神戸小顔カレッジ卒業、一般社団法人日本マヤ暦セラピスト協会認定 マヤ暦ソウルナビゲーター、マヤ婚シェルジュ、一般社団法人パワーストーンカウンセラー協会認定講師、パワーストーンカウンセラー/マスターナビゲーター、さとう式リンパケアインストラクター、ゴールデンオーブディクシャギバー、5次元ヒーラーティーチャーズコース終了、アルティメット・エナジェティクス(UE)プラクティショナー、現代レイキティーチャー
中学校の部活は吹奏楽部。希望楽器はくじで負け続けパーカッションの時に勝ったのが私とドラムを結びつける出会いでした。舞台に出る機会も多くなり、部活は楽しくて仲間の中では自分を出せるようになっていきました。大人になり仕事をしながら22歳で結婚し数年後出産。働きながら人間関係に悩み「泣いてばかりいるお母さんをやめましょう」と誘われて20年前に行ったのがセドナです。「この決断が、私にとって運命を開く鍵となります」セドナへ向かう真っ暗なバスの中で魂の奥底からこみ上げてくるものがあり、何故だか涙が溢れてきます。その理由が、翌日のセッションでわかったのです。一番近い前世がネイティブアメリカンのホピ族であったことを告げられ、だから吹奏楽でパーカッションだったんだと納得しました。貴女は将来一度に多くの人を癒すヒーラーになります、と言われたことをキッカケに、スピリチュアルな事に興味も持ち始めたのです。 「それからも私の人生は、次々と試練が襲ってきます」 阪神淡路大震災、そして私にとって最も辛かったのは職場での7年間にわたるパワハラでした。 普通の人なら半年でこの世にピリオドしてたと思います。でも、私は子供達を育てないといけないという思いで必死でした。ちょうどその頃、息子もいじめにあい自殺未遂、登校拒否。次第に自分の身体に支障が出始めました。毎日、吐き気、心臓痛、喘息、眩暈、動悸、そしてみぞおちにずっしり悲しみが居座ってとれなくなりました。これが鬱なんだとわかったのは少し経ってからです。そんな苦しい時代のある日、職場で隣の席の方が30代の若さで突然亡くなりました。その頃から、私の人生観が変わり始めたのです「後悔のない生き方をしないといけない」 でも、精神状態がギリギリな私にとって、すぐには難しい課題でした。周りを見ると楽しそうに生きている人がいる。..
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