- 「彩龍と極鳳凰展」
- 今わたしたちの闇が光とひとつになる
2020年9月2日(水)11時〜15時
北野クラブsola二階 天空の教会にて
- *演出のため、天空の教会でのパフォーマンスおよび彩龍と極鳳凰作品の観覧は、3回公演、人数限定、事前予約制となっております。
- ①11:30〜(11:20開場) 定員25名
- 出演: (歌)橋本知佐子/ (舞)山内可奈/(ライアー)青山真理・鈴木ともみ/(シンギングボウル)小黒まどか/たみのともみ
- お申込み→こちら
- ②13:00〜(12:50開場) 定員25名
- 出演: (歌)橋本知佐子/ (舞)maki okako/(ライアー)花空エリ/(シンギングボウル)藤本ひとみ/たみのともみ
- お申込み→こちら
- ③14:00〜(13:50開場)定員25名
- 出演: シークレットコラボレーション(お楽しみに)/たみのともみ
- お申込み→こちら
- お一人様 1800円(事前払い)
*1階にて新作、およびこれまでの作品の展示・グッズ販売を行っています。こちらは11:00〜15:00まで自由にご覧ください。(会場内での飲食はご遠慮ください)
*小学生以下無料
*チケットご購入者さまは、Facebookの非公開グループにてライブ配信(後日視聴可能)や製作裏話などもご覧いただけます。
*チケットご購入後、来場が難しくなった場合は、オリジナルポストカードセットを郵送にてお届け、Facebookグループにて配信映像をご覧いただけます。(たみのともみ迄ご連絡お願いいたします)
しまだいギャラリーにて開催した「彩龍展」から約1年。
ようやく対となる鳳凰の作品をお披露目できることになりました。
この鳳凰作品を「極鳳凰」と名付け、新神戸にある北野クラブsola内にある「天空の教会」にて、1日限りの「彩龍と極鳳凰展」を開催いたします。
「彩龍」が光であるなら、「極鳳凰」は闇。
音楽や舞と共に、闇が光とひとつになる瞬間を、みなさまと体感できればと思っています。
また、一階ロビーにて未発表の新作アートを含めた作品の数々も展示いたしますので、ぜひご来場ください。
レインボーアーティスト たみのともみ
長いですが、彩龍と極鳳凰誕生までのストーリーをまとめました♪↓↓
よかったらぜひお付き合いください^_^
2019年2月に神戸市西区の東経135度上にある神出神社で、虹色の龍のビジョンと共に、「この龍を表せ」というメッセージを受けとったことから、「彩龍」製作が始まりました。
そして、彩龍完成間際に訪れた滋賀県にある藤が崎龍神で、今度は鳳凰のビジョンと共に、「次は鳳凰」というメッセージが。けれど、彩龍でいっぱいだった私は、鳳凰はアタマの片隅に追いやってしまっていました。
彩龍の作品が完成し、フッと浮かんだのが、「フランス」「ルーブル」というキーワードでした。
その数日後、ルーブルでのアート展に応募されるという方、現地と繋いでくださる方が現れ、流れのままにアート展に応募、クラウドファンディングにも挑戦し、たくさんの方々に支援していただきました。
繋いでくださった方からは「(審査通過は)ほぼ大丈夫」と聞いていたので、わたしも大丈夫だろうという気でいたら、まさかの落選。
(よく考えたら、落選の方が当たり前でもあったのですが笑)
クラウドファンディングでは、もし落選したら、かわりにパリで個展をやると約束していたので、ギャラリーを探し、ちょうど良さそうな場所を見つけたのですが、何故だか決めきれず、モヤモヤとしていました。
いつもわたしは大切なことほど、自分のお腹に聴くというか、本音と直感を羅針盤にしているのですが、この時は自分の羅針盤が働かなくなってしまい、どうしたらいいのかわからなくなっていました。
「クラファンで応援してくださった方々との約束を守らなくては!!」
という思いに縛られていることに気付き、もし約束に拘らないならば、どうしたいだろう?と自分のお腹に問いかけてみたら、
「鳳凰製作のために、南仏に行きたい!マグダラのマリアを辿ることが、鳳凰製作に必要!!!」
という答えが0.3秒で自分から返ってきたのと同時に、行かないといけない場所も、バーーーーッと一瞬で出てきたのでした。
これには、私自身もびっくり。アタマでは全く想定していなかった答えでした。
支援してくださった方々に理解してもらえるのか?
作品のヒントを得るためだけに、南仏まで行くの???
