうるさいので常に睡眠不足の母。
その上、慣れない仕事、環境でまいってしまったのだと思います。
鬱病になった母は、別人でした。
天然で常に笑っていて、誰にでも愛想の良い母の姿が消えました。
私はどうしたら良いのかわかりませんでた。
母が鬱病になっても酒飲みは酒飲みです。
母を鬱病にしてしまった罪悪感からなのか、化け物化する頻度も多いように感じました。
でも、私も今まで通り過ごしました。
家事を以前より多く手伝ったりも、しなかった様に思います。
父を責める資格はありません。
鬱病の人の接し方を調べた時に‘’今まで通りに接する‘’そう書いた記事を見たときに、すっと納得しました。
周りがどう足掻いても、病気を治すのは本人自身だとゆうこと。
2年程、母は鬱病を患っていたと思います。
その間、家族は今まで通り過ごしました。
娘がアトピーなこともあり、ナチュラル思考な母は、鬱病の薬を飲むのも拒んでいたりもしました。
ですが、少し飲み、調節しながら、薬に頼ることなく、母本人自身で鬱病を治しました。
母はより優しく強くなりました。
表むきの説明しやすい鬱病の原因は事務の仕事です。
でも、なるべくしてなった。
いや、なぜ、これまでなってなかったんだ。
強すぎる。
母が鬱病になって、私は良かったと思います。
もし、なっていなかったら、
それこそ化け物。
化け物夫婦。
は今も、ラブラブ?です。
父もおじいちゃんになってきたので...
お酒も昔程は飲めなくなりました。
両親をみていて愛って不思議だなぁって思います。
母の心のレスキュー隊長は母自身!
家族や周りの隊員がちょっくら出動しました。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 家族
どんな職種・お仕事をされていますか? : 文房具のラウンダー
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー100】
山本 司津子(やまもと しづこ)

作品タイトル : Yさんと彼女の教える心理学との出会いが私の人生を変えた

エピソード
始まりは豊田市で開かれた心理学の体験講座。ヒーラーで心理学の講師でもあるYさんのデモセッションを受けて、自分の体の反応に驚き、惹きつけられる様に講座の申込みをした。気付いたら学び続けて10年。YさんとYさんの教える心理学との出会いが私の人生を変えた。

 振り返ってみると、女である私は望まれて生まれてこなかった。私は初めての子で、跡取りを期待していた父からは見向きもされなかった。だから女である事に負い目を感じ、女の自分が嫌でたまらなかった。虐待を受けて育った事もあり、両親を恨んで憎んで嫌っていて、そんな自分が許せないでいた。家は貧しく、だらしない父が恥ずかしかった。母を怒鳴り足蹴にする父が怖かった。私が19才の年に、両親に可愛いがられていた妹が、8年の闘病の末に亡くなった。まだ生きている自分が申し訳なく、愛されていない自分こそ死ねば良かったと思った。生きている事への罪悪感からか、食べ吐く摂食障害になった。この頃から父は、働く私のお金を当てにし始め、そんな父を蔑む事に快感を覚え憂さを晴らした。結婚してからは、同居する両親と夫との間に身を置く自分が苦しかった。どちらの指示に従えば良いのか、身の引き裂かれる思いだった。2人の男の子に恵まれたが、女の子しか育てた事のない両親に、やんちゃな息子達を責められるのが辛かった。思い通りにならない子育ては、出口のないトンネルを手探りで歩いているみたいで、孤独だった。厳しく躾けたつもりが虐待になった。次男が小学校で不登校になると、学校や周りから母親としての資質を問われてやるせなかった。指示通りに子育てができない負い目を夫に感じ、夫からも育て方を責められていると思いやりきれなかった。お酒だけが唯一の慰めになった。苦しくて苦しくて居た堪れなくて、キッチンドリンカーに逃げた。お酒の力を借りてやっと家事が出来る状態だったが、それでも良い母良い妻良い娘をやめられないでいた。頑張って頑張って頑張っていた時に、姉の様に慕い頼りにしていた隣人を亡くして張り詰めていた糸が切れた。鬱になった。両親は疎ましく夫が怖かった。夫と次男との間に入ってハラハラするのに疲れた。生きていたくなかった。消えて無くなり二度と生まれて来たくなかった。何年か精神科に通う内に、医者は診断して薬を出すが根本的な解決にはならないと思う様になった。カウンセリングに通い助けになったが、あまり変わらない現実に、深い所の癒しには時間が掛かると分かった。それならまず自分を知ろうとジェンダーや女性学を学んだ。より深い癒しを求めてカウンセリングも学んだ。救われたくて仏教や神道の講座に通った。学ぶ内に被害者でいたくないと思い始めた。でもどうしたらいいか分からないでいた。Yさんに出会ったのはそんな頃。

 Yさんの教える心理学は衝撃的だった。私は鬱で不幸なのは皆、周りのせいだと思っていたから、自分が周りに向けて防衛反応をしている事や、今の現実は自分が招いた結果だと習っても中々理解出来なかったし、受け入れられなかった。どうしても納得がいかず、Yさんに挑戦的な態度を取ったり駆け引きをしたりもした。「Yさんは本物のヒーラーだよ」受講を誘った友人の言葉の意味が分かるのはもうちょっと後になってから。基礎講座を何度も何度も繰り返し受けた。自分のネガティブな所ばかりが目に付いて辛かったが、自分の防衛反応を認められると、今の現実は自分が作っていると受け入れられる様になった。リレーション、ヒーラークラスと学びを進めると、どれだけ自分が未熟で幼いか、その幼さに引きずられていたがが見えてきた。でも自分を責める必要はないと、完璧では無い自分を許せる様になった。講座と並行してヒーリングを受けて心と体のメンテナンスをした。プロセスグループに参加して自分の傷と向き合い新しい体験を積んだ。Yさんに寄り添ってもらい、閉じ込めた本当の感情を体の感覚を通して感じた。プロセスワークの体験が癒しを進めてくれた。講座、ヒーリング、プロセスの流れの中でYさんのサポートを受けていく内に、暮らしの中で自分のする感情的反応に気付く機会が増えた。体の感覚を通して感情を感じられると、相手に感情をぶつけなくて済み、防衛反応からの行動が少なくなり、穏やかで安全な時が増えた。人間関係の問題には転移が関係していると理解が入り、そこから癒しへの道筋を知ったから、問題が起こった時の姿勢が変わった。自分の傷に向き合うチャンスととらえられるから被害者になる必要が無くなり、相手を加害者にしなくても良くなった。応分の責任とか自己責任が分かる様になり、「どうせ私は」と余り口にしなくなった。気付いたらアルコールに慰めてもらわなくても良くなり、キッチンドリンカーを卒業していた。あれほど嫌だった女である自分を受け入れられ、自身を慈しみ楽しむ事がこれからのテーマとなった。何をしたいかが分かって生きる目標ができた。何十年も悩みの種だった隣人達が一軒また一軒と引っ越しをして、ご近所トラブルが全く無くなった。両親への恨みや憎しみを支えに生きる必要が無くなり、私をこの世に送り出してくれた存在として感謝出来る様になった。住んでいる土地の境界線で何年も揉めていて、裁判で闘っていたが、自分の防衛反応に気付き、戦闘モードで勝ちに行くのをやめたら、裁判には負けたが私や夫の望んだ結果となった。怖かった夫が今では有り難い人になった。次男と夫は笑って晩酌が出来る関係となり、たまにぶつかる事はあっても、私は2人にハラハラしなくなった。夫や家族からの愛を素直に受け取れる自分になった。私が穏やかでいれば我が家は平和で、ぶつかっても何とかしようとせずただ私自身でいる事が1番安全と分かった。私の中の平安や穏やかさが現実として現れているのだと実感している。始めYさんは私をみて「世界で一番不幸そうな顔をしている」と思ったそうな。生きていると色んな事があるが、今私は満たされて幸せ。

 私はYさんを通して愛は在り方だと知った。ずっと知りたかった愛について、問わずして教えられた。愛には忍耐が必要とYさんは言う。そしてそれを実践して見せてくれた。依存させず時には厳しく、私達にも自分にも正直で、本当の権威とは何かを身を以て見せてくれた。私のペースでの学びや癒しを、ただ見守ってくれていた。そして私の気付きや変化を共に喜んてくれた。YさんがYさんとして居てくれた事が私を支えてここまで連れて来てくれたのだと思う。本物のヒーラーとして、いつも私の前を歩いて癒しの道筋を示してくれるYさんへの感謝で、レポートを終わります。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 知識を得た事。ヒーリング。プロセスワーク。寄り添ってくれたその人の存在。
どんな職種・お仕事をされていますか? : ヒーラー、プラクティショナー
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 山本美穂子さん




【エントリー101】
山﨑 里香(やまざき りか)

作品タイトル : 心からありがとうございます。

エピソード
宇宙元旦の日
クラブハウスでキャラクトロジートラウマの言葉が目に入り参加したのが美穂さんとの出愛のきっかけでした。
相談にものっていただけて
短時間で解決も驚きました。
そんな私は障害者
5年前より車椅子に乗っています。
車椅子になったのは原因は不明
パートナーに暴力をされた時にパニックを起こして声が出なかった時もありそれも関係しているかもですが眼振など体に異常が出始めていました。
だいぶ落ち着いてはきたものの眼振は酷かったです。
BTSは
4月より6回になります。
最近眼振なども落ち着いてきています。
ら美穂さんに心から感謝しています。

全ては必然
出愛に感謝
自分自身に感謝です。

最近のBTSは洗濯機で洗っているような気持ちよさです。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 美穂さんとの出愛 BTS
どんな職種・お仕事をされていますか? : 会社員
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー102】
吉田 美穂(よしだ みほ)

作品タイトル : 脳性マヒと眼振。癒しはどこまで効果があるのか?

エピソード
2021年4月clubhouseで初めて話しますと参加してくださったRさん

その声は震えていて、緊張すると声が震えると言われていた。
ゆっくりいいですよー。と色々お話しを聞くと、脳性麻痺やその他の障害があるも、とても前向きで明るい方。

ただパートナーとの問題やご家族とのことに関してもいろいろお悩みだったので、公開の場じゃない方が良いと判断し個人セッションでお話を伺うようにした。

ズームで初めてお会いした時
Rさんの目の震えが気になった。

今までの既往を聞くと、脳性麻痺、歩行困難、DVによる失語、家族間のストレスなど症状が酷くなる要因は多々あった。
緊張からの眼振かと思い、何度かコミュニケーションをとり、緊張が解れてきたのは感じたが、
眼振の幅が大きく落ち着かないため
定期的にBTSを受けてもらうことにした。

最初の3ヶ月は毎月2回ほど、その後は月1回で定期的にBTSを施術。

その間もclubhouseでお話ししたり、問題があった際にその都度都度で相談に乗ったりしながら
関係性を深めていき
Rさんも子育て1dayとアドバンスクラスを受講しトラウマ【心的外傷】について理解を深めてもらった。

現在6ヶ月セッションとBTS施術の経過として
眼振の軽減、心が落ち着き環境ではパートナーさんの心の在り方が変化し関係も落ち着いたそうです。

ご本人さんもとても喜んでくださっていて
癒し人として、今後も経過を見ながら継続してBTSを続けていきたいと思います。

癒すことがその方の人生を豊かにする
それをRさんと一緒に体験できて感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : BTS.カウンセリング
どんな職種・お仕事をされていますか? : グランドマスター
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー103】
ギザギザ 仮面

作品タイトル : 1円玉83枚で

エピソード
1円玉を貯めてあったので、これで切手代出せないかと84枚持って行った正確にはそれ以上、みっともないったらありゃしない、50のおっさんが、ちょっと困った客で、今電子化で現金が無い。電子マネーなら持ってたが、切手とかハガキは現金決済。助かったぜ

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 1円玉
どんな職種・お仕事をされていますか? : 作業所作業員
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー104】
大沼 真実

作品タイトル : 待つということ

エピソード
待つということ

大学一年の冬。
父の突然の死。

父が大好きだった。大切な人。心の支え。
父の死に大きな衝撃を受け、私は立っていられなくなる。部屋から出られなくなる。引きこもる。

睡眠薬を飲んで眠る。目が覚めた時、現実を思い出し絶望する。いつまでもいつまでも眠っていたい。

真っ暗闇。長い長い冬。

大学に行くこともできず、部屋から出られない私に、母は何も言わなかった。何も言わずにそばにいてくれた。ただひたすら待っててくれた。

私の心が回復するのを。

父を失って母も深い深い悲しみの中にいたし、大学にも行かず、部屋に引きこもる私に対してとても不安だっただろうに、母はただひたすら待っててくれた。

どれくらい経ったのだろう。暗い部屋で、ふと本棚の本を手に取る。父が小学生の私に買ってくれた児童書。

きらきら輝く世界がそこにはあった。

本を読む。

少しずつ少しずつ、生きる力が湧いてきた。

少しずつ少しずつ、部屋の外へ出る力が湧いてきた。

母が待っててくれた。何も言わず、そばにいてくれた。だから私は回復できた。

父を失って、母も悲しかっただろうに。先が見えなくて不安だっただろうに。

お母さん、私を待っててくれてありがとう。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 母がそばにいて、私が回復するのを待っててくれたから、回復できたと思います。
どんな職種・お仕事をされていますか? : 保育士
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 宇賀神栄子




【エントリー105】
岡崎 玲子(おかざき れいこ)

作品タイトル : 絶望の淵から見えた希望

エピソード
女性にとって、社会的にも経済的にも肉体的にも、まさに女盛りである30代の10年間を、まさか、苦しみと悲しみと、絶望の中で生きる事になるとは、
20代の若い時分の私には、まるで想像もしていませんでした。

当時、エステサロンの雇われ店長をしていたのは、29歳の時でした。昔から自分に全く意識していない所で、いつの間にかリーダー的存在になっていくような
運命をたどる事はよくあったのですが、何事にも手を抜かずに一生懸命に取り組む姿勢が評価されたのか、小規模サロンではありましたが、店長として
まさに、バリバリ仕事をこなし、月に200名程のお客様を、数名のスタッフでこなしていました。

「その日」は、何の前触れもなく、ある日突然訪れます。

その日のお昼を食べ終わった後に、「あれ?さっき食べた食べ物、腐っていたかも知れない。。。」という思いが頭をよぎります。
次の瞬間、大きな不安感、ドキドキという鼓動、吹き出す汗、フワフワと自分が自分の体から抜けるような感覚、
そして瞬時に、「死ぬかもしれない!!!」という強い恐怖心と躁焦感、これらが一気に私にのしかかってきました。
今、自分に起きていることが何のか、全く理解できないまま、30分程経過していたでしょうか。(体感覚は3時間程に感じます)

その日を境に、私は毎日毎日不安の中で生きる事になりました。「またあれが襲ってきたらどうしよう…」と、もやもやしたまま、時間だけを過ごし、私が病院を受診したのは随分と後になってからです。
当時はまだ、パニック障害(症候群)という言葉がほとんど知られておらず、病院の先生でさえも、病名を付けるのに迷ったり、どうサポートするのが正解なのか分からず、
ただ薬を処方するしかなかったように覚えています。

私が「これは病院や薬では治らないたぐいのものだな」と察するのにそう時間はかかりませんでした。

当時の私は、「自分を大切する」「自分を好きになる」その事の意味が全く理解できないようなタイプの人間でした。
誰かが悩んでいたら、自己犠牲をもいとわないで自分の事の様に捉え、踏み込み過ぎて解決しようとしたり、
安いお給料にも拘わらず、上司に自分の希望を伝える事も出来ず、もやもやしたまま、毎日がむしゃらに働く。

プライベートでは、好きでもない人とのお付き合いを繰り返したり、浮気されたり…
しまいには、一緒に居ても全く笑顔になれない人と、婚約までしていました。

その後、その人と結婚し、生活を共にするわけですが、とにかく私はパニック障害を治療したくて、ありとあらゆる事を試します。

まず、東京まで気功教室に通いました。家ではなるべく笑えるように、お笑い番組を見ました。
占いや、スピリチュアルカウンセリング、ヒーリング、吉方位への旅行、吉方位へ引っ越しまでしました

その後も脳のデトックスヒーリング、前世療法、針や、ヒーリング付き整体、数々のセミナーなどなど。
それはそれは、ありとあらゆる角度から、良いと言われるものは全て試しました。

お金と時間をかなりかけてきたのです。それでも心の病は全く良くならず、それどころか、病名がますます増えていったのでした。
最終的に私が悩まされる事になったのは、『パニック障害・鬱・全般性不安障害・強迫神経症・広場恐怖症』合計5個の心の病です

これが自分の身に起きているなんて、そして今、この瞬間、「私がその当事者である」という事実をを思う事は、本当に本当につらく、苦しく、暗く、生き地獄であり
まさに「絶望の淵」のところに居たのです。
この時点で自らの命を絶つ方も沢山いるだろうな…と心の底から思いました。この状態で生きていて、何の意味があるのだろう。とそんな風に思う人も多いのではないかと思います。

私もその一人でした。

それからも、良いと言われることは藁をもすがる思いで沢山してきました。
その都度その都度、「なんか、良くなったかも!」「あ~そうか!」と、一旦前進したかの様に感じますが、数日経つと元通りでした。

最初の病気発症から10年以上が経っていた43歳の時、友人を通して「キャラクトロジー心理学」を紹介されました。
その時の私の心の声は

「心理学?今度こそ治せるかも」 という声と「またどうせダメかも…」という2つの声が聞こえてきます。
どちらの気持ちも持ちながら、講座に申し込みをしました

キャラクトロジー心理学には沢山の講座がありますが、ベーシック1DAYは、今まで私が見聞きしてきた世界とは全く別の世界観でした
その人の思考や反応のパターン、勝手に繰り広げてしまう頭の中の世界、神経や筋肉や心の使い方でその人の骨格や見た目の構造までをも造っている事
お腹の中に居た時の体験から、小学校へ入学する頃までに、習い覚えた「この世界ってこんな場所なのね」と結論決定づけたその体験が、今の自分や、心の病までをも作り出していること。
それらを知れた事にまずは、驚きと同時に、深く納得し、まさに今の自分がそれに該当していると大きく腑に落ちました。

そうだったのか…それらをもっと深く学んで今の自分の状態が少しでもよくなるなら…と、興味を持ち始めます。
そして、どんな風に自分を癒していったら良いか、その道筋を見つけることが出来ました

安心で安全な仲間と学び合える事は、私にとって大切な時間となっていったように感じます。
キャラクトロジー心理学に出逢ってから、もうすぐ丸3年となりますが、私にとって大きな足かせとなっていた心の病の事も、
「なるほど!こういう理由でこうなるんだ!」という理解が入り、それらを「予防する事」「もし起きてしまった時の対策」「助けてもらう重要性」
など、沢山の事を毎日のように知っていき、そしてそれを1つ1つ丁寧に扱い、
今では、自分を一番大切にすることが上手になってきました。

また、キャラクトロジーの各スキルによって、「私は特別でないと愛されない」という誤解があった事にも気づき、だから一生懸命に人の期待に応え
疲れ果てていたのだなと知り、「生まれて来ただけで無条件に愛されている」という認識に変わったのも、大きな変化の一つです。

こんな『在り方』に出逢えたのは私にとっては初めての経験でした。

今までの他の学びでは何か、「物足りなさ」をおぼえた私でしたが、キャラクトロジー心理学では、「そうそう!わたし、こういうことが知りたかったの!!」
という感覚になっていったのです。

人はそれぞれに、何かしらの学びを持っていたりします。今はベーシックマスターとなり、多くの方の悩みをヒアリングする頃も多くなりましたが、
ほとんどの方に共通して言える事は
①1人で悩んでいる
②解決の糸口が見つからない
③然るべき場所へ誘導してくれるカウンセラーに巡り合っていない
④今の治療で効果が今一つ見られない
そんな方が多くいらっしゃるかなぁと感じています

キャラクトロジー心理学の学びでは、よくあるテクニックや方法論とは違い、一生をかけて使っていける、また、自分の子供や次の世代へも渡していける
「心の在り方」「自分と仲良くなる」「本当の意味で癒される」
これらを身に付けることで、ありとあらゆる場面において、応用が利き、問題解決の糸口が見つけられます。

今私は、絶望の淵に居たあの頃の私とは違います。

自分の人生の舵を自分でとる為、今の自分に出来る、最善の選択をしようとしている自分の 「在り方」 に誇りが持てるようになってきました。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 講座 仲間からのサポート
どんな職種・お仕事をされていますか? : 美容系
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー106】
清水 泰子(しみずやすこ)

作品タイトル : キャラクトロジーと出逢って

エピソード
会社で、私の隣に仕事のできない人がいました。それが不満でした。
そして、周りも私にばっかり仕事を押し付けて、上司も、仕事ができない人にはやらせなくても良い。そう言われるようになって、私は不満で爆発しそうになりました。

仕事は、明らかに95対5の割合で私がこなしている。それなのに給料は同じ。そんなのってある?

心の中は不平不満で満タンになっていました。そして、それをずっと我慢して、私さえ我慢すれば会社はうまく回るからそれで良いと、自分の言いたいことも言わずに我慢を重ねていました。

そして、ある日、我慢にも限界がきて、退職を決意します。
このままここにいたら、私の心が壊れてしまう。そう思って、初めて自分のために、自分を守るための決断をしました。

そう決めた時、キャラクトロジーに出逢いました。
そして、これらのことは全部私が創っていたこと。私の願いが叶っていただけだったのです。

仕事ができる私はすごいでしょ。だから私を認めて。みんな私のことを頼りにしている。そこに、私は自分の存在価値を見出していたのです。
そして仕事のできない人のことを否定し、そのうち会社のみんなに対して、その人は仕事ができないという意識を定着させていこうとした。
私の周りに仕事のできない人が必要だった。自分の存在価値をアピールするために、自分が作っていた現実だったのです。
本当にすごいことです。自分の望みが叶っていただけなのです。

会社を辞めたのは、「自分が決めたこと」これは、世間に対する自分を守るための言い訳だったことに気づきました。
本当の私は、こんなひどい会社で頑張ってきた自分を、悲劇のヒロインに仕立て、同情や賞賛をもらおうとしていたのです。
だから会社も憎んだし、私が会社を辞める時に誰も声をかけてくれなかったことにも平気を装おい、それさえも悲劇の材料にしました。

私は、被害者意識に入って、加害者を作っていたのです。

心の仕組みがわかった時、これまで私に起こってきた事のすべての意味が解明され、自分の中ですべてが腑に落ちました。

もしも、小さな頃から、心の取り扱い方を知っていたなら。
争いや憎しみ、悩み苦しむことなく、生まれたときの自分のエッセンスを発揮して人生を送ることができるのに。

そう思い、私は小さな子供たちに、心の仕組み、取り扱い方を伝えられるよう、自分を癒し、学びを深めていきたいと思っています。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 1day講座
どんな職種・お仕事をされていますか? : 経理、事務
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー107】
田中 都(たなか みやこ)

作品タイトル : 自分の居場所は、いつも無いと思っていた人生からの変容

エピソード
2020年、6月に看護師の仕事を退職する
ことを余儀なくされ、また新しい仕事探しし
てる時にclubhouseアプリで、リアルで会っ
たことのある
吉田美穂ちゃんとの声での再会 心の中では
『美穂ちゃんキャラクトロジーやってたんだ
ー』 仕事を辞めたばかりの私 にとっては、
失業保険を貰いながらの求職中だったんで
時間だけはたくさん有った。 

朝、美穂ちゃんが開催してるお部屋で、
お部屋に来る人の美穂ちゃんとの話を聞い
てるだけでも楽しかった、そして自分の現実
にも当てはまることが沢山、まだその頃は
仕事してなかったからキャラクトロジーR
の1DAY講座は受講できなかったけど初めは
無料のカウンセリングコンテンツから始めていき
9ヶ月後の3月には美穂ちゃんからclubhouseの
お部屋で話してる時に『都さんバウンダリー講座
から始めてみるといいかも』声かけてもらい
バウンダリー講座から始めてみた
就活しながら少しずつ子育て、恋愛1DAYを受講
できるようになり、私の中でもいろんなことが
変わり始めました。 まず私の金銭感覚が
おかしくなって散財して私の借金返済もしてくれ
6年前に離婚した元パートナーに対して、
キャラクトロジーRを学びだして葛藤もしながら
前は本音を言いたくない!言っても伝わらない 
と思い込み、けど私の心の中には『本当は、
私はテルくんともっと仲良くなりたいんだ』
可愛い素直な私がいて。可愛いな?って
自分の事が愛おしいくなり 
仕事に関しては、勤めても長くても2年、短くて
3ヶ月で辞めるか辞めされるばかりを経験してい
ましたが、2021年10月に入り看護師で
失敗経験してきた事が生きる、社会福祉法人
幼稚園の病児保育看護師として正社員の仕事にも
ご縁を繋げた。居るだけで本当に自分の経験が
仕事になるところに立ち『あなたは居るだけで
いい場所』そして今まで経験した事の新しい形
11月17日には個人事業主としても
スタートすることにチャレンジしていきます!
キャラクトロジーRの道しるべにいて、
こっちだ?よ。と教えてくれた美穂ちゃん 
ほんとうにありがとう。 
これからも新しい世界に開いていく
私によろしくね。。。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 吉田美穂ちゃんの存在
どんな職種・お仕事をされていますか? : 准看護師
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー108】
大村 素子(おおむら もとこ)

作品タイトル : 医師のことば

エピソード
母の最期の日々を自宅介護し、日に日に弱っていく母を看ていて、別れが近づいて居ることで神経が張り詰めていたときに訪問医師が明るく、
「お母さんはこの病気では死なないよ。」と言った。
そんな慰めなんて、信じられない状況なのに、この人は何を言い出すんだと思い先生を見ると「寿命で死ぬんだから」と。
張り詰めていた気持ちに温かく染みこんだ。
そして「お母さんのことは、僕たちに任せていいから、お父さんを気にしてあげて。お母さんの病気に君よりも辛い気持ちにに鳴っているよ」と言われました。
父と母はいつも一緒の仲がいい夫婦だった。父にとって弱り旅立ちが近づいている母の状態は受け入れられない辛いことだった。そして母も父を遺していくことが辛いことだった。その日から、「母は寿命で死ぬだけ」と心の中でつぶやき父に寄り添うことに専念し、父には私が居るんだよと心の中でつぶやいていた。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 医師
どんな職種・お仕事をされていますか? : 無職
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 遠藤郁夫医師




【エントリー109】
岡村 淳子(おかむら じゅんこ)

作品タイトル : 私の心の傷

エピソード
父と母と姉の関係で傷がありました。
それが現実に再創造されてどうしたらいいか分からないぐらい追い込まれて現実逃避することを繰り返していました。
プロセスグループやヒーリングで自分を癒し、SASも受け、やっと戻ってこれました。
癒してきてのギフトもあり、本来のエッセンスの状態を思い出すことができました。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : プロセスグループ、ヒーリング、SAS
どんな職種・お仕事をされていますか? : 主婦、業務委託
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 木下佳代さん




【エントリー110】
岸本 明子(きしもと あきこ)

作品タイトル : パワハラの恩恵

エピソード
☆またパワハラか...

