膣=わたし、が大嫌いだった・・・
私は私が大嫌いでした。
生きる価値がないと生きてきて、
自分のダメなところばかりを悲観し、
なおして「いい人」になろうと必死で生きてきました。
ある日、小学校で男子にからかわれて
「きっとわたしみたいなデブでブスとは話したくないだろう」
と男性とは一切話すのを止めようと決めたんです。
その奥のほうにあったのは
『私は愛されてはいけない/愛されない人間なんだ』
という思い込みでした。
そう思い込まずにはいられないほど
傷つきやすく、自分は親のお荷物だと信じ込んでいたのです。
そして、そこに症状が出た。
女性性である生殖器に。
母が乳がんになってから乳房が痛み始めました。
(そして、母が嫌いでした→本当は大好きだったんですけどねw)
風邪薬でカンジダになって、
そこから陰部の不調が始まりました。
またそこで自分を否定する信念が強まりました。
自分の陰部は恥ずかしいところで
不調も出て、ひどい場所。
今思えば、親からの刷り込みで陰部は「汚い場所」「恥ずかしいところ」
と信じ込み、隠すべきもの、人には明かせない場所、と思い込んだ。
陰部は生命エネルギー、そして自分そのものの場所。
それを隠そう、恥ずかしい場所、という信念が出来た。
そこから様々な症状が出ました。
婦人科や乳腺外科を10代の頃から何度も通うはめに。。。
当時は産科と同じでお腹の大きな妊婦さんが診察を優先されて
そこでも私は劣等感が強くなっていったんだと思います。
生理痛に悩まされ、でもそれはフツーのことだと思い、当たり前だと放置していました。
早退するほど、動けないくらい痛みがあるのに、、、
そして30代では自転車に乗っても震動で痛いほどだったのに!
知識があったらきっと治療して不妊にもならない、痛みを我慢する日々を毎月送ってこなかったろうと後悔しました。
帯下も多く、匂いも人一倍気にしました。
なにしろHSP気質で五感が人より敏感だったので。。。
結婚しても、今度は不妊が大きな問題に。
子供ができない自分を責め続けました。
何年も悩みました。
ツラかったです。
その結果、
不正出血が4か月半続いたこともあります。
何度も婦人科やがん専門の大きな病院でも検査しました。
時間とお金とエネルギーを使い果たし、
疲れ果てた。
そして卵巣嚢腫に。
チョコレート嚢腫でした。
そして、結局セックスレスになって、
どんどん自分の女性性と閉じていったんです。
そして、自分(の女性性)に向き合わずにそのまま過ごしていたら
また再発!今度はなんと破裂して救急車で運ばれ、緊急手術。。。
「卵巣とったほうがいいよ」と医師は言いました。
卵巣をとったら女性である自分が亡くなる気がした。
まだかすかに残る妊娠への希望。
断りました。
そして、ちゃんと自分に向き合おうと思ったんです。
私は自分の膣が大嫌いでした。
子宮で女性は考えると聞きますが
子宮も卵巣も膣も私にとっては本当に悩ましく恨めしい存在でした。
とは逆に自己探求によって自己受容が進んでいっていた。
で、結局、最終的に女性性とつながったんです!
結局、ここに行き着くんだと思いました。
そして、女性であることをこんなに否定していたんだ!
と自分で気づいてないほど女性としての自分を止め、
閉じていたんだと気づき、
そしてそれがあるときからOKになったとき、
色々な扉が開いたんです・・・
もちろん、それで終わりではない。
まだまだ深いものはどんどん出てくる。
扉が開くとまるで違う人生、世界になっていきます。
膣とか生理とか、、、
なぜ生殖器系に出るのか不思議でした。
でも、そりゃそうだと納得しました。
ずっと私の膣は私に語り掛けて、メッセージを送ってきてくれていたんです。
なのに無視していた。
そう、女性性を。
人格の探求はしていたけれど結局ここだった、と感じています。
そして驚いたのはこれだけではなく、
大嫌いだった母との確執も終わった。。。
母に感謝してお別れができたことは
私の人生にとって大きな幸福でした。
いや、転機だった。。。
ここまで女性性はつながっている。
母親との関係、父親との関係、
セクシュアリティはここにつながっている。
自分の本質とつながっているんです。
本当はシンプル✨
本当の自分に出逢えばいいのですから。
あなたもきっとその不調や症状は素敵な愛のメッセージ。
そこに取り組めるようになって開花したら
きっともう無駄な苦しみや悩みはなくなるでしょう。
そして何もかも手に入る。
だって、セクシュアリティが命の元だから。
パートナーも、いい関係も、子供も、自信も、本来の人生も!!!
そして、ほんとうのあなたも💖
これを感じられていると心底生きることが心地よくなるんです~
(≧▽≦)