けれど、自分の中にたしかにある答えを見つけた以上、偽ることはできない。
勇気を出して、わたしの選択を支援してくださった方々にお伝えしたところ、沢山の方が、わたしの選択を理解し、応援の声をかけてくださいました(ToT)
だけど、後から思ったのは、ルーブル落選も、すべて完璧なシナリオだったのではないか、と。
この流れでなければ、わざわざ南仏に行こうなんて思いつきもしないし、実行できなかったかもしれません。
そして、鳳凰製作のヒントは、たしかに南仏にありました。
0.3秒で浮かんだのは、行くべき場所だけでなく、渡仏の日付けまで。
けれど、折しもこの時、フランスは前代未聞の大規模ストライキ中。
飛行機、鉄道、バス、どれが動くか動かないかも前日までわからない状況の中、ドキドキハラハラしながらの旅が始まったのでした。
(何でこんなときに?と思っていましたが、その数ヶ月後にはフランスに行くことすらできない状況になるとは、想像もしていませんでした。)
パリから飛行機、電車、バスを乗り継いで辿り着いたのは、マグダラのマリアがイエスの死後、迫害から逃れ舟で漂着したと言われるサントマリードラメール という港町でした。
その街にある教会に、どうしても行かなければ行けない気がしていたのです。
そして、その教会の地下にあったのが「聖サラ」と言われる黒い肌をした女性の像でした。
教会の地下にある聖サラ像を初めて見たとき、正直「なんだか怖い」という印象でした。
けれど翌日、もう一度地下へ行ってみると、ちょうど誰も居なくて、聖サラと2人きり。心の中で、聖サラに話しかけると、それに答えるかのように、地下の電気が消えて、また勝手につきました。
なんだか怖くなりそうなシチュエーションですが(笑)、不思議と全く怖くはなく、むしろ暖かなエネルギーを感じ、地面から突き上げるような強いパワーと共に
「わたしはここにいる」
という声が、自分の中に響くような感じで聴こえたのでした。
聖サラについては諸説ありますが、実はイエスとマグダラのマリアの娘だったという説も。
この場所で感じとったことは他にも沢山あったのですが、その意味を理解できたのは、帰国後、本格的に鳳凰製作に入ってからでした。
帰国後、鳳凰製作に取り掛かったものの、思うように進まないまま時間が過ぎていました。
彩龍のときには、浮かんできたイメージを形にしたらよかったのが、鳳凰はアイデアは色々出てくるものの、イメージが定まらなかったのです。
それは、私のエゴが原因でした。
クラファンで沢山の人に応援してもらったのだから。
南仏まで行ったのだから。
彩龍を超える作品を創りたい。
みんなの期待に応えたい。
作品を描くときには、わたしはただの筒になるだけでいい。
そう知っていたはずなのに、自分のちっぽけなエゴが、筒になることを邪魔していました。
そのことに気づき、虹色に彩っていたキャンバスを見たとき、ふと、真っ黒に塗ってみたくなったのです。
黒の絵の具をキャンバスやの上に指で伸ばしたとき、やっと、わたしの中に鳳凰の姿が見えました。
それは、真っ黒の鳳凰。
「彩龍」が天と繋がり、自分の内側の光を見せる存在だとしたら、彩龍と対の存在である「鳳凰」は、地と繋がり、自分の内側の闇を見せる存在なのかもしれない。
黒い絵の具を指で伸ばしながら、わたしは黒の美しさを発見したような想いでした。
黒の美しさ、闇の美しさを表現しよう。
そんな想いで鳳凰製作は進んでいきました。
けれど…。
出来上がっていく鳳凰を見て、違和感が大きくなっていったのです。
綺麗だけど、なんだか薄っぺらいのです。
その時、ハッとしました。
わたしは、黒を、闇を、「美しく見せよう」としていたことに。
そのことに気付いて、思い出したのは、わたしは【醜さ】を否定していたこと。
同時に、醜さを受け入れている人に強烈な【美しさ】を感じていたこと。
それは、外見的な美しさを遥かに超えた、内側からの強烈な光。
製作が進まなかったのは、闇を【美しく】表現しようとしていたからでした。
それは自分のコンプレックスを、化粧やファッションで美しく装おうとすることと似ていて、上手く隠すことで、補正することで、手に入る「美」。
だけど、わたしが表現したいのはそんな「美」ではないし、「鳳凰」でもない。
キャンバスに施していた装飾を、またも真っ黒に塗り潰しながら、わたしの内側から暖かい涙が溢れてきました。
そして、嘘くさい美しさが消えていき、安心が広がっていきました。
そして、覚悟しました。
この作品は、天からのインスピレーションで描くのではない。
他人事のように闇を描くのではない。
もっとも目を向けたくない、わたし自身の闇の中の中まで潜り込んで、生み出すのだ、と。
いままで影となっていた部分に光を当てること。
それは時に、恐怖や嫌悪感を感じることかもしれません。
けれど、それも大切な自分の一部。
闇に光を当てることは、自分を取り戻し、「自分自神」へと還る大切なプロセス。
自分の光も闇も、あるがままに受け入れたとき、目に見える次元を超えたところで、存在そのものから
強烈な光が放たれるのだと思います。
1人ひとりが、自分の闇を受け入れていくことは、他者や社会の闇をも、自分の一部として理解していくことへとつながっていくのではないでしょうか。
忌み嫌われてきたかもしれない
虐げられてきたかもしれない
目を背けたくなるかもしれない
醜いと言われたかもしれない
マイノリティかもしれない
わたしたちが創り出した闇に光を当てる。
今わたしたちの闇が光とひとつになる。
陰極まりて、光へ還る。
二極のその先へ、わたしたちの意識が進んでいけることを祈り、この場を開催いたします。
極鳳凰という存在を通して、何かを感じとっていただけたなら、とても幸せです。