2021年3月、
急に怒りのテンションで店長に恫喝された。
2日連続で。

何なの?
嫌な人だな。
ほんと、どこにでもいるよね、
こういう人。

吊し上げを食らったり、
給料未払いがあったり、
セクハラ混じりのモラハラを受けたり、
よくあることだったから、
あいつムカつくな!
これで終わらせて、
あとは気にしなければいいや。

そう思っていた。

ポジティブだし、
我慢強いし、
笑顔でいられるし、
起こってきたことは
全部いいことになるって
信じてるし。


☆初のセッション
たまたまクラブハウスで聴いていた
吉田美穂ちゃんのルーム。
メルマガの特典で
セッションを予約していたら、
たまたまパワハラを受けた翌日だった。

我慢か辞めるかしか選んでこなかった私に
「休んでみたら?」
という選択肢を与えてくれた。

奇跡的に心療内科の予約も取れたから、
診断書を書いてもらって
休職生活スタート。

この選択肢以上に衝撃だったのは、
それを引き起こす雛形が
自分にあるということだった。

え?
悪いヤツが悪いんじゃないの???

え?
私なの???

え?
ちっちゃい時の
お父さんとの関係性って
どういうこと???

え?
もう40年も前なのに
今も引きずっているってこと???

え?
ま、ゾ、キスと???
なんじゃそりゃ。


☆初のプロセスグループ
どんなことが起こるのか、
興味津々。

なんだかやたらと口から出てくる
「怖い」の正体がわかった。

講座を受けても
全然ピンと来なかった
スキゾイドのキズがあった。

安心安全な感覚がなかった。

ワークをしていただいた時の
あたたかさ。
心強さ。

あぁ。
安心、安全ってこういうことか。


☆「怖い」が減った。

プロセスグループが終わってから、
安心安全な感覚を思い出すということを
繰り返していくと、
「怖い」と言う回数が減ってきた。


☆持っていなかったもの。

いつもビクつくのは
権威者のワーク。

言うこと聞かなきゃ。
褒められるようにしなきゃ。
怒られないように
いい子でいなきゃ。

これがしっかり染み付いている。

繰り返し
繰り返し
セッションを受けて
少しずつ
少しずつ
気付いていく。

私を守るのは私。
私のボスは私。

大事な人の中に
愛する人の中に
自分自身をちゃんと入れること。

自分を全力で守る強さ。


☆復職

今までは、嫌な上司がいたら
辞める選択肢しかなかった。

キャラクトロジー心理学に出会ったおかげて、
学んでいるおかげで、
いろんな角度から
癒していけるおかげで、
自分史上1番びっくりな
同じ職場に復職した。

反応が出る自分がいるけど、
だんだんだんだん
店長に対しての怖さが抜けていく。

固まらずに話せるようになっている自分。

こんなに、こんなにも
自分が変わることで
周りがどんどん変わっていくことを
実感している日々。

もうすぐ、冗談を言い合えるかもしれない。

今日もまた感じて気づいて癒していこう。

そして伝えて行こうと
改めて決意しました。

いつもありがとうございます。

岸本明子


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 吉田美穂さん
どんな職種・お仕事をされていますか? : 販売員
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : きしもとあきこ



【エントリー111
納戸 裕依子(のと ゆいこ)

作品タイトル : 心の支えが大事

エピソード

私は小さい頃から親はもちろん、周りの大人の顔色を見ながらまるで義務のようにご機嫌をとる、周りの雰囲気が悪くならないようにするための行動を常にして来ました。(頼まれていませんが笑笑)


そんな小さい時から自分を見失っていて、自分がどう感じているのかさえ分からなくなって30年以上経っていました。

今から約6年前が1番症状として酷かったのですが、自分さえ我慢してやるのが1番良いんだ。と仕事でもプライベートでも自分を置き去りにしていたせいで、人との関わりが本当に悪くなり、悪い事してないのに急に怒鳴られたり、誤解されたりで、一番死にたいと思いながら毎日過ごしていました。

顔も目頭あたりがただれたみたいになり、シルが出て仕事柄この顔でやっていくのが耐えれなくもなり、ますますわたしの人生終わったと思っていました。

その時に、ふーちゃんが私の前にフッと現れました。初めて会ったのに初めてじゃないみたいで、心から私の本音を話せる人が来てくれたんだ。と初対面で思いそれから何度も何度も何度も話しを聞いて、アドバイスをくれて、時には突然泣きながら電話して呼び出したり、夜遅くでも電話してくれたり、、、

私の気持ちを聞きながら、必要なアドバイスをくれて、その時に私の考えてる事は相手は考えてないんだ。
と気持ちや考え方の整理が少しずつ出来る様になりました。

自分を取り戻し、本当にやりたい事に目を向ける事が出来るようになったのも、人の顔色だけをみるだけじゃなく、その時に感じた事を相手に伝える事、前を向いて日々を過ごしていけてるのもふーちゃんがいたからこその今だと本当に感謝の気持ちでいっぱいです!!

