今回も参加されてるみんなの具体的なお話の流れからの講義や、実際身体を使ったエクササイズから、受け取らせていただくものがたくさんありました。
なにも考えず、
ハートにいることだけ意図して、
(相手のハートあるいは宇宙を観る感じるも意図したりもあり)
そうして、人に触れ合う、というのはなんと安らかなことでしょうか。
とても穏やかで気持ちいい時間でした。
個人的には、言葉がない、ということ..
今回も参加されてるみんなの具体的なお話の流れからの講義や、実際身体を使ったエクササイズから、受け取らせていただくものがたくさんありました。
なにも考えず、
ハートにいることだけ意図して、
(相手のハートあるいは宇宙を観る感じるも意図したりもあり)
そうして、人に触れ合う、というのはなんと安らかなことでしょうか。
とても穏やかで気持ちいい時間でした。
個人的には、言葉がない、ということもハートにいる助けになります。
(今のところ、言葉を使うと思考優位になりがちで。
でもいつか、ハートにいながら、話しができたらいいなあと思います)
そして、こんな風にもっとシンプルに生きたいと感じました。
人に丁寧に尊重をもって接すると、
同時に、自分自身にも丁寧に尊重を持って接してる感覚があり、満たされます。
実はそれをなによりも渇望しているのだということも感じました。
なにかをしようとせず、
『在るだけでいい』
ということは、頭では知ってても、
体感する機会は日常ではなかなかなく、ありがたい機会でした。
また、あらゆることの動機が、恐れ、自己防衛、被害者意識からなのか、
自分と相手に敬意を払うことからなのか。
前者を無意識にやっているので、観察してみます。
(自律、自主性に直結しているところ。そうだ、これは創造性や自由にも直結している!)
あ、エクササイズでやった、『見る』という行為は思考が動くことも多いですが、
花や動物などを見るときは、
自然とハートから見ることが多いのか、その場合は思考がそんなに動かないです。
つまり、恐れ、自己防衛、被害者の意識で見てないんですね。そういうときは。なるほどー。
色々発見があります。
どうもありがとうございました。
また参加するのが楽しです。^_^