私も誰かの明かりを灯せるよう頑張りたいと思います

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : その人の存在
どんな職種・お仕事をされていますか? : エステティシャン
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦



【エントリー112
渡辺 由紀子(わたなべ ゆきこ)

作品タイトル : 思えばあの時があったから

エピソード
キャラクトロジー心理学協会に入り、学びやセッションやコミュニティ、プロセスグループで沢山の人と知り合い仲間になりサポートして頂いてやっとここ迄辿り着けたんだなぁ?

今迄、何度も助けて頂け印象深いのは数々ありました。

1番はキャラクトロジー心理学に出会えた事。
そして、きっかけとなったAさんとFBで偶然繋がりキャラクトロジー心理学の事を知り繋がれた事が私にとって最大の幸福だと思いました。


遡ること2018年8月末

その頃、夫とは連れ子の息子に対しての時には手を挙げるやり方に我慢ならず恨みが募り、感情を抑えれなくて喧嘩ばかりの日々でした。
しょっ中家を飛び出してました。

息子は就職して一年で仕事を辞めて引きこもり益々夫からの圧がかかり冷や冷やしてました。

娘は小学一年生。学校で怖い思いをしていて一学期間、ずっと誰にも言わず我慢して夏休み前から不登校

そして、とうとう夫が急に仕事を辞めて来たと??


そんな大ピンチな時!
私はFBでAさんのプロフィールの言葉で感謝と言う言葉に素敵ですね。
と、コメントしたことがきっかけで


キャラクトロジー心理学の話を聞きました。


そして、少し躊躇していたが、夫が仕事辞めた時にこのままでは、家計が破綻する??という危機感から、Aさんにキャラクトロジーの入門とベーシックのワンデイを受けました。
 
ワンデイの時には、可愛い個室の部屋があるカフェに設定して貰いました。
家での修羅場からは縁のない安らぎのある空間。
それだけでも嬉しかった。


そこで、ワンデイ受講時にSASをして頂きました。
SASでは、私が自分では気づけない感情を代弁してくれているかの様な言葉がけをされ、私は信じられない程、号泣しました。そして自分にエッセンスがあるとか自分にはなかったが、エッセンスを見つけてもらい、これも初めての様な

何もかもが予想も出来ない事ばかりで感動しました。


そして、その時からマスターになりたい??大好きなキャラクトロジー心理学を知り、これを一生やりたいと思いました。 


そして、びっくりしたのは、新学期になりとうとう娘が、学校行けないと泣き出し
Aさんに教わったグラウディングを2人でし
それでも泣いていたので、娘にSASで私が言葉を投げかけて貰った様に娘に言葉をかけて行く内に

私の丹田の奥に響く様にあっ??これだったんだね??
えーこんなに辛かったのー??

まるでありもしない臍の緒があるかの様にその瞬間娘と繋がり、ただ凄くダイレクトに繋がった感じがした。

その瞬間娘が汗をかいて私の肩にうな垂れて全身の力が抜けた状態でもたれて来た。

あーやった??と言う感触があった。

あんなに怖がっていて、これはどんなに言い聞かせてもダメかと思ったが、学校に行くと行って私と一緒に行けた。

翌日も次の日も朝になると行かないと言ったが同じ様にすると、どんどん怖がらなくなり
自分から学校にいける様になった。


私の方はそれからも夫とは、何度も大喧嘩をしていた。

その度に、Aさんが私と繋がってSASをしてくれました。
1回のSASだけでも、家を飛び出し帰ったら既に夫はお酒を呑んでいるにも関わらず、いつもの様に怒鳴らなくなりました。

回を重ねて行く内に間隔が長くなり
2、3ヶ月ぐらいで、喧嘩しても私が飛び出さないでも大丈夫になりました。

そうしてプロセス心理グループには紹介して貰い、プロセスグループのお世話をして下さってるマスターYさんを紹介して貰い。
当時、引きこもりで本人も悩んでいた息子も一緒にプロセスグループに参加する事が出来ました。


息子は、その2ヶ月後には引きこもりの支援団体の施設に行く事を決意して石垣島に行きました。


あれから3年
夫は基本優しくしてくれます。大喧嘩はなくなりました。


娘はよく歳もお試しがありましたが乗り越えれました。

息子は就職して新たに試験を受け合格しました。
近いうち北九州市の勤務地に職場を移り帰って来る予定。


夫と息子は今では仲良く信頼し合えています。特に夫が息子のことを一目置く様になりました。


あの時の出会いがなかったら今の我が家と家族はそれぞれの幸せはなかったと思うと

1番初めに助けて頂いたAさんには、感謝です。
私の1番はキャラクトロジーに繋いで貰えたAさんとの事でした。


このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 人との出会い。親身に関わってくれた優しさ
どんな職種・お仕事をされていますか? : 訪問ヘルパー
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 自薦




【エントリー113
浜田 陽子(はまだ ようこ)

作品タイトル : 「自分でいるということ」

エピソード
このレポートがうまく伝わるかどうか、
私がお伝えしたいことはとてもとても繊細な部分だと思うから。
けれど同じように感じている人がいたら
その方に伝わればいいなと思います。

これを読んでくださった人は、「自分でいる」ことがどういうことか知っていますか?それってどんな感じでしょう?

私はかなり幼い時から自分の内側に閉じこもりがちなのに、意識はものすごく外側を追いかけるような、人の些細なエネルギーも全部拾いあげようとするような感覚を持って育ってきました。
それが辛くなってきた頃、
今度はその感覚を感じまいとマヒさせ、感覚や感情をあまり感じないで、
こういう時はこういう表情をしていたらいい。
こういう時はこう振る舞えばいい。
といい子でいられることだけが、自分の指針となっていました。
これが続くと、
人と人のコミュニケーションが取れません。
友達同士だと、なかなか本当の自分、楽にいられる自分で友達付き合いができず、疲れてしまって疎遠になってしまう。
好きだなと思う男性が現れても自分がどう感じているかが分からないので、表面的にうまくやろうとしても、歪みが出て、ちっとも上手くいきません。
私は何のために生まれてきたのだろう。
誰かに愛されたり本当の愛を人に向けたりできるのだろうか。
いつも虚しく自分に自信のない毎日を過ごしていました。
何が不幸なわけでもないのに、いつもこのようなモードで過ごすということは、気持ち的にはずっと薄暗い中をどんより歩き続ける感じでした。

キャラクトロジー心理学のベーシック講座などで知識として心の仕組みを学んだり、プロセスグループを受けて体験したことのない感覚を体験として自分の体感から得ることをしたり。
ヒーラークラスで知覚を感じる体験を積み重ねたりと今まで使ったことのない感覚に開いていく経験を積み増さねました。
いかに自分の本当を感じていなかったかということが分かり、
体験の中から自分の内側につながる感覚を感じられるようになりました。

自分を癒すと決めていたのもあり、様々な学びととも
ヒーリングやセッションを受け、たくさんのサポートを受けました。

癒していくことは、玉ねぎの皮を外から1枚ずつ剥がしていくことと例えられますが、ヒーリングやセッションを受けることで、一つずつ自分の目の前の道が開けてきて、自分にパワーを取り戻し、勇気を出してチャレンジすること、そして何より自分の内側と繋がる、自分が何を感じているかわかるということができるようになってきました。
この状態になると、どんよりしていた毎日も要所要所に光が見えてきます。また、友達との中に信頼関係ができ、自分の思いを伝え、相手の思いを聞く。受け取ることができる。他人と自分の違いが分かり、さまざまな考え方、思い、感じ方があること、人の背景に目を向けられるという視界が開けた状態になっています。


ですがそんな状態になっていても、
深いところでなかなか自分を信じられない
いつも足が安定したところに着地していない
自分の感覚としてはその地面の底に足をチョンとつけることが
恐ろしくてたまらないという感覚が残り続けていました。
怖いので何かにしがみつかないと生きていけないような感じです。
実際に自分の生活や仕事、お金にまつわる中で問題として浮き上がっていました。
怖さからの行動になるので、上手くいきそうなことも結果が出ない、なんか上手くいかないという状況でした。

あるヒーラーさんのセッションを受ける中で、
この怖い感覚を一緒に知覚してもらいながら、傷の中にダイブしていくような経験をしました。
一つ一つ自分の体を感じてその時は仙骨あたりのゾワゾワするとっても嫌な感覚を感じ続けました。こういう感覚を感じる時、誰かがいてくれるからこそ、感じ続けることができるのだと思いました。
何度も何度も自分の体を感じ続けながら、下へ下へと深く降りていく感覚は今も忘れられません。
そして、ピタッと自分の足裏が着地したのを感じたのです。
あ、何にも怖いものなんてなかったんだととても静かで安定した場所でした。こここそが自分がいる、ただ「在る」場所なのだと確信が持てました。

そのセッションを受けてから
私は自分の中に安心できる場所があることが、ただの理解としてでなく
全身でそして感覚でわかるようになりました。心も体も安心しリラックスした中でいられる、そして私でいられるようになりました。
実生活で、ソワソワしたりザワザワ落ち着かないような反応を起こすことは今でもありますが、どこに戻ればいいかがわかっているのはとても安心できます。
他人にこの落ち着かない感じや嫌な感じを感じた時、誰かにこの感覚をどうにかしてもらったり取り除いてもらおうとするのではなく、
自分が自分の一番安全で安定した場所に戻レバいいことを知っている。
これは生きていく中でとても大事で、大きいことだと思います。

この感覚的なことは
学校でも学んでいませんし、親もきっと知りません。
病院に行けば治してくれるものでもありません。

けれどこの些細なこと
些細に思えるようなこの感覚を人は持ち続けてしまう。
そのうちそれが当たり前になり、本来もっとその人らしく輝けるのに
それを知らないまま一生を終える。
それはあまりにももったいないことです。

私はずっとこの感覚を得たかったし
どうすればその道が開け自分のこのどうしようもない、人には表現できない感じを解消できるのか、何十年も求めていました。

友達の紹介で知ったキャラクトロジー心理学や
美穂子さんからの学び、プロとして活躍されているヒーラーさんやカウンセラー、セラピストたちとの出会いは私の人生を大きく変えました。

諦めなくて良かったと今はそう思えます。
そしてこれから、このどうしようもない伝わりにくい感覚を知っている自分、そこから変わることができることを経験した自分を最大限に活かして
キャラクトロジー心理学を伝えたりカウンセリングをしていこうと思っています。

このエピソードの中で、あなたは何によって癒されたと思いますか? : 受講による学び、ヒーリング、カウンセリング、各セラピストの存在
どんな職種・お仕事をされていますか? : アート講師
今回の応募は自薦/他薦ですか? : 他薦
他薦の場合はその方のお名前をご記入ください : 石川舞衣子さん、山本尚美さん





開催要項

参加費
無料
場所

定員 100 名
お問い合わせ先 一般社団法人 HITキャラクトロジー心理学協会
お問い合わせ先メールアドレス info@heartintouch.net

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現在開催予定